(原題:Los abrazos rotos)
----これって、今日から始まった映画だよね。
ペドロ・アルモドバル監督とペネロペ・クルスの黄金コンビ!
「そう。始まった映画について話すときの通例で、
ストーリーはほとんど省略しちゃうけど、
ざっと、こういう流れ。
主人公は執筆業で生計を立てている盲目の男ハリー・ケイン(ルイス・オマール)。
実は、彼にはもうひとつの名前があった。
それは映画監督時代に名乗っていた本名のマテオ・ブランコ。
なぜ、彼がその名前を捨てたか。
その裏に隠された切なくも激しい愛が
ミステリーの要素を交えつつ語られるというもの」
----ニャるほど。そこにペネロペ・クルスが絡むんだニャ。
「うん。ペネロペが演じるのは、
マテオが一生を賭けて愛した女レナ。
だが、その彼女はもういない。
そのわけとは?
それは彼が視力を失った理由とも重なり合ってくる。
と、いま話しては見たものの、
こういう全体像が見えてくるのは、かなり後。
まず冒頭からして、この映画がどういう映画か
皆目見当がつかない。
と言うのも、自分が盲目であることから
家までやさしく送ってくれた女性を
この主人公の男は、なんとベッドおインに誘い込んじゃう」
----それはまた、毒のある映画だニャあ。
「でしょう。
よく、この映画は、往年のハリウッドのミステリー、
ヒッチコックなどにも譬えられるけど、
それをそのままなぞったわけではないところが、
やはりアルモドバル流。
この後、ヒロイン、レナの若いころもちらり出てくるけど、
それもあっさりと描かれ、彼女に感情移入するまでにはいかない。
物語は、その後、レナと、彼女を女優に起用するマテオの、
レナのパトロンの目を盗んでの熱愛へと進んでいく。
この設定に、共感できるかどうかが、
まずこの映画に入り込めるかどうかの第一関門かなあ」
----おやおや。なんとなくノッてないニャあ。
どうりで、2か月近く、話さなかったわけだ。
でも、評判は高いようだけど…。
「そうだね。
実を言うと、この映画は、
ある“損なわれた映画”の“回復”の物語でもあるんだ。
そこに“失われた愛”の“回復”が重ねあわせられていく。
ペネロペも、オードリー・ヘップバーンやマリリン・モンローを意識させる、
いわば往年のハリウッド女優の雰囲気をあでやかに振りまくし、
また、劇中にロベルト・ロッセリーニ監督『イタリア旅行』を挿みこんだり、
自らの出世作『神経衰弱ぎりぎりの女たち』を再現(?)してみせたりと、
映画ファン感涙のシーンが随所にちりばめられているんだ。
ただ、ぼくはあのオープニング・エピソードから
全く違う映画を想像していたため、
どうもノリきれなかった。
そんなところかなあ」
フォーンの一言「でも、あいかわらず色はポップだニャあ」
※だれが観てもアルモドバルの映画と分かる度
お花屋さんもよろしく。
人気blogランキングもよろしく
☆「CINEMA INDEX」☆「ラムの大通り」タイトル索引
(他のタイトルはこちらをクリック→)
----これって、今日から始まった映画だよね。
ペドロ・アルモドバル監督とペネロペ・クルスの黄金コンビ!
「そう。始まった映画について話すときの通例で、
ストーリーはほとんど省略しちゃうけど、
ざっと、こういう流れ。
主人公は執筆業で生計を立てている盲目の男ハリー・ケイン(ルイス・オマール)。
実は、彼にはもうひとつの名前があった。
それは映画監督時代に名乗っていた本名のマテオ・ブランコ。
なぜ、彼がその名前を捨てたか。
その裏に隠された切なくも激しい愛が
ミステリーの要素を交えつつ語られるというもの」
----ニャるほど。そこにペネロペ・クルスが絡むんだニャ。
「うん。ペネロペが演じるのは、
マテオが一生を賭けて愛した女レナ。
だが、その彼女はもういない。
そのわけとは?
