ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

岬町の学文字山1

2021年02月18日 21時13分39秒 | ウォーキング

緊急事態でついついお出かけを
遠慮しがちなので、
ウロウロ歩きのネタが少なくなっています。

今日は、先日飯盛山に行った時に、
ネットでいろいろ探ったら、
同じページの下に
岬町の学文字山散策コースというのが
出てきましたので、
そこに少し興味を持ちました。



藤原源蔵清正という人が
文字を教える家に住んでいた
などという名残で
こんな名前の山になっている
という説があります。

ここにはまだ行ったことがないし、
気軽なコースみたいに
書かれているので行ってみるかと
思ったのです。

もしかしたら、昔ジダンと
この近くの山をウロウロ
していたかもしれません。

でもまあ登ったという記憶もないので
このあたりに行ってみよう
と思ったのでした。

この日は珍しくお弁当を持って
出かけてゆきました。

国道26号を車で走ってゆきます。

しかし今の時期、
天候はガラッと変わることもあります。
なんと岬に着く前に
もう雨がふり始めたではないですか。

少しくらいは頑張って歩くか
とも思ったのですが、
ちょっとこの日は雨量が多いですねえ。

これで下見はちょっと無理です。

ではどこか景色のいい所の
公園の東屋でもあるところに行き、
のんびりと弁当でも食いますかと、
以前歩いた松風庵のある公園へ
行くことにしました。



この辺のことはいきいきパークと
呼ばれていたりします。

モトドリ山とかいう山も
こちらにあるそうですが、
かなり雨もきついです。

岬町の多奈川地区多目的公園
へと向かいましょう。



雨の平日ですねえ。
ここにはほとんど人がいません。



一家族だけアウトドア車で
やってきていて、
車の後ろで食事をしている風景が
あるくらいでした。

リュックにお弁当を入れて、
公園内の東屋に行きますと、
もう山の中の公園を独り占めです。

湯を沸かして味噌汁を入れ、
遠くに鳥の声や雨音、
風の歌を聴きながら優雅に食事です。



この辺の山は静かでいいですね。
もう少し暖かかったら
昼寝をしたいような気分です。
気持ちもまったりして、
この日は帰宅をしてゆきました。

そして月も変わり、
2月に入ってすぐでした。
曇り空の中、再度岬町まで行き、
学文字山に登ることにしました。

雨はなんとか行けそうですが、
風は強くなりそうな天気ですね。

ウインドブレーカーを着ていかないとね。

地図をコピーし、お弁当を持ち
では向かっていきましょう。

ここんところ、南の方にはよく行ってます。
先日の飯盛山もそうでした。
なので車も迷うことなく進んでいきます。

26号線からみさき公園の
ところに入り、寂しくなった
公園の景色を横に見ながら、
深日中央の交差点を右折してゆきます。

左側にオークワのスーパーも
見えてきますねえ。



ここの駐車場に車をとめても
いいのですが、とりあえずは
深日港の駅まで行き
深日港観光案内所「さんぽるた」で
地図をもらいに行きましょう。

海の方に入ってゆきますと、
あちゃー、なんと案内所は休みです。
月曜日はあきませんねえ。

でもそこの案内所の駐車場に、
何台か車が止まっています。

釣り客かなあ。
なのでそこに駐車して歩くことにしました。

まずは、先ほど見たオークワの方に向かいます。
あの店辺りが登山道につながっています。

そこでトイレをすまし、
すこしお店を見てゆきました。
あ、お弁当も品数多く売っていますねえ。
おべんとうを持ってこなくても、
ここでお茶も一緒に買って
歩き始めるのもいいかもしれませんね。

コースの目の前には山々が見えていますが、
どのあたりかなあとか
思いながら歩き始めます。

続く

 


耳寄りな話3

2021年02月17日 20時33分33秒 | 最近の出来事

左の耳の耳たぶの内側に、
イボができており今現在それを治療中だ。

前回医者に行った時に、
変な出来物じゃないやろうなあ
と意識して診察してもらったら、
瞬時に「イボ」ですね、
と断言されたので、これを
液体窒素の低温(-196℃)で
焼き切る作業をしているのだ。

