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ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

みちのく夫婦旅8

2016年12月11日 21時32分35秒 | 最近の出来事

青森での宿泊は、
駅前のビジネスホテルに
朝飯付きのみで予約をしておきました。

なので、青森の晩飯は
どこか近くの居酒屋で
と思っていたのですが、
朝から言ってるように
ダイエットのことをかんがえたら
そろそろほんとに質素に
飯を済まさねばなりません。

そこで二人がとった作戦は、
駅でうまそうな駅弁を
一つ買って部屋持ち込み、
それをネタにぼちぼちと
食事をすることでした。

そうすることにしましょう。

でもその前に観光案内所へいって
素面のうちに明日の
観光プランを立てておかねばなりません。

本来なら八甲田山へ行って



ロープウェイに乗り、
「神は我を見放したか」
と山で叫ぶつもりだったのですが、
これだけ寒くて町の日陰部分にも
まだ雪が積もっているという段階で
そのプランは断念せざるを得ません。
本当に見放されてしまいます。

ではその代わりに
どういう旅をしようかと
考えることにしました。

とりあえず観光案内所へ
行くのがいいでしょう。

そしてそこでいろいろと相談したあげく、
明日は市内をめぐるバスを
乗り継いで、青森美術館、
棟方志功館、青函連絡船、
港町を巡ってみよう
ということにしたのです。

青森市内三昧ですねえ。

飛行機は夜の便なので
ゆっくりと回りましょう。

はい。

では弁当を買いに行きましょう
と店に向かいましたが、
しまった先に弁当を
買いに行くべきでした。
ほとんどが売れ残りでしたが、
まあなんとかこういう弁当を
買いました。



あまり質素ではなく



なんとなくコテコテそうなのですが、



バイキングや居酒屋に行くよりは
おとなしいでしょう。

ホテルの部屋に入って
風呂をすましてさあ食事です。
ビールをつつきながら、
トランプがアメリカ大統領になった
ニュースなどを眺めます。



ひゃー意外やったねえ。
これでdoironの遊び方も
大きく変わる・・・ことはないか。

しかし、文字通りババ抜きで
トランプ勝利です。って、
怒られますな。

で、あしたは棟方志功館が
たのしみやなあとか言いながら飲んでると、
ミセスはもうすぐにお休み状態に。

doironはまだ早いので、
ホテルの周りの商店街を
ぐるりと一周してから、



う~、寒い寒いと帰ってきて、



明日はポッキーの日だ
と言いながら



残りのお酒を飲みつつ
眠りについたのでありました。

リンゴのワインうまかったよ~。

で、翌日の朝飯はホテルに着いた
バイキング朝食です。

できるだけ抑えめに取りましょう。



いや、しかしイカの塩辛は
やはり美味しいですねえ。

北海道では蒸かしたジャガイモに
イカの塩辛をかけて食べる
という風習もあるそうです。

いいねえ、やってみようかな。

あ、一度塩辛を作ってみるのも
いいかなあ、なんて言ってたら
ミセスが「においは大丈夫なん?」
とやや否定気味でしたな。

とまあそんな具合にイカの塩辛に
花を咲かせつつ(くさそ~)
朝食が終わったらチェックアウトです。

今回の旅は、車じゃないので
荷物を常に持ち歩かないといけません。
できるだけ小さくした荷物を、
つい最近アウトレットで買った
ノースフェイスに詰めてやってきました。



小さく見えて30リッターと
意外に大容量。
これくらいの旅だと十分ですなあ。

そんな荷物を背負って、
きのう上野発の夜行列車に乗って
じゃなく、新幹線でやってきた青森駅前で
巡回バスに乗り込みました。



ご覧あれが青森美術館、



北のはずれと~とうたいながら
揺られていきます。

郊外に行くにつれ、
雪は深く美術館は雪の中~って
もうう歌はいいですね。

公園から眺める八甲田山も
寒そうに聳えていました。



この美術館では、青森市出身で
「おらはゴッホになる」
といった棟方志功や、
ちょっと切れ長の目の子供を描いた
奈良美智の作品群
(名前は知らなくても、
きっと見たことがあると思います)
を鑑賞するのが目的でした。

