それは、命だろうか。それだけ?
ただ生きているだけでは、つまらなくなって、生きてはいけないのではないか。どう生きるかが、問題となってくる。生きがいが、大事になってくる。
生活が厳しいと、とにもかくにも生きていかなければならないとなって、生きるために、やることが、とりもなおさず生きがいとなっている。生きがいとはなにか、なんて考える余裕すらない。
直面する困難を、なんとか脱出、切り抜けることに懸命にならざるを得ない。ところが、少し余裕がでてくると、そんなことだけでは、満足できない。なんやかやと考え出す。
人間は、利己主義では、本当の生きがいには結びつかないと思うのだが、基本は、利己的にみえる。利他的な行動をみると、感心したりするから、基本は利己主義なのかもしれない。
本能的には、他者を考えるゆとりは、持ってはいないようにみえる。人間とは何かと考えるときに、美しいものと見ては、失望するだけだろう。
残酷なようだが、最低ラインを用意して、それが基本ぐらいに考えていたほうが、正しいのかもしれない。大事なことは、冷徹な眼をもちながら、もう一歩つきぬけたところにあるように思う。
まずは、絶望、失望しなければ、見えてこないものではないだろうか。