昨日から今朝にかけて、学生の俳句大会を、テレビで前後編あわせて見た。さまざまな趣向の元、対戦が行われ、一人の勝者を決める。
夏目漱石の坊ちゃん、吾輩は猫である、の作品にちなみながら、いろんな対戦がおこなわれる。最後までみてしまった。午前3時をまわっていた。去年の準優勝者が、今年優勝した。
順当というより、そこには、さまざまなドラマが展開されていて、見ごたえがあった。
感心したのは、作句力も大したものであるが、それぞれ参加者は初対面であるだろうに、なんとも言えない親近感をおたがいがもっていることである。
心情を表現する訓練ができているからか、俳人としての魅力が感じられる。対抗心をむきだしにしながらも、勝敗にこだわりながらも、それは、真剣な対決ではない遊びのこころに満ちているのである。
俳句をやることの良さがよくよく出ていた。表現のためには、こころを開かなければならない。それが各人できているのである。こころを開くことこそ、俳句の最大の効用である。
この大きな刺激をうけて、さて、これから一句一遊にむけての作品をモノしてみようか。