続く


みちのく夫婦旅7

2016年12月10日 22時36分36秒 | 最近の出来事

ここが三陸鉄道の横にある
JRの久慈駅ででここから電車に乗ります。



JR八戸線のまず最初は
「侍浜」という駅です。



南部藩の侍たちが入植して
開拓したということから
こんな名前になっているそうです。

でもねえ、いまはもうさみしい
こんな駅です。

降りて行った3名には
3台の車が迎えに来ていたようです。

「鮫」というのは、



なんとここの地形が沢になっていることから、
それがなまって「鮫」になったそうです。
海辺の町でなんともややこしい名前ですねえ。

線路沿いには「種差海岸」
というところもあります。



ここはねえ、あの椎名誠が絶賛する海岸で、



かれは定期的にここにきて
友達と合宿したりしていたそうです。

なんかおりて歩きながら
「ビールうまいぜ」なんて
つぶやいてみたいのですが、
まあそんなことにミセスを連れて
行くわけにはいきません。

北リアス線に続いて、
この線路もリアス式海岸を
縫うように走っていきます。

ミセスはこの八戸線も
楽しかったなあと今もつぶやいています。

乗客が結構いたので、
まあここではdoironも
好き放題にはしておられなかった分、
思い出は北リアス線より
ちょっと薄くなっていますな。

宮沢賢治は大正14年に
この八戸線に
ちょっと深刻な思いをもって乗っています。
それが何かわわからないのですが、
それに関した作品を2点残しています。

確かに、この鉄道に乗り
景色を眺めていますと、
あれやこれやといろんな思いが
なんとなく遠近感を無視して
よみがえってきそうな気がしましたね。

旅モード全開でガタガタと
揺られて進んでいくのでありました。

やがて線路は徐々に
都会方向へと進んでいき、



「本八戸」あたりから
にぎやかになっていきます。

そして終点は「八戸」です。



ここはあの北海道新幹線も
止まる駅なので
かなり今風に作られています。



電車を降りて駅を歩いていると、
八戸市出身の伊調薫選手の応援がすごい。



doironもここで一枚。

何せオリンピック4連覇。

国際大会で189連勝と
その強さは揺るぎない。





東京オリでも活躍するかなあ。

そんな八戸で降りて、
今度は北海道新幹線で
宿泊地である青森まで行くことにし、
八戸を少し歩いてみました。

まず駅前にあったのが、
この一位の木。



「八戸の木」なんだそうだ。

それにしても立派な枝を多くつけますねえ。
そしてこの木は硬くて
丈夫だそうで、
我が家にも一位の木の製品があり、
もう30年以上使っています。

ぐるっと駅周辺を歩きましたが、
とくにレスリングの土俵が
あったりとかいうこともなく
仕方なく駅に戻りました。

新幹線まではまだ時刻があったので、
駅の中にある図書館に行き、
八戸線の駅名のことなどを調べました。
そう、さっき言った「侍浜」や
「鮫」のことですね。

他にも「大蛇」なんていう駅もあったので



それも調べてみようと思いましたが、
タイムアウト。

そろそろ新幹線乗車に
向かわねばなりません。

かえってからネットで調べたけど
もう一つよくわからない名称由来でした。

さあ、ではここからは三陸鉄道、
JR鉄道に続いて「北海道新幹線」に乗ります。

来ました。



