(原題:The Boy in the Stripped Pyjamas)
----あらら、子供たちが戦闘機ごっこのまねしている。
この映画というと、鉄条網の塀の両側で向かい合っている絵が思い浮かぶけど…。
「それは確かにそうだね。
あのビジュアルは、この映画の内容をひとことで言い表しているものね。
でも、個人的にはこのシーンが好きだな。
彼ら少年のイノセンス、むじゃきさを出していて、
ちょっとジョン・ブアマンの『戦場の小さな天使たち』を思い起こさせる」
----そういえば『戦場の小さな天使たち』って、
戦争で学校がお休みになり、
少年たちが喜んでいるという、
ちょっと変わった視点の映画だったよね。
これもそんな感じ…なわけないか。
「そう。全く違う。
この映画はこれ以上はないと言っても過言ではないほどに重い。
観る前に、その予告などからぼくがイメージしていたのはこういう流れ。
第二次世界大戦中のドイツ。
収容所長となった軍人の父親(デヴィッド・シューリス)の仕事で
田舎に引っ越した少年ブルーノ(エイサ・バターフィールド)。
彼は家のすぐ近くに農場のようなものを発見。
ところがそこにいる人たちは、いつも縞模様のパジャマを着ている。
なぜ?
不思議に思うブルーノは、
やがて鉄条網の塀の向こうが収容所で、
パジャマ服の人々がユダヤ人たちだと知る」
----あれっ。そういうお話じゃなかったってわけ?
「いや。ここまでは想像通り。
しかし、クライマックスに向けての展開が
自分の予想を遥かに超えていた。
まさか、こんな結末が待ち構えていようとは…。
おそらくこれは原作を読んでいる人以外は、
だれも思いつかないエンディング。
いやあ、つらかった。
涙が出るとか出ないとかいう次元のお話じゃない。
でも、これについては語らない方がいいだろうな」
----あらら。じゃあ、今日のお話はここでおしまい?
「いやいや。
それじゃあんまり。
ちょっとだけ見どころを…。
この映画、いちばんの注目すべき点はドイツ人の描写。
ナチスはみんな悪いという、
これまでよくあった描き方とはちょっと違う。
主人公の少年のおばあちゃん(シーラ・ハンコック)は、ナチに批判的だし、
母親(ヴェラ・ファーミガ)も
いたってノーマルな心の持ち主。
収容所の中でユダヤ人たちが殺されていることを現地に来て初めて知り、
夫に食ってかかる。
このヴェラ・ファーミガの演技が実にうまく、
映画の冒頭の方から早くも、夫とその仕事、さらには引っ越しへの不安などを、
細かい表情の中に漂わせる。
また、一方では生粋のナチス軍人、コトラー中尉(ルパート・フレンド)の描き方もいい。
自分の父親がスイスに逃れたという負い目。
それが彼を極端なまでの思想と言動に走らせていることが
話が進むうちに見えてくる仕掛けになっている」
----そういえばライザ・ミネリ主演『キャバレー』に、
年老いた人々がナチス熱に浮かれる若者たちを
冷めた視線で見ているカットがあったよね。
「うん。ぼくもそれを思い出した。
ドイツの国民性を掘り下げて描くのはいいけど、
その中に属している一人ひとりを、みな同じというように描いてしまったら、
それは一種の決めつけ。
ナチスのユダヤ人に対する偏見と同じになってしまう。
そういう意味ではこれは良心的な映画。
でも、それにしてもラストがなあ…」
(byえいwithフォーン)
フォーンの一言「よっぽどのラストだニャ。ニャにが起こるのかニャ」
ただただ絶句だ度
お花屋さん ブーケ、アレンジメントetc…
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(他のタイトルはこちらをクリック→)
※画像はアメリカ・オフィシャル(壁紙ダウンロードサイト)より。
----あらら、子供たちが戦闘機ごっこのまねしている。
この映画というと、鉄条網の塀の両側で向かい合っている絵が思い浮かぶけど…。
「それは確かにそうだね。
あのビジュアルは、この映画の内容をひとことで言い表しているものね。
でも、個人的にはこのシーンが好きだな。
彼ら少年のイノセンス、むじゃきさを出していて、
ちょっとジョン・ブアマンの『戦場の小さな天使たち』を思い起こさせる」
----そういえば『戦場の小さな天使たち』って、
戦争で学校がお休みになり、
少年たちが喜んでいるという、
ちょっと変わった視点の映画だったよね。
これもそんな感じ…なわけないか。
「そう。全く違う。
この映画はこれ以上はないと言っても過言ではないほどに重い。
観る前に、その予告などからぼくがイメージしていたのはこういう流れ。
第二次世界大戦中のドイツ。
収容所長となった軍人の父親(デヴィッド・シューリス)の仕事で
田舎に引っ越した少年ブルーノ(エイサ・バターフィールド)。
彼は家のすぐ近くに農場のようなものを発見。
ところがそこにいる人たちは、いつも縞模様のパジャマを着ている。
なぜ?
