その原因は、どこから来るのか。叔父の葬式に来たのはいいが、連絡した小生には、なんの挨拶もなし。そのくせ、周囲には愛想よく、明るく、ふるまっている。多分、好ましく、いい人だと思われていると、本人は確信しているのかもしれない。
当方は、徐々に、不快な気分になっている。その原因は、なにやら、腹にイチモツの感じがありありの、当方無視の態度である。
高齢の実母の世話をしている我々「高齢兄夫婦」を無視する態度。なぜ、そうなるのか。少しは、後ろめたい気持ちがあって、それを裏返して、むしろ強気に出ている感じもある。感謝し、慰労すべきところを、評価しないだけでなく、逆に貶める態度にでている。
これは、一時の母親の姿勢と同様である。自分がもっとも援助を受けているものに対し、逆に、軽んじてみせる。「すべて自分がやっている。」「みんながよくやってくれる」という言い方で、焦点をぼかし、実態をしらない第三者に、誤解を生じさせ、事実をねじまげて伝えることで、後ろめたさを消そうとしていた。感謝など微塵も感じてはいない。そういう態度を、長く取ってきた。まるで、「女中」、使用人に対する態度であった。
妻は、涙ながらに、悔しがる。話を聞いても、小生は長いあいだ、本気には聞いていなかった。それが、あるとき、自身にも向けられていたことを、パズルがとけるように理解できるきっかけがあった。それは、すでに亡くなっていた伯母から、小生にむけられた言葉であった。小生が、甥、姪などのことを少し言ったときに、激しく「アンタら、何もしてへんくせに!」と罵倒されたことであった。
思いもかけない言葉であった。それでも気付かなかった。へんなことを言うもんだと思いつつ、その時は、別に気分を害したりはしていなかった。甥や姪にはそれなりのことをしてきたつもりだったからだ。
妹の夫は、大手ゼネコンに勤めていたこともあって、収入はかなりあったようで、高級外車にのり、スピードを出すのが楽しみという。動体視力が優れているので、違反の取締には引っかかったことがないという。なんの自慢であろうか。9時に寝て、5時には起きる生活。会社では、無駄なことはいわない、変なことは言わない、だから、定年まで勤め上げられた、の夫の自慢話をしていた。
どうやら、その君に、小生は低く評価されており、さらに、「他人行儀」に扱われているらしい。舐めているようだ。それが、どちらから発したものかはわからない。妹夫婦は同意見のようである。