ようやく体調がもどり、このところ、散歩を再開している。いつもと違うコースをとっていたら、小さなキリスト教会の戸口が、突然あいて、なかから人々が出てきた。部屋の中が少しみえて、かなりの人数が、帰り支度をしたりしている。
この教会は、前からあるのは知っていたけれども、人が集まっているのをみたのは、始めてであった。どういう集まりで、何をしていたのかは、わからないが、「仲間」としての行事であるから、そこには、外部の人にはわからない世界があるのだろう。熱気のようなものが、押し寄せてきた。
この感じ。
おそらく、これが魅力の源泉だろう。
仲間、セクト、・・・、親しみ、・・・
しかし、ここに病理もあると思ってしまう。なにかゴマカシてはいないか。そこを越えたところに、人間の目指す地平があるのではないだろうか。
「不安」をそのままに、しながら、そのように生きていくしかないと、思っているのです。
そうでありながら、信仰を持つ人々の、謙虚さであったり、慎みだとか、にまけないような倫理を、人間は持てるのではないか、と思ったりしながら、あるいは、そんなものは、不要なのかもしれない、と揺れてもいます。
結局のところは、人間にとって、何をよしとし、何を許せないとするのか、「価値意識」の問題になるということでしょうか。