前回に塗り込んだ窒素で
そのイボが変化をし始めている。
表面が黒くなり、一部が固くなって
かさぶたみたいに変形し始めています。

医者が言うには、これくらいの大きさの
イボでしたら液体窒素の塗布を
二週間ごとに4回くらいやれば
治るだろうという事でした。

そんな変化をし始めている
イボの治療が二回目を迎えたのである。

「このまま医者に行ったら、
かさぶた部分を『ムチッ』とかいって
むしられないだろうなあ」
と軽く心配しつつ、
医者に向かってゆきます。

あ、同じ町内会の医者なので
歩いて行くわけです。

この医者は、地元の人でいっぱいです。
待合室を眺めたら、
必ず知り合いがいます。

「どうしたん?」と聞かれると、
「これやねん」といいつつ耳を見せます。

「あ、髪の毛抜けていくのは直されへんで」
とか言われないか心配です。
「これを焼いてもらいに二回目やねん」
というと、
「可愛い病気やなあ」と言われます。

いやいやほんとはもっと大きな病気も
持っているんやけどね。
でもへへ~と笑ってごまかしておきます。

この日も皮膚科は4人待ちの状況です。

携帯の「青空文庫」のアプリで
小説を読みながら待っていますと、
「doironさ~ん」と呼ばれました。

前回よりはかなり早い感じです。
中に入って患部を見せますと

「ああ~効いていますねえ。
色が変わってますねえ」とのことです。

そういいながらも、
看護師は後ろで液体窒素の
タンクを開けています。

準備ができたら、では塗りますよ、
と言ってジュルジュルと始めますと・・・
うう、痛いです。
今回は傷の部分に塗るのでこたえます。

「ああ、少し痛いですねえ」
といいつつ、かまわずジュルジュルと
塗っていきます。

あ、あかん。もう耳に
16文キックがさく裂しているようです。

こんなことなら、
耳なし芳一じゃないけど
耳にもお経を書いてきたら
よかったともう意識が混濁しています。



「ここは傷やからね」、ジュルジュル。

「我慢してね」ジュルジュル。

「もう少しやからね」ジュルジュル。

と続いてゆきます。

ハイ終わりましたよ、と言われたときにはもう、
ここはどこ?私は誰?状態でした。

「痛かったですねえ。
では今日はテープを貼っておきましょう」
と処置していただきました。

「前回は二時間くらい痛かったんですが」
というと
「ああ、今回はもう少し痛いかも
しれませんね」だって。

「まあ耳の痛い話はいっぱい
聞いているからいいんですけど」
と医者に言うと大笑いされました。

貼られたテープに麻酔薬でも
入っているのかなあと思いつつ、
夜のシャンプー後に
外してくださいと言われたので、
ジムのふろで頑張って外すと、
何のことはない麻酔薬など
ついているわけもない
注射後の幹部に貼る単なる
ばんそうこうでした。

翌日はもう痛みもなくなってよかったです。

そのまま静かに過ごしていくと、
おお~またなんか、かさぶたらしく
なってきているようです。

ああ、次回の治療が怖いなあ
と思いつつ、いろんなしょうもない話を
聴かないように、
耳を押さえて過ごしている
doironなのです。

 


狭山池の池底を歩いて3

2021年02月16日 20時54分30秒 | ウォーキング

歩くコースは西側堤防の
北部の方にやってきました。

池の底部を時計回りに
回っていることになります。
目の前の池には小さな神社が
見えていますね。



そしてまわりには水がなく、
このイベントに合わせて
降りれるようになっているので
降りてゆきましょう。



ここは龍神社と言います。

前回の狭山池の時に描きましたねえ。
ここにメスの龍がいるんだ
という事になっていますねえ。

そしてその神社の前には、
直径20mくらいの大きなくぼみがあります。
これが竜神渕と言われるくぼみです。



昔の狭山池を描いた古い絵にも
この淵は書かれてあったそうです。
堤防からはその淵の底は
どうなっているのかわかりません。
なので池底ツアーでは
まじかに見ることができるだろうと、
今回はここに来るのが楽しみのひとつでした。