こんなに鼻の長い新幹線です。
まるでdoironの鼻のようです。
もちろん昼間に続いて、
ここでもビールを持ち込みましたよ。



夕暮れの雪国の景色を
眺めながら飲もうと思ってね。



ところがねえ、
この新幹線はほとんどが
トンネルの中でした。

そうかあ、冬になったら
ほとんど雪の中を走るようなものだから、
これはある意味
雪対策トンネルのようなものでしょう。

しかし日本中のあらゆる都道府県は
ほとんど旅をしたことがあったのですが、
青森県は生まれて初めての県です。

あと残りはというと
秋田県と山形県かなあ、
などと言いながら
doiron家の二人は青森駅に
到着したわけです。





続く


みちのく夫婦旅6

2016年12月09日 20時56分09秒 | 最近の出来事

楽しんで乗ってきた
北リアス線の旅は
「久慈」にて終わりです。



ここが北の終点です。



「ようこそ不思議の北リアスへ」だって。

駅前には北リアス線の
始まりの碑が立っています。



ああ~楽しい電車の旅でしたね。

では、ここでせっかく着いた
久慈市の見学に回りましょう。



さあてどこ行きましょうかと、
駅前の案内板を見ますと、



おっ、ここはテレビドラマ
「あまちゃん」のロケ地だったようです。

見てなかったけどね。

で、観光地はどこかあるかなあ
とみると、「じぇじぇじぇ~」
なんかいっぱいありますよ。



特にこのつりがね洞は



かっこよさそうですが、
ちょっとそこまでいくほどの
時間はありません。

ちょっと一歩だけ踏み出してみようと、



キャラクターも言ってますので、
ここでは近くに道の駅が
ありそうなので行くことにしました。



途中、こんなお店もありました。



ご当地の「まめぶ汁」のお店ですね。

そのときはフーンと
見ただけだったのですが、
先日の東京で行われた
B-1グランプリに出ていたことが
放映されていましたねえ。

残念、食べてみたらよかったです。

たどり着いた道の駅・くじには



大きなねぶたのような
飾りもありました。



そしていろいろ見ていると
「ぶすのこぶ」などという
おかしがお土産によく売られています。

ブシという名のアイヌが住んでいて、
窪地にかにの卵が黄金色に集まるから
「ぶしのこぶ」という
お菓子が生まれたんだ
と書かれてありました。



アイヌの人たちは狩猟とかで
この地に来ていたんですかねえ。
お菓子の名前の奥には、
深い民族物語が隠れているんですねえ。

これは思わず買って食べてみました。



おいしかったなあ。

さて昼食ですが、
この日は朝からバイキングであったし、
三陸鉄道の中では
ビールとホヤにまみれましたので、
これはもうさすがにお昼は、
わんこそば食べ放題
などはやめておきましょう。

結局買ったのが、
道の駅の中で食べる

「ホヤめし」「ウニめし」



で、販売テントで買うことにしました。

こんな弁当でお昼を済ませます。
まあ、うまかったけどね。

ここで売られているもので
気になったのが「琥珀」です。



この久慈というのは
琥珀の産地としても
知られています。

琥珀とは天然樹脂の化石というものです。
樹液などが固まったもので、
映画ジュラシックパークでは、
この琥珀の中の動物の遺伝子から
生み出した恐竜がテーマでしたね。