それは彼が視力を失った理由とも重なり合ってくる。
と、いま話しては見たものの、
こういう全体像が見えてくるのは、かなり後。
まず冒頭からして、この映画がどういう映画か
皆目見当がつかない。
と言うのも、自分が盲目であることから
家までやさしく送ってくれた女性を
この主人公の男は、なんとベッドおインに誘い込んじゃう」
----それはまた、毒のある映画だニャあ。
「でしょう。
よく、この映画は、往年のハリウッドのミステリー、
ヒッチコックなどにも譬えられるけど、
それをそのままなぞったわけではないところが、
やはりアルモドバル流。
この後、ヒロイン、レナの若いころもちらり出てくるけど、
それもあっさりと描かれ、彼女に感情移入するまでにはいかない。
物語は、その後、レナと、彼女を女優に起用するマテオの、
レナのパトロンの目を盗んでの熱愛へと進んでいく。
この設定に、共感できるかどうかが、
まずこの映画に入り込めるかどうかの第一関門かなあ」
----おやおや。なんとなくノッてないニャあ。
どうりで、2か月近く、話さなかったわけだ。
でも、評判は高いようだけど…。
「そうだね。
実を言うと、この映画は、
ある“損なわれた映画”の“回復”の物語でもあるんだ。
そこに“失われた愛”の“回復”が重ねあわせられていく。
ペネロペも、オードリー・ヘップバーンやマリリン・モンローを意識させる、
いわば往年のハリウッド女優の雰囲気をあでやかに振りまくし、
また、劇中にロベルト・ロッセリーニ監督『イタリア旅行』を挿みこんだり、
自らの出世作『神経衰弱ぎりぎりの女たち』を再現(?)してみせたりと、
映画ファン感涙のシーンが随所にちりばめられているんだ。
ただ、ぼくはあのオープニング・エピソードから
全く違う映画を想像していたため、
どうもノリきれなかった。
そんなところかなあ」
フォーンの一言「でも、あいかわらず色はポップだニャあ」
※だれが観てもアルモドバルの映画と分かる度
お花屋さんもよろしく。
人気blogランキングもよろしく
☆「CINEMA INDEX」☆「ラムの大通り」タイトル索引
(他のタイトルはこちらをクリック→)
アルモドバル映画だなという気がしました。
彼の作品では『オール・アバウト・マイ・マザー』と『ボルベール(帰郷)』が好きです。
そこまでは至らずという気はしました。
どちらもペネロペ出てるんですよね。
この映画のペネロペの美しさは凄かったです。
ぼくはアルモドバルだと
『オール・アバウト・マイ・マザー』。
あと『ライブ・フレッシュ』。
あの作品もペネロペ・クルスが出ていて、
大胆に脱いでました。
冒頭、
妊娠した娼婦が市バスの中で男の子を出産する……という
意表の突き方は、この作品と似ている気がしました。
あ~ふたりが見てたのはロベルト・ロッセリーニ監督の『イタリア旅行』だったのですね。
TBさせてください。
ぼくは初期のアルモドバルというと、
『グロリアの憂鬱 セックスとドラッグと殺人』くらいしか観たことがないのですが、
つかみのエピソードのショッキングさは『ライブ・フレッシュ』を思い出しました。
きれいにまとまった作品よりも、
凸凹感のある作品の方が、
この監督には、あっている気がします。
「これは観なければ!」
…と、かなり鼻息荒くしてるんですが、ちょっと不安もあります。
えいさんの記事を見て、不安が的中しそうな予感です…
観てきたらコメントします。
ちなみにアルモドバル作品は、オールアバウトマイマザーからボルベールまでしか観てません。
中でも好きなのは、オールアバウト…です。
最近のドロドロした感じも、それはそれで好きです。
ツイッターのフォローしてくれた人の中に、
ミッシーさんのお名前が…。
冗談じゃなく、小躍りしてしまいました。
今後ともよろしくお願いします。
アルモドバルからは少し外れますが、
ぼくはミッシーさんには
いま公開中の『フローズン・リバー』をおススメします。
あとは、この春公開の『息もできない』。
ぜひ、ご感想を伺いたいです。
ペネロペは美しすぎる容姿に反して、内面が男らしくて良かったですね。
監督に最初に惚れるエピソードが描かれてないから、キッカケは役のためで、それから本気になったのかなぁ?
という気がしてます。
期待値を下げて臨むと、
いい方向に転がるもの。
この作品は
前評判がよすぎたことが、
ぼくには裏目に出た気がします。
ペネロペ、ほんと、
オードリーのようであり、
マリリンのようであり…でした。