いろんなことを案内の人が言います。

ここには相手のオスの龍が
いるんだとも言ってました。

底はどうなっているんだろう
というのが、ぜひとも
見てみたかったんです。

そこを見てみますと、
水が溜まっている状態です。
なにか大きな岩でもあって、
そこに隙間があり龍が出入りしている
状態ではありませんでした。



でもまあ昔からほられてある淵ですから、
皆さん興味深く眺めていました。

するとそのときです。
参加している家族の中には
子供を含んだ家族がいましたが、
その子どもがそこに向かって
石を投げ入れているのです。

池の底ですからそういう
石が入ることもあるんでしょうが、
みんなが興味を持って眺めているのに
そこに石を投げ入れるって、
親も起こりなさいよって感じです。

うちの息子なら
「そんなことしたらあかん!」と
怒るのですがねえ。
なんか無意識に、自覚のない子供を
育てているような親は
見ちゃおれませんね。

その竜神渕はよく見ると、
ただ穴が掘られているだけではなくて、
プラスチックの堤防で
補強もされているようでした。



もしかしたらあの底から
龍が舞い上がったりして、
なあんて想像をしてしまいました。

竜神渕を眺めた後は、
龍神社の周りをグルリンと一周。



小さな祠が立っているのですが、
足まわりにはかなり立派な
石垣がありますねえ。
そこから見る池には少し水が
溜まっているところもありました。
野鳥も多いですね。



あれ?水の中には小さな島が
二つありますよ。
あれは何でしょうと聞いてみると、
どうも水が増えたときに
酸素を送り込む装置なんだそうです。

嫌気発行してアオコが発生するのを
防ぐ装置ですね。
ここから流れていく水は、
大和川までたくさんの町の中を
流れてゆきますから、
その浄化のためにあるんですねえ。

噴水なんかがよくある装置
なんですが、酸素を吹き入れるって
まあすごい装置ですねえ。

さあこれで池底の見学は終わりました。
次は博物館の中ですねえ。
堤防をさらに歩いて、
北側にある博物館に入ってゆきます。



この博物館は安藤忠雄の
設計で建てられています。
有名な設計者ですね。



近つ飛鳥博物館もこの人の設計です。



このツアーではここの博物館に
無料で入れるぞと思っていたのですが、



なんとこの博物館は普段でも
無料で入れるそうです。
ちょっと拍子抜けでした。



中には、池の説明版や、



中から発掘された樋などの
でかい模型が展示されていました。



グルリンと一周して、
展示室でツアー参加の記念品をいただき、
このツアーも終了です。

風の強い日でしたが、
日差しは暖かく、
いい勉強ができました。

翌日Y新聞に掲載されていましたよ。

絵がS経新聞に載った週でしたので、
一気に二つの新聞をにぎわした
doironだったのでした。


狭山池の池底を歩いて2

2021年02月15日 21時03分20秒 | ウォーキング

大阪狭山池は、農業の灌漑のために
作られた池ですが、
昭和57年にその池から
流れ出る西除川で大水害がありました。



合流する大和川の直前で
すごい量があふれだしたのです。
その時doironは水害が発生した自治体で
働いていましたので、大騒動でした。

連日水害現場に行き、
清掃と消毒を繰り返しました。
まああの時の記憶はすさまじいものでした。
被害を受けられた方は
もっと大変だったんでしょうが、
後始末の我々も大変な作業でした。

そんな水害を防止するために、
水門が作られ排水機が設置される
などしたのですが、ここ狭山池も
大きく回収されました。

ため池だったこのダムが、
水害防止用の狭山池ダムへと変貌したのです。

まあもともと4000haを灌漑していた
このダムの水も、田んぼ類が300haにまで減って、
その役割を大きく減らしていたのですが、
こうして改修することによって
新たな役割を与えられるようになりました。
なので、この時期のように
灌漑に使わないときには、
こうしてできるだけ水を抜き、
大雨に備えているようになったそうです。

とまあそんな話を説明員に
聞いている間に、もう次の班が
池底に降りてきました。
なにせ150人のツアー参加募集のところに
361人の応募があったので、
もう定員はいっぱいです。

10名程度に分けた班が
どんどんやってきます。

数班ごとに数名の説明員が
話しているのですが、
あまりゆっくりやってると
次の班が入ってこられません。

おおむね説明が終わると、
誘導員に引っ張られて
移動してゆきます。

このあと1班はため池の南東の
端っこにあるワンドを見に行きました。



ワンドは(湾処)と書きます。
川などの本流とつながっているところが
土手などに囲まれて
池のようになっているところです。

淀川歩きをしているとき
たくさん見ましたね。

この狭山池にもそんなワンドがあります。

池の水を抜くのですが、
魚などはこんなワンドなんかに
逃げ込んでいるんでしょうねえ。

このときにはあまり魚などが
バシャバシャしているような
状況はありませんでした。

生物多様性を狙って整備された
ワンドではなく、自然のワンドなんですねえ。
見学が終わったら
そこから湿った土の上を
じとーっと歩いて戻り、
さあ池南部の底見学はこれで終わりです。

