何か問題があったときに、解決にむけて、話し合うことができるかどうかで、その世の中の仕組みの正当性、成熟度が決まる。
話し合いをすることで、可能なことと、そうでないことはあるだろう。極端には、戦争という実力行使の解決方法も、世界には、ありうる。
北アフリカでは、長年権力を欲しいままにしてきた独裁者たちが、突如として、窮地に陥ろうとしている。それでも、リビアのカダフィ大佐は、豊富な資金にものをいわせて、傭兵を動かし、金をばらまいて、反撃をしている。
その結末がどうなるのか。さきは、見えているといっても、国際的に包囲されつつあるといっても、市民の側には、かなり、犠牲がでており、まだまだ簡単にはいきそうにはない。
思い切り、自分と家族に富を集めて、国民から搾取、収奪をしてきた連中が、どのようになっていくのかが、人類社会の行く末の、改革の端緒となることだろう。
もう、無茶はしてほしくない。今の、資本主義のシステムが、どういう風に、変化していくことが、多くの人びとにとって、いい方向とは、何なのかが、いま、模索されている。
金の力に頼り、それが一番という世の中は、いい加減に終わらせないといけない。人間は、そんなところに、最終目標を設定してはならない。そして、そこから、いつになったら、脱出できるかが問題になってきている。