民主党には、綱領がないという。綱領は、どこの政党にもあって、理念を掲げているが、実態は、そんなにいつも問題になっているわけではない。それで、ないと、何か不都合があるのかといえば、日常の問題は、常に変化し、事態は変遷するのだから、そんな理念めいたものはなくても、そのとき、そのときの実情に応じて、政策を考えればいいわけだから、日常の政策の出し方で、政党の基本的姿勢がわかるというものである。必ずしもなくても良いのではないか。
今朝の、NHKの政治討論の番組で、自民党と民主党の石原幹事長、枝野副幹事長とそれぞれの応援者らしい外部のひとが付くという、テレビ討論をしていた。
石原氏の「保守としての立場」から、民主党の社民主義的な政策は、ポピュリズムであって、受け入れられないという考えが、出された。まさに、金持ち派であって、貧乏人の肩を持つとは、何だという姿勢である。
議会の討論を、あれだけ不毛にしたのも、単純に足を引っ張ることだけに、専念してきた自民党の本音を言っていた。どれだけ、弱者が困難になっているかに、何の関心もなく、ただただ、政権奪取だけが、目的化している姿勢がハッキリしていた。
民主は、菅氏という得がたい人材を得て、現実を見ながら、「最小不幸社会」を目指して行動している。そこには、現実主義的な、論理がある。与えられた環境下で、ベストでなくても、ベターを選択していく、その姿勢は明らかでである。
不毛な議会にして、政権を投げ出させることしか頭にない、バカなオボッチャンの論理が、通ってしまいそうな雲行きが明らかな中で、やるべきことをやり、提案していく民主の姿勢は、それで貫徹すべきである。自民党は、いつまでも、そうしてスネスネしていればいい。
そして、政治は、バカな連中を切り捨てて、正常な方向へと変わらざるを得なくなるだろう。
基地問題で、共産党は、アメリカへの再交渉を言い出している。こんなことは、自明のことであるがアメリカは、テコでも動かず、日本の首根っこを押さえ続けてきているわけで、鳩山サンもやれることは、やってきたが、結局はできなかったのは、アメリカが引く姿勢を見せないからであった。具体的に、共産党は、キチント独自の運動を展開すべきではないか。そんなに、アメリカへの要求を、運動化しているとは思えない。
景気にも連動し、アジアの世論もある。国際情勢との関連もある。難しい選択であるが、歴代政権がアメリカにきちんと要求できなかった事情もあるようだ。戦争を回避する手立てを確保することが、いつも大事である。簡単な論理では、事は解決できないと思う。
今朝の、NHKの政治討論の番組で、自民党と民主党の石原幹事長、枝野副幹事長とそれぞれの応援者らしい外部のひとが付くという、テレビ討論をしていた。
石原氏の「保守としての立場」から、民主党の社民主義的な政策は、ポピュリズムであって、受け入れられないという考えが、出された。まさに、金持ち派であって、貧乏人の肩を持つとは、何だという姿勢である。
議会の討論を、あれだけ不毛にしたのも、単純に足を引っ張ることだけに、専念してきた自民党の本音を言っていた。どれだけ、弱者が困難になっているかに、何の関心もなく、ただただ、政権奪取だけが、目的化している姿勢がハッキリしていた。
民主は、菅氏という得がたい人材を得て、現実を見ながら、「最小不幸社会」を目指して行動している。そこには、現実主義的な、論理がある。与えられた環境下で、ベストでなくても、ベターを選択していく、その姿勢は明らかでである。
不毛な議会にして、政権を投げ出させることしか頭にない、バカなオボッチャンの論理が、通ってしまいそうな雲行きが明らかな中で、やるべきことをやり、提案していく民主の姿勢は、それで貫徹すべきである。自民党は、いつまでも、そうしてスネスネしていればいい。
そして、政治は、バカな連中を切り捨てて、正常な方向へと変わらざるを得なくなるだろう。
基地問題で、共産党は、アメリカへの再交渉を言い出している。こんなことは、自明のことであるがアメリカは、テコでも動かず、日本の首根っこを押さえ続けてきているわけで、鳩山サンもやれることは、やってきたが、結局はできなかったのは、アメリカが引く姿勢を見せないからであった。具体的に、共産党は、キチント独自の運動を展開すべきではないか。そんなに、アメリカへの要求を、運動化しているとは思えない。
景気にも連動し、アジアの世論もある。国際情勢との関連もある。難しい選択であるが、歴代政権がアメリカにきちんと要求できなかった事情もあるようだ。戦争を回避する手立てを確保することが、いつも大事である。簡単な論理では、事は解決できないと思う。
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