また堤防に上がって
今度は池の西側の堤防を
北上していくことになります。

池底見学の間、写真をすごく熱心に
とっている人がいたので、
つけている腕章を見ると、
Y新聞の記者でした。

こんな取り組みの取材をしているんでしょうねえ。

写真は撮れましたかあとか
話しをいろいろしていると、
その記者は東大阪の支局にいたことが
あるそうです。
ああ、行政の担当だったこともあるんですね。

doironの過去の仕事を明かしつつ、
その新聞社の記者の名前を
4人ほど上げると、
ああ、その記者はもういませんねえ
とかいう情報をお聞きしました。

Y新聞の記者には事件の時に
大変お世話になったことなんかを
伝えておきました。

堤防を歩いていると、



誘導員からいろんな説明が出てきます。
池の西側には西除川が続いています。
その上にある大きな堤防が西側にあり、



これがこの池の最上位を
示す高さである説明がありました。

「池の水はこの高さを越えると、
どんどんここに流れてゆき
池周辺の水害を防いでいるんです」とのこと。

何気ない池の景色の中にも、
よく聞くと池管理者のいろんな思いが
詰まっていたりするんですねえ。

続く


狭山池の池底を歩いて1

2021年02月14日 21時01分38秒 | ウォーキング

昨年末に、鎧・兜の山に行った翌日です。

くたびれた足をいやそうと、
現在水を抜いているという
大阪狭山池に歩きに行くことにしました。

あんなに水をためていた池が
こんなに空っぽ状態に近くなる
とはねえとか思いながら、
てくてくと堤防を歩きつつ
足をほぐしてきましたよ。

あの時は残念ながら博物館も休みで
入れなかったのは残念だったなあ。
でもねえその博物館の掲示板で
気になる情報を見つけたのです。

1月30日に池底&博物館ツアーが
行われるというポスターです。



説明員がついて、ふだんは進入禁止の
狭山池の池底を歩けて、
博物館にも入ることができる
ということが書かれてあります。

これはこの日に覗けなかった
竜神淵の底だけでなく
博物館にも入れるぞーと
面白そうなのでこれはぜひ参加してみよう
と申し込むことにしたのです。

定員は150名で応募者が多ければ
抽選ということになるそうです。

で、ある日その抽選結果が届きました。

当選通知でした。

ああこれは楽しみです。
前回狭山池に歩きに行って、
気になってわからなかったことを
いろいろ勉強しに行きましょう。

受け付けは、12時から12時半までの間に、
あのさやま遊園の跡地のひとつである
公園で行われるようです。

早めに家を出て、池の近所のスーパーで
昼飯をたべ、車もそのスーパーに
停めたまま、歩いて受付に向かいました。

受付をしていたのは、
狭山池東面にある「さやか公園」です。



この公園は、さやま遊園の跡地を利用した公園で、
防災倉庫や耐震性貯水槽などの
防災機能を持つ公園です。



着いたのはちょうど12時頃で、
受付をしたらちょうど1班に
入ることになりました。



13名が集まって、さあでは出発です。

では行きましょうとなった時に、
男性が一人「トイレに行ってきていいですか」
と申告されました。
これは同意してついて行かないといけませんね。

みんなが揃ったらすぐに出発です。



まずは東側の堤防を歩いて、



池の南側から池底に入っていくことになります。



この日はいい天気でしたが、
風の強い日でした。
池の周りには日よけもなくて、
冷たい寒風が吹きすさぶ寒い日でしたね。
南側の堤防から坂道を降りて、
ここからは進入禁止ですというゲートが
あけられていたのでそこから入ってゆきます。



堤防の底は、若干湿った土で、
これくらいの足跡が付くような感じでした。



下まで降りてゆくと。
まず最初の池の説明員が
狭山池の説明を始めました。



この池は日本最古の現存するため池です。
掘り出された東樋の木の年代から
作成されたのは616年頃と
言われていますから
もう1400年前ですね。

池の周囲の長さは2850mで
水量は現在280万tと言われています。

で、こう書くと我々にはやはり
地元のため池である久米田池と
比較してしまいますね。
久米田池の周囲は2650mなんですが、
円形であるため水の面積では
大阪狭山池よりは水面積はひろい池です。
なので、久米田池は大阪府内最大のため池
ということになります。
しかし、水量はというと、
大阪狭山池の堤防は18.5mも
あるので狭山池の方が
100万t以上多いようです。
そして久米田池が作られたのが
738年なので歴史的には
大阪狭山池が100年以上古いようです。

なのでこの池は日本書紀なんかにも
歌われているようです。

要約すると、古さと水量では大阪狭山池、
水面積でいうと久米田池が広い
とまあそんな感じです。

続く


六回目の味噌づくり

2021年02月13日 21時23分36秒 | 生活

仕事を引退してから、
最近は味噌を自分で作っている。

2015年から味噌づくり一筋だ。

手作り味噌に名前も付けている。
その名も「マルナゲ味噌」。

地下収納庫に眠っている我が家の味噌麹菌と、
地元の大豆を使い、麴に製造を
一切マルナゲしたお味噌である。

たくさん作った年もあったので、
何年かは空いたが今年で
6回目の味噌づくりとなる。

まあこういう作業は嫌いではないが、
あまり性格的にこういうことに
マメではないので途切れがちに
なりそうなところ、
こうして作った味噌が半端なくうまいので
それを思い出しつつ、
ついつい頑張ってしまうのだ。