ま、実際にはそういうことは
不可能だそうですが。

でもそんな風に、琥珀には
「虫入り琥珀」というのが
たまにあるようですね。

doironが今回取材した中にも、
虫入りがたくさんありましたよ。



でもね、注意しないといけないのは、
後で作った虫入りというのも
あるようですから、
きちんとしたお店で買わないといけませんね。

そして琥珀の中でも高いのは
「ブルーアンバー」というもので、
紫外線によって青く発色するものも
あるそうです。



勉強になりましたねえ。

宮沢賢治は物語の中に
何十回も琥珀を登場させ、
朝の色、夜の色とかを
表現しているようですね。

じゃ、これを知り合いにお土産に・・・
って、無理やろ~。

こ、これはちょっと高級すぎますね~。

そんな道の駅の帰りには、
ちょっと小高い丘があったので
寄ってみました。

そこには、久慈市内を見渡せる
展望台と「巽山稲荷」がありました。



これがその展望です。



なかなかの都会ですね~。
doironが住んでいる
泉O津くらいですかねえ。

え、ではそろそろ久慈から
八戸に向かう汽車の時間が
迫ってきましたので、
駅に向かっていきましょう。

こっからの予定としては、
JR八戸線で久慈から八戸に向かいます。

今日の宿泊予定は青森駅前の
ホテルですから、
その八戸からは北海道新幹線で
青森駅へと向かうことになるのです。

JR線、三陸鉄道線、代用バスと
乗り継いでここまでやってきて、
ここからは北海道新幹線と
交通機関のバリエーションは
なかなかのものでしょ。

まあ、予測通りに旅は続いています。

ここから乗る八戸線も
なかなか景色もいいところですし、
何といっても地名なんかも
不思議なところが多いですねえ。

たとえば「侍浜」とか「鮫」とかね。

では、汽車に乗り込みましょう。

続く


ドジ旅日記南海孤島の陰謀7

2016年12月08日 21時29分38秒 | ウォーキング

さあて、何とか渡り切った
我々であったが、
あの役行者のいるところへ
行くにはどう行くのが近いだろう。

ジダンは最初、島そのものを
右側から行くのがいい
と言っていたが、
どうも進んでいくにつれて
道はなくなっているようだ。



う~ん、このまま進めば
陰謀に巻き込まれそうだ。
はてさてと頭をひねるジダンだったのだが、
結局は道標の「観念窟・岬の行者尊」を
目指して左側から回っていくことにした。



どんどん山を登っていくと、
途中「虎島堡塁」という施設に出る。



まあ中身はこれまでの砲台と
よく似たものである。
でもねえ、ここで一つ疑問がわいたのは、
こういうところで働いていた軍人は
食べ物はどうしたんだろう。
そしてもっと困るのは、
水をどうしたんだろう
ということだ。