不思議に思うブルーノは、
やがて鉄条網の塀の向こうが収容所で、
パジャマ服の人々がユダヤ人たちだと知る」
----あれっ。そういうお話じゃなかったってわけ?
「いや。ここまでは想像通り。
しかし、クライマックスに向けての展開が
自分の予想を遥かに超えていた。
まさか、こんな結末が待ち構えていようとは…。
おそらくこれは原作を読んでいる人以外は、
だれも思いつかないエンディング。
いやあ、つらかった。
涙が出るとか出ないとかいう次元のお話じゃない。
でも、これについては語らない方がいいだろうな」
----あらら。じゃあ、今日のお話はここでおしまい?
「いやいや。
それじゃあんまり。
ちょっとだけ見どころを…。
この映画、いちばんの注目すべき点はドイツ人の描写。
ナチスはみんな悪いという、
これまでよくあった描き方とはちょっと違う。
主人公の少年のおばあちゃん(シーラ・ハンコック)は、ナチに批判的だし、
母親(ヴェラ・ファーミガ)も
いたってノーマルな心の持ち主。
収容所の中でユダヤ人たちが殺されていることを現地に来て初めて知り、
夫に食ってかかる。
このヴェラ・ファーミガの演技が実にうまく、
映画の冒頭の方から早くも、夫とその仕事、さらには引っ越しへの不安などを、
細かい表情の中に漂わせる。
また、一方では生粋のナチス軍人、コトラー中尉(ルパート・フレンド)の描き方もいい。
自分の父親がスイスに逃れたという負い目。
それが彼を極端なまでの思想と言動に走らせていることが
話が進むうちに見えてくる仕掛けになっている」
----そういえばライザ・ミネリ主演『キャバレー』に、
年老いた人々がナチス熱に浮かれる若者たちを
冷めた視線で見ているカットがあったよね。
「うん。ぼくもそれを思い出した。
ドイツの国民性を掘り下げて描くのはいいけど、
その中に属している一人ひとりを、みな同じというように描いてしまったら、
それは一種の決めつけ。
ナチスのユダヤ人に対する偏見と同じになってしまう。
そういう意味ではこれは良心的な映画。
でも、それにしてもラストがなあ…」
(byえいwithフォーン)
フォーンの一言「よっぽどのラストだニャ。ニャにが起こるのかニャ」
ただただ絶句だ度
お花屋さん ブーケ、アレンジメントetc…
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※画像はアメリカ・オフィシャル(壁紙ダウンロードサイト)より。
流れ的には、そうなるのは読めるわけですが、
最後の最後に救いがくることを期待して…。
そうならないところが
しっかりした戦争批判の視座なのでしょう。
お母さんもそうですが、
お婆さんもよかった。
すべからく女性陣は、印象に残りましたね。
もしかして心温まるエピソードや
友情のもたらす奇跡が出てくるのかと思いましたが
観始めて中盤当たりに来ると
じわじわと不吉な予感がし始め
ブルーノが引越しの朝にシュムエルに逢いに行ったあたりから
「もしかしたら・・・」と心がざわつき
ブルーノが着変え始めたときにはラストが読めたんですが
「そうなってはほしくない」と念じながら観たラスト15分でした。
ナチス側の人間がユダヤ人と同じ目に逢う,という
これまで考えてもみなかった設定に唖然としましたが
訴えてくるものの大きさを思うと
こんな物語もありだなと,脱力しつつも唸ってしまいました。
お母さん役の彼女,「ディパーテッド」のヒロインだった方ですね。
彼女の演技がとてもよかったです。
でも、無理やり作ったとは思えないところが怖い。
運命というものは、
こういうちょっとしたことで歯車が狂っていく。
いやあ、後になるにつれ、
いろいろ考えさせられました。
息子さんをアウシュビッツまで!?