今年は、少し変わったことをしてみた。

と言っても大したことではない。

豆を和泉市産ではなく
北海道産の鶴の子大豆を使ってみた。

大豆生産量日本一の北海道でとれた高級豆だ。

そして麴は味噌づくりにこだわる
和泉の製粉業者の生麹だ。

ここへ明石の塩とか入れてみたかったのだが、
一気にいろんなことを変えるのも
無理があると判断し、今回は
いつも通り普通の食塩での生産だ。

巻きずしを作ったその日つまり節分に、
まず1kgの豆を水につけておく。

そして翌日の立春にそれを煮るのだ。

これは少しこだわって煮る。
かたさを見ながら煮てゆくのだ。
だいたい親指の硬さ具合と思っているが、
その辺を微妙に確認しつつ煮てゆく。

いい具合に煮あがったら、
その茹で水を100ccほど残して
容器にとり、豆はざるに入れて
水分を切っておきます。

そして数分後、その豆が触っても
熱くないくらいになったら、
さあいよいよ味噌づくりの
本番が始まります。



固めのビニール袋にその豆を入れ、
おろし棒でつぶしてゆきます。



固めのビニールと言っても、
力の入れようで破れてしまいますから、
用心して進めていかないといけません。

地道にコツコツとゆっくり進めてゆき、
ようやく丸い粒が目立たなくなったら、
今度は足で踏んでゆきます。



ごつい足ですが、やはり人間の感覚は
優れていますねえ。
固い所や残っている丸い粒なんかは
微妙に感じ取ることができます。



そしてようやく硬さを感じなくなったら
容器にあけて、先にシオを混ぜていた麴を
まぶしてゆきます。



あ、そうそう今夏は塩の量も
いつもの三分の二くらいに減らしました。
塩分控えめのお味噌にしたかったのです。
麴をまぶしつつも、
細かくチェックしてゆきます。
残っている粒なんかもこの時に



発見されたりするので、
それをつぶしつつ行います。

そんな感じですから、豆つぶし、
麴混ぜもいつもよりしっかりと
時間をかけて行います。



最後の方で、豆を茹でたときに
残した水を追い出ししてゆきます。
そして豆と麴が混ざってきたら、



今度はそれらを団子にして



空気を抜いてゆくのです。



だいたいこんな団子が15個できます。

今度はそれを、大きな入れ物
(今回は大鍋にしました)に
ぶちまけてゆきます。
これも空気を抜いて行くように
押し付けて入れてゆくわけです。
あ、このときはまたビニール袋で
包むようにしてゆきます。



団子15個がすべてが入ったら、
カビが来ないように表面に
少し塩をかけて、サランラップで
軽く蓋をします。ビニールを閉め、
そしてさらに小さなビニールの押さえふたを置いて、
遠近の山で取ってきた石を
軽い重しにして置きます。



これで完成です。

これを地下の物入の中に入れて終了です。
6回も味噌を育ててきた物入ですから、
doiron家の麹菌なんかも生きているんでしょう。
これでもうすべて麹とdoiron家の
床下の大自然にお任せして、
半年くらいで完成するはずです。



さて今年は少しずつ手法を
変えて行った味噌づくりです。
そこがミソですね。

どのような味噌になるか
とても楽しみなのであります。


新年会の話その2

2021年02月12日 20時53分06秒 | 最近の出来事

新年会はもう一つありました。

友達のお家で麻雀の講師を
している仲間たちとの新年会です。

麻雀は初心者たちの集まりで、
まったくイチから始めました。
今回で3回目になりますかね。



ゲームの流れはほぼ理解してもらえました。
ここからは東西南北の役割説明、
役を一つ付けなければ
いけないのでその説明。
効率よく進めていく方法
そしてリーチをしたときの
それぞれの対処法なんかも
少しずつ教えてゆきます。