閼伽井という井戸が、
島の端っこにあったが
そこから持ってきていたんだろうねえ。

いやあ、これはなかなか大変な
作業だったに違いありませんね。

そんな堡塁をすぎて、
さらにこの島の東のほうに
進んでいきます。



どうもこの辺りに「観念窟」が
あったのではないか
という場所に行った時です。

おお~
な、なんとここにりっぱな
「役行者」さんが座っています。



これが「岬の行者尊」なんですね。

この島には第一行場と
第二行場があるというのは
聞いていましたが、
岬にこんな立派な役行者がいた
とは想定外でしたねえ。

遠く海のほうを眺めながら
どっしりと座っておられました。

友ヶ島もなかなかのものですねえ。

そのあたりに、
行場へ降りていく鎖が
あるはずなんだが、
とジダンが探していましたが
結局見つからず、
観念窟や序品窟には
行けずじまいでした。

また次の機会を持ちましょう。

今回はこの石の行者さんを
見ただけで胸がいっぱいに
なってしまいました。

ではまた桟橋まで帰りましょう。

桟橋途中の石はというと、
まだ沈まずにありましたが、
岩と岩の間には
水が張っているところもありました。



逆に大潮の満ちた時には
もしかしたら危ないかもしれませんね。

まあ、今回はそんな南の海の陰謀には
まかされずに済んだようです。

途中、こんな「閼伽井」の碑があったり、



慌てて寄った第4砲台もみて





2時前にはもう港に着くことができました。



船が来るまでは
もう少しありますが、
ビールを買うような店もないので
のーんびりと待ちました。



店から一台の車がやってきて
水道タンクをいっぱいおろしています。
ああ、これで水を補給しているんですねえ。

電気なんかは海中ケーブルで
来ているようですが、
水道はまだのようです。

で、この車のプレートを見てみますと、
私有地を走る車ですから
道交法関係ないんですねえ。



バックにはこんな
プレートナンバーをつけていました。



それにしても、
みなさんなんかビールもなくて
ちょっとしんみりしていましたな。

これははやく加太へ渡らねばなりません。

そしてようやく来た船に揺られて
加太に帰ったら、





まずは加太の小さなお店で乾杯。



そしてそのあと岸和田の餃子屋さんにもより、





こちらで打ち上げをして
帰った4人でした。

それにしても、友ヶ島は
様々な思いが充満する島でした。

いろんな思惑が交じり合って
我々の渡航を止めていたのかもしれません。

いろいろと歩き、
勉強しつつ様々な面で
お友達となり陰謀を打ち砕いてきました。

いやあ、なかなか楽しい歩行でしたね。
参加してくれたあぶさん、セイゾー君、
お疲れさまでした。

またこれからも何かの機会がありましたら、
ドジ旅にお付き合いくださいね。
最後に何とか頑張って撮影した
「めでたい電車」を紹介して





今回のドジ旅南海孤島の陰謀、
これにて終了です。
あ~めでたい、めでたい


ドジ旅日記南海孤島の陰謀6

2016年12月07日 21時27分54秒 | ウォーキング

しかしこういう砲台なんかは、
山の地形を利用して
作られたのかなあ。

それとも山を削ってまでして
作られたのかなあ。

なかなかの工事だったと思います。

そういえば、この島には
もう一つ変わったいわれがある。

それはねえ昔の海賊

「つむじ風剛右衛門」

が財宝をこの島に隠してあるという話だ。
まだこの島から財宝が見つかった
という話はないから、
きっとどこかの山の中に
こっそり眠っているのだろう。

山中にあるこんな洞窟なんかも
しっかり眺めてみる必要があるだろう。



ちなみに、この洞窟はゴミだらけでした。

そうしてしばらく歩いていくと、



道は最初に上陸した
野奈浦桟橋の近くに出ていきます。



当初の予定ではやはりここで
もう帰路につかねばばらないような
時間だったのですが。
この日はどんどん船が出ています。

時間的にはもう少し余裕がありそうなので、
やはり当初の予定通り
虎島へと行くことになったのでした。

和歌山市で20年間市議会議員を
やってた人で、あの「役行者」に
興味をもって各地を旅した人がいます。

その人が2003年に
役行者の足跡に迫る
という本を出し張りました。

その本と図書館で出会い、
借りて読んでみたところ
友ヶ島の虎島に行った時のことが
書かれてありました。

虎島は沖ノ島の陸繋島で
小さな岩場でつながっています。
そこへ行くにあたっては、
大潮の日で潮が大きく引く日にしか
行けないようなことが
書かれてありました。

そこで過去3度この島に行ってる
ジダンに聞いてみると、

「僕がいったときは、いつも全然普通に渡れるよ」

というではありませんか。
ということはたまたまジダンは
大潮の日に行ったのか、
あるいはその本の出た2003年以降に
道が整備されたか、あるいは
ただ単に警告して注意させようのどれかである。

陸繋島だから、
さらに砂が詰まったということも
あるかもしれない。

ここへ渡ってくる船から見たら、
どうにも危なさそうな道であるのだが、



ジダンがそういうので、
まあ一度そこへ行ってみることにしたのだ。

途中は山をいくつか超えていった、



途中にあったのが、
この沖ノ島に東側にある
「神島」の遥拝所だ。





一話で言ったように
もともとこの島に神様が祭られていたのだが、
仁徳天皇がそれじゃお参りが不便だろうと、
加太に神社を立てて
祀るようになったのが「淡島神社」だ。

