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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

老後の楽しみ

2010年03月20日 11時08分14秒 | 思考試行
リタイヤ後の暮らし方が、問題になっている。これから高齢者が増えて、新たなビジネスチャンスととらえる向きもある。その通りだと思う。とりわけ段階の世代は、人数も多く、これまでも、かれら独特の「文化」を構築してきた。高齢者になっても、今までの、高齢者の範疇には治まらず、きっと大きな変革が起こるだろうとも言われている。

コチトラ、すぐ後ろから追いかけてくる彼らに、かなりの刺激を受けてきたものの、少し先輩として思うに、彼らとは、感性の面で明らかな違いを感じている。彼らは、若い頃、長髪にしたり、同棲したり、音楽を作ったり、我々世代では、とてもできないことをしてきている。そんな彼らが、どんな老後の楽しみを見出すのか、興味津々である。

我々の世代では、若い頃、山登りが流行っていて、駅のコンコースには、リュックの青年男女が、大勢集結していたものだった。デモがあり、集会があった。職場でも、リズムが変わり始めた時代であった。

その動きが、団塊の世代の登場で、支配階級も考えて努力する、その成果があらわれ、徐々に、管理社会へと変化していく。世の中を斜に構えて見ていた若者達が、企業戦士へと衣を変えていく。

戦後の価値観の大変化を受けて、民主教育の初期の教育を受けてきた世代と、その後の、支配階級のまきなおしの対策の影響を色濃く受けてきた団塊の世代とのギャップがある。そして、今の若者達は、さらに、自ら立ち上がるエネルギーが乏しくみえる。本当は、マグマのようにあるはずのものが、眠らされ、抑えつけられている。

法的にも、非正規雇用が合法化され、そのために、若者達は甚大な被害を被っている。我ら世代のときには、非合法のピンハネシステムを合法化したのである。とんでもないことである。これに対する、反駁が弱い。団塊の世代の正義感の欠如の欠陥がここに出ている。

我ら世代は、こんなことは、絶対に許さない。これは、常識である。世代によって、感じ方は、斯様に違う。違いはあっていい。それをエネルギーにして、お互い切磋琢磨していくことである。

我らの老後の世代の楽しみは、この抑圧された若者達のエネルギーを解き放つべく、その知恵と財力を提供することではないか。そこに、老人の立ち位置を定めて、ありとあらゆる努力をし、世の中を変革していく力となるのだ。

と、極めて不正確な、乱暴な、ことを言ってみた。定義、事実、証拠、何もなしのムチャクチャ論である。だが、正確になんか書けない。能力的にも、無理。偏見を承知で言う。これも老後の楽しみの一つでもある。