もうあとは対処法を
学んでいくほかはありません。

まずはお昼に集合します。
この時点で、もう夕方からの
新年会の用意は、台所の片隅に
置かれてありますよ。

でもまあ集合したら、
そんな準備は後回し、
さっそくもうビールを飲みながら、
つまみをつまみながら
雀卓が開かれてゆきます。

初心者たちでもやってるうちに
いろんな役が出来上がってゆきますよ。

満貫や清一色のハネ満なんかも出ました。
でもまあやってるものは
なかなかそんな役の希少性
とかはよくわかりません。

まあそんなんはやっているうちに
わかってくるでしょう。

一番の賞品は、この少し前に行った
狭山池底ツアーでいただいた、
自転車駕籠かけ袋でした。

そして半チャンを終えたら、
もうころ合いになります。

では新年会の始まりです。
今日の新年会に先だって、
質問をされていました。

何か食べたいものがある~?
と聞かれていたので、
その時の気分で「粉もの」と言ってたのですが、
以前その人の話してたことを思い出し、
急遽変更。麻婆豆腐に変更しました。

そして、出来上がってきたのが、
中華風宴会の料理群です。

あ、言っておきますが、
この料理の調理人は超ベテランです。
麻雀は初心者でしたが、
料理に関しては役満級です。
全て手作りで調理します。



まずは唐揚げが出てきました。
辛いのが好きな人はこれをかけてねと、
もう今となっては名前を
思い出せない香辛料が出てきます。



そしてつぎが中華風おこわです。
名前は、携帯のメモ帳にいれときました。

「とんざいみーがお」という名前だそうです。

これもうまかったなあ、
こんなに食べたらメインの
麻婆豆腐が入るかなあって感じです。



そしてまだまだ出てきますよ。
次は「小籠包」です。
みんなで巻いたそうです。
これはなんと台湾で買って、
持ち帰ってきた蒸し器で



調理されます。
ああ、おいしいなあ。

でももうあまり無理して食べてはあきません。

そして最後に出てきました、
麻婆豆腐がこれです。



香辛料でからみをつけられた絶品です。

こんなにしっかりした豆腐の
入ったのは初めて食べます。
そこへまた香辛料が足せますから、
まあ麻雀でいえば
ドラドラが足された感じですかねえ。

もうおなかもおいっぱいです。

押さえたらパオパオ言ってます。
へんな中国風おじさんになりましたねえ。

でもまあ、こうしていろんな人に
かかわって、新しいことを覚え、
味わったいい新年会でしたね。

doironは今年もう65歳になります。
ますます高齢者の仲間入りですね。

でもねえこうしていろんな人に
支えられて豊かな日々を
過ごして行けていいですねえ。

ほんまにもう感謝のひとことです。

麻雀の講師は2月も続きます。
この人たちとじっくり
麻雀が楽しめるようになったら、
またまた楽しい時間が
過ごせますねえ。

頑張って麻雀、教えてゆきましょう。

 


新年会の話その1

2021年02月11日 21時23分06秒 | 最近の出来事

もう2月になっているのですが、
すこし前の話。
新年会の話です。

とはいえコロナ感染に関して
緊急事態宣言が出される中、
なかなか飲み屋に行って
宴会というわけにはいきません。

コロナの野郎め、憎たらしいやつだ。

そんな中で料理の好きな人が
みんなを誘ってお家で
新年会をすることになり、
お呼ばれをいただいた。

経費は買い出しをみんなで割る
という仕組みである。

夕方、そのうちに行くのですが、
ひとつだけ買い物を頼まれていました。
それがピザ屋さんのピザです。
府中にあるDミノピザだと
焼きたて持ち帰りは半額になるというので、
事前に電話で予約し、約束の時間に
受け取って会場のおうちに行く
というのが与えられた役割です。

家から時間を考えつつ自転車に乗り、
ピザ屋に向かいます。
注文したのはDミノデラックスです。
え~ピザを自転車で運ぶのんて
むつかしくないかなあ。
下手に斜めに駕籠に積んでいくと、
えらいチーズの偏った変なピザに
ならないかなあと言うのがとても心配でした。

変なピザになっていたら
もう大目玉を食らうでしょう。

最悪は袋ごと片手に持って、
超絶自転車テクニックで駆けつけるかですね。
まあどうにかなるでしょう。
では、ママチャリで向かって行きます。

おじチャリだと手を離すのは
無理があって安定しないからね。
家を出て池上のあたりから
阪和線沿いを南下してゆきます。
そして和泉の警察が見えたら、
その前がDミノピザです。
時間はピッタリでしたね。

「あの~予約していたdoironですが」
「はい、オッケーオッケーね」と
日本人ではない店員が応対してきます。

ん?カレー屋さんに間違えて入ったか
という感じ。
予約してあったピザの半額の
金額を渡して受け取りました。

ピザですから、段ボール風の
ペタこい箱に入っています。
これを自転車の前のかごに入れてみると・・・、
おお~ぴったしです。
箱の分岐が駕籠に引っかかって
まっすぐ積むことができます。