人形の流しびななんかで有名なお寺で、
この寺が移動させられたのが
3月3日だったため、
今も桃の節句は3月3日だといわれているそうだ。

今の我々の生活と
深く関係しているいわれがあるのだ。

そこでしっかり遥拝し、
さらに進んでいきます。



この辺りまで来ると、
大量に押し寄せる観光客たちも
あまり姿を見ないし
自然環境も変わるのか
植物なんかもあの
「ナルトサワギク」は少なくなり
旧来のツワブキや



アザミが目立っているのだ。



おお~、山椒なんかも生えていたり



蛇もいるんだって。



帰りの時間も考えながら
歩き続けていると、
やっと景色が開けてきました。



そこにあったのが虎島の案内板です。



そこには「潮が引いた時以外は
渡れないのでご注意ください。」
と書かれている。

ということはどんな道なのだというと、
こんな感じで続いていた。





う~ん、微妙だなあ。
石はさほど濡れていない
といっても湿ってるしなあ。



岩の間にこんな生き物もいるしなあ。



でもまあ、ここは陰謀との戦いである。
もし湿って帰れなくなっても
周りが浅いし何とかなるだろう。

陰謀には打ち勝つのだ、
とか言いながら
こんな岩の上なんかを
結局わたることにした。

お、こんなところに砲台から
打ち込まれた砲弾が・・・



と思ったら、フグの骨でした。

へ~、フグってこんな骨に
なってるんやあとか言いながら、
こんな狭いところを
わたっていく我々でした。

続く


ドジ旅日記南海孤島の陰謀5

2016年12月06日 21時26分29秒 | ウォーキング

カコーン、カコーン。

聴音所で海の底のマイクに入ってくる
自然の音を聞くだけ
というのはかなり滅入る仕事でしょうねえ。

崩れかけた天井、



木などに覆われくたびれている
レンガの壁なんかにも、



彼ら軍人のやるせない思いが
染みついているようです。

doironもここで静かに耳を澄ましてみましょう。

「ぐぐ~」、おお~聞こえます。
こ、これは当時の軍人の雄たけびか
いや、違います
どうやらおなかがすいたようですね
ではこの後で出かける休憩所で
昼食ということにしましょう。

その次に向かっていくと途中に、



こんな展望所がありました。



いやあたくさんの観光客たちが
来てますねえ。

そして見つけたのが
こんなポケモンGOの張り紙です。



そういえば加太のフェリー乗り場にも
貼ってありましたねえ。



こんなかつては地図にも
載っていなかった島に、
おもちゃ会社は怪物を
配置しているのでしょうか。

例えば、頭にタオルを巻きつけた
「ピカチュウオジサン」とか



「オシッコイキタイGG」とかねえ。



いやあ、南の島だけではなく、
世の中そのものもわからなくなりそうです。

で、この上にある展望台を
目指しましょう。

途中、関空のレーダー基地を



横目に見ながらこんな
「タカノス山展望台」に出てきます。



ここには三角点が置かれています。



友ヶ島は和歌山と
淡路島の間にあって
貴重な三角点です。
ブロックで囲まれた中に
埋められていたのは
標高119.90mで
種別は和歌山県全体ででも
14本しかない一等三角点でした。



わーい、残念ですが触れません。

国土地理院の陰謀です。

仕方ないのでその横で食事です。
もともと歩きの時の
doironの食事は、
おにぎりだったり弁当だったり、
あるいはカップ麺だったりと
超豪華なんですが、
ドジ旅の時の食生活は
非常に貧しいものがあります。