素晴らしい計画ですね。
子供のころに見聞きしたことは、
大きくなっても忘れないもの。
そういう親御さんばかりだと、
世界に争いはなくなるかも。
ぼくらもできることから、
一歩踏み出さなくてはですよね。
そうなんですよね。
そんな事も忘れるくらい(?)ショッキング…
綺麗ごとで終わらせなかったからこそ意味があるのですが、やはり罪深い行いにはそれ相応の代償が付きまとうのだと。
私は母親が廃人のようになるのではないかと…気の毒すぎます。
重く辛いラストに、言葉もありませんでした。
それまでが、純真で無邪気だっただけに、より辛さが強調されてしまいました。
来年には息子をアウシュビッツへ連れて行って、見せたいと思っています。
KLYさんもレビューで書かれていたように、
少年が、大人に怒られるのが嫌でついた嘘、
それがきっかけとなり
自責の念からあの悲劇につながってゆく。
そのことがつらかったです。
収容所内が出てくるのがぎりぎり最後まで抑えられていたこともあり、
これはナチスに限った話ではないという気もしました。
思えばこの監督には『シーズンチケット』という名作があって、
そこでも子どもと親の関係が涙を誘ったものでした。
『バーダー・マインホフ』、見ごたえありましたね。
この映画、ほんと絶句でした。
もう、クライマックスは畳みかけるその演出に
完全に持っていかれたという感じでした。
これは子供には見せられないなあ。
トラウマになってしまう。
は涙は出ませんでしたが、エンドロールで勝手
に涙が出てました。
ユダヤ人とそれ以外を分けるのは薄汚れた囚人
服の薄っぺらな布切れ1枚に過ぎないのに。
ちょっとショックが大きいです。
『バーダー・マインホフ』参考にさせていただいたので、文中リンクさせて頂きました。
事後報告で失礼いたしやす・・・
そして、コチラの作品。
もう、ラストに言葉が出てきませんでした。
まさか、あんな終わり方をするなんて。
ショックを受け過ぎて、涙腺も停止状態です。
とっても辛い描写だったけど、いい映画だったと思います。
でも、次は軽いのが見たいな。
よそ見してても問題ないような大作。
何とかジョーさんとか
ぼくも、この映画に出てくる人たち、
ドイツ人の描き方が類型的じゃなかったところに引かれました。
でも、確かにそれが返って、
映画を辛いものにしていた気がします。
ラストの衝撃は本当にすごかったです。
あまりのことに涙も出ませんでした。
どのシーンでも明言しないで、こちらに想像させる演出。
それは自然に導き出されてしまって止められません。
煙突が2本映るだけとか・・・
それだけでその意味が分かって「あぁ・・・」ってなってしまう。
それが辛かったです・・・
出てくる人達がまた完全に"悪"じゃないのも辛かったです。
全部自分の中にもある感情だったので・・・
子供たちの無邪気な友情が、後に奇跡を生む話を想像していただけに、あのラストは・・・(涙)
おおっ。この作品、ご覧になられましたか。
そうそう、本文には書き漏れましたが、
あのお姉さん。
背伸びして、中尉を好きになるんですよね。
おそらく年齢もサバ読んでいることは、
弟の言葉と、それにちらっと反応する中尉の表情でわかっちゃう。
こういう表現もうまいなあ。
『キャバレー』は1972年の作品。
ライザ・ミネリがオスカーを受賞。
ボブ・フォッシーの傑作です。
これ、登場人物がそれぞれの葛藤をもっていて、そういう意味でも観ていて「あ~、つらい。」と思いました。
多感な年頃のお姉ちゃんのゆれまくる感じも、イタかった・・・。
無駄な人物が一人もいなくて、結構好きな感じでした。
確かにラストはキツかったですが。
無知・純真・無垢・・・って、・・・こわいです。
文中の『キャバレー』って1972年ですか??
観たことなくて、観たいのに、レンタル屋さんに無いんですよ~(泣)。