いいですねえ。

これで後はおとさないように
運んでいけばいいわけです。

歩道の段差や、横断歩道や一旦停止の
揺れなんかにも気遣いながらも、
なんとか無事に到着です。
まだあったかいようでよかったです。

時間より少し早くおうちにお邪魔し、
待ってるうちに料理が出来上がってきましたよ。
まずは鳥の手羽先煮物。



あ、名前は知りません、
なんか正しい言い方があるのかもしれません。
はいっている卵もおいしかったなあ。

それとちりめんじゃこ入りのサラダです。
参加しているひとりが、
最近骨の状態が良くないようで、
医者でも骨粗しょう症に気を付けて
と言われているので、
ここはカルシウム補強です。



もう一つが、豆腐のピリ辛煮物。

これもなにか名前があるかもしれませんがね。
たまに唐辛子の辛さに当たりのある
お酒にぴったりの料理でした。

アルコールはビールにワイン。
結構飲みましたね。
まあジムで健康に過ごしている仲間ですから、
さほどコロナ対策については
考えなくても良くて、いい飲み会でした。

あ、もちろん自転車は押して帰りました、へへ。

みんなで交わした話の内容は、
病気の事、仕事の事、家族の事なんかで、
色々と気にかかることはある様子。

まあ人生こんなもんですねえ。
これくらいの年になってくると、
いろんな面で開き直ってきますねえ。
それでも人生楽しい時間を
大切にしていきましょう。

そしてしんどい時間はみんなで
分け合って、
今年もいい一年になればいいですね。

 


雪の高野を訪ねて7

2021年02月10日 20時48分34秒 | 

高野の奥の院に向かう参道には、
お墓や供養塔が並んでいます。
でも人が通らない道は
雪が積もっていますので、
メイン通りをどんどん進んでいきます。

あ、入り口の手洗い場は
しずくが凍り付いていますねえ。



この参道は中の橋から歩くことが多く、
一の橋からすべて歩くことは少ないです。
なので一の橋から中の橋の参道までは
これまであまり目にすることもなかったのですが、
ここにも様々な人の供養塔がありますよ。

今話題の明智光秀のほか
石田三成、武田信玄等々。

でもこんな供養塔なんかは
誰が管理してるんでしょう。
ご子息の方々なんですかねえ。

でも、あまりお墓や供養塔の写真は
載せないでおきましょう。

みんなそれとなくきれいにたたずんでいます。

これは、司馬遼太郎の文学碑です、
これは写真もいいですよねえ。

こんな感じです。



山の端を参道はどんどん進んでゆきます。

 


あ、南海電車の創業者の墓がありましたよ。
感謝して得きます。ありがとう

 


二キロくらいあるのかなあ。
この道沿いには大きな杉の木が
たくさん立っています。
供養のために寄付したという杉が
どんどん育って今はもう老杉の
林になっていますねえ。

戦争時も高野山に空襲はなかったんですかねえ。

アメリカ人はここの意味を
よく知っていたんでしょうか。

きょろきょろしながら歩いて行くと、
奥の方にお堂が見えてきました。

 


ここからが聖地中の聖地になるわけですね。
この橋から先はカメラも使えません。

以前四国のお礼参りに来た時も、
ここからの様子を絵にしましたね。



たくさん人々のいるところを、
人を省いて絵にしたのですが
今はもう写真でも人の姿はありませんね。

ではここからさらに歩いて、
お堂の裏にある弘法大師御廟に向かいましょう。

お堂の周りの道からさらに20mくらい
向こうの御廟に大使は今も
座っておられるんですねえ。

朝6時と10時30分に、
大師に食事が出されるそうです。
熱心に祈っておられる信者の姿が、
雪の中というのに熱い感じでした。

そこからさらに回って
地下牢に入っていきますと、
もっと大師に近い所に立てるのですが、
残念ながら今はコロナのおかげで
入場禁止になっています。
残念ですねえ。
またおちついたらここは
是非行ってみたいところです。

再び参道を戻っていきます。

中の橋のところまで来たら
バス停があるので、ここで
お土産を買った後バスに乗って
今回の旅を終えることにしましょう。

では何かお土産を見に行こうと、
近くのお店に行くと、
あれ~あまりお土産がありません。

一軒なんか中にはいろうとすると、
出てきたお客さんが
「ここにはお土産はないですよ」
と言ってますよ。

ああ、客が少ないので、
今は休止しているんでしょうねえ。
これはダメだと判断し、
ではここから先ほどの
千手院あたりまで戻りましょう。

もうここから帰ろうと思っていたので、
雪をよけながら歩道をすこし速足で歩きます。

携帯を取り出して確認してみると、
もう今日は1万5千歩くらいは歩いてるようです。

その後ようやくお土産屋さんに入り、
ごま豆腐やパン類を買い
3000円のお土産券を
効率よく使い買い物です。
ああ、「高野の休日」のサービス券を
しっかり消費しましたね。

さあではここからバスに乗り、
雪の高野を後にしてゆきましょう。



高野山駅に到着し、
今度はこんな切符で自宅を目指して
帰ってゆきます。



橋本までの電車はガラガラで
気持ち良くてねえ。

山道に揺られながら今度は仏教の世界から、
自分の夢の世界へ旅立ちですね。

高野山で、気持ちいい雪の景色と
人々の祈りに出会いました。

南海電車さん、
とてもありがとうございました。

 


雪の高野を訪ねて6

2021年02月09日 21時15分01秒 | 

床の間を背にして食事が始まります。

もうまるで殿様のようです。
料理を見てみると、



まるでウナギのような料理が。。

 



でも違いますね、
こんな生ものは使うはずがありません。
これは多分豆腐で作ったウナギ風料理でしょう。
そして煮ものがあって、




ユバの汁ものと



野菜としいたけの鍋、



てんぷらも野菜ですね。



あとはシュウマイのような野菜もの、



ゴマ豆腐、そしてデザートは



焼いたミカンとリンゴです。



こんな体に優しい精進料理なんですが、
恐る恐る聞いてみました。
ビールは行けますか?
と聞くと「かつっ!」としかられた
かというとそんなことはありません。

瓶ビールなら、というので、
一本付けていただきました。

庭を眺めながらと思いましたが、
寒いので閉めました。
ぶるぶる~

ビールを持ってきてくれた人に

「最近の高野はこんなにすいているんですか」

「はい。もうまるで外国人の方が
大勢こられていたのにさっぱりです。
南無阿弥陀仏」

「雪は結構ありますね」

「今年はとてもたくさん降りましたよ。
移動するのも大変なくらいで、
久しぶりでした。南無阿弥陀仏」。

コロナで大変な時に、
雪が降って来る客と言えば
こんな変なおっさんのみと
もう地獄のような状態ですね。

その後、床の間を背に

「これからの日本はどうなるのだろう」

と殿様のように考えながら
至福の時を過ごしたのでありました。

ひとつ気になったのは、
部屋の中の金屏風を開けたら
どうなってるんやろうという感じでした。
きれいどころが並んで座っていたら
仰天やでなあ、なあんて
殿様みたいな想像に笑ってしまいました。

料理も量的には多すぎるわけでもなく、
丁度腹いっぱい、胸いっぱいで終了です。

ランチを終え、寺の廊下を
迷わないように戻ってゆき、
支払いをツアーについている
3000円の食券を交えて終え、
殿様はまた高野の旅に
出かけてゆくわけです。




さあ、ここはもう大門の裏側あたりですから、
ここから奥の院の御廟所まで
歩けば高野の縦断です。
雪の道で歩きにくいのですが、
頑張って歩いてゆくことにしましょう。

雪道を歩いていると、
前から僧侶の集団が
更新するように歩いてきます。

頭を下げながら見てみると、
なんとまあ女性の若い僧の
集団じゃないですか。

女人禁制だった高野山も、
いまはそんな女性僧もいるんですねえ。

質素な僧の服を身にまとい
(いや豪華な服なのかもしれんけど)
頭を丸め寒い中をさっさと歩いて行く姿が
静かな雪の高野を進んでゆきます。

あなたがたの生きる意味はなんですか。
人の心を救うこと?
それとも自分の心を救うこと?
いずれにしても「人」という
大海の中に自分を投じて行くんですねえ。
時折出会う大きな波にも耐えて
頑張っていってくださいねえ。

そんなことを考えながら、
雪にまみれるような高野山を
しみじみと進んでいきますと、
千手院の交差点のところで
宿坊協会の前をとおります。

中では何人か事務仕事を
しているようでしたが、
寂しいんでしょうねえ。

普段ならこの辺は多くの観光客や
参拝者がウロウロするところなんでしょうが。
今は人出もあまりなくさっぱりです。
コロナは宗教にさえ影響を及ぼすんですね。

狭山池公園やみさき公園みたいに
高野山がなくなったりしませんように。

ま、それはないでしょうが。

全く人のいないお土産屋さんを
横目に見ながら通りすぎ、
一の橋のところまでやってきました。



ここから道は奥の院への
参道にはいってゆきます。

ざっくりいえば左右に
お墓や供養塔のある道に
なってゆくのです。

続く