以前なんかは「山よりダンゴ」
といったお菓子で
済ませたりしていました。

これはたぶん、歩き終わってからの
ビールに備えての節制なんでしょう。

横ではセイゾーや
あぶさんも食べています。

アブサンのリュックから
ビール出てくるのかなあ
と思っていたのですが、
残念ながらありませんでしたねえ。

持っていたけど出せなかったとか。

あるいは島の陰謀との戦いに
緊張でもしているのでしょうか。

まあ、次回参加の時には
出てくることを期待しましょう。

さて、doironとジダンの食事はこれです。



上がジダンのパンで
下がdoironの生どら焼き。

え~っと、二割引きと20円引きでは
どっちが得でしょう。

う~ん、この計算はむつかしいですねえ。

しかもパンにはヤマザキパンの
ポイントが付いていますし、
どら焼きにはリラックマグッズの
ポイントが付いています。

これはもう頭を混乱させようとする
島の陰謀に違いありません。

しかし混乱する頭を抱えながらも
我々は次へ進んでいかなくてはなりません。

この展望台を降りたところにあるのが、
この島最大の見どころである、

第3砲台です。



ここにはこんな地下道があったり、



丸い穴の開いた砲台跡や



その弾薬庫が複数並んでいます。



特に弾薬庫は、
ライトがないと中に
入っていけないような状況です。



ジダンが先に指示して、
我々はライトを持ってきていました。

こうして弾薬庫を見ながら



大慌てで写真にもできないほど
驚くdoiron。



いやあそれは「したい放題」です。

そして地下道の中を写真に撮るジダン。
これは「撮りたい放題」です。



いやあしかしまあ、
ほんとに地下の暗闇の中から
ロボット兵が出てきそうだ。



そしてこの先には将校たちの
住まいがある。



床の間もある日本間なんかも
備え付けられていて、
なかなか高級そうだ。

この前できっと多くの陰謀が
画策されたのだろう。

続く


ドジ旅日記南海孤島の陰謀4

2016年12月05日 20時55分05秒 | ウォーキング

そんな複雑な過去や
防衛上の目的から、
友ヶ島は地図上にも
記載されなかったと
いうこともあったそうだ。

当時にはドジ旅も無理だったわけですな。

島の持つ巨大なエネルギーの残像が
この島内には数多く取り残されている
といっても過言ではないのである。

はい。
では、この第2砲台跡を眺めてみよう。



ジダンに誘導されて
少し高い位置にのぼって行きますと、
この砲台が見渡せます。



たくさんの木に囲まれて、
レンガを積み上げた建物がいかめしいですな。



で、この砲台も含めたこの景色が、
実は今の友ヶ島観光大流行の
原因になっているのだ。



それが、宮崎駿のアニメ映画
「天空の城ラピュタ」の景色に
よく似ているということから
火がついたのだ。



まあ、ここへきて崩壊の呪文を
唱える若い奴はもう何人もいたでしょうな。

雲のように浮かぶラピュタで
動きまわるパズーとシータ。
いつもの宮崎作品より
使った色の数は多かったそうで、
そんな映像もきれいだったが、
この映画でdoironが
最も好きだったのは音楽だったな。

作った久石譲関連の
コンサートまで行ったくらいだからね。

え~、ちなみに我が家は
「場末の城アホカイナ」ですがねえ。

それにしても「南海孤島の友ヶ島」
いやあ、様々な面から
人々をとりこにする島ですなあ。

しかしここの砲台は
近づいてみると崩落が激しいようで、
中には入ることはできなかったな。



見晴らしのいい場所で、
多くの自然にさらされ朽ちていったのでしょう。

山で自然にさらされつつ
頭髪を朽ちさせて行く誰かのように・・・。



では次の場所へと回っていきましょう。

次はこの島西端にある
「友ヶ島灯台」です。



前回も書きましたが、
諸外国との交渉の中で建てた灯台で、
洋式灯台としては日本では
8台目の灯台となる。

明治5年というから古い。

で、今も現役で働いているそうだから、
それはなかなかすごい。



その灯台の横には第一砲台がある。



この砲台のあったところが
ちょうど以前灯台のあったところだ。



明治23年に砲台を作るがために
灯台は少し場所をかえられたそうだ。

砲台1番、灯台2番の扱いである。

ここには戦いに備えた人間の
欲望や陰謀がかつて働いたのだろうて。

それらの施設から
まだ少し西に下りてゆき、



海辺への坂の手前にある広場が
「日本標準時子午線」である。



東経135度00分00秒が
そこを通っている。

行ってみれば日本標準時の
最南端の陸地である。

以前は丹後の方の最北端にもいったから、



な、なんとこれでdoironは
標準時子午線を征服である。

日本はdoironを中心に
時間が進んでいくことになるのだあ。

などと馬鹿なことを言ってるうちに
置いて行かれそうになるので
急ぎましょう。



この辺りは孝助松海岸です。



親孝行の船員が
この木につかっまて助かったという場所
た、多分この木かな



次は旧海軍聴音所跡です。
山道を歩きつつ
不意に右に現れる山道を
登っていきます。



こんな山道をぐいぐい上っていきますと
現れるのが、この施設です。





潜水艦などの侵入を察知するために
作られた施設だそうです。



もともとこの島が砲台や灯台などで
騒がれはしていましたが、
ここが聴音所後だと分かったのは、
まだ今から15年くらい前の
新しいことです。

かつては何もかもが
秘密にされていた
軍事施設だったからでしょうか。

それともそれとわかるような
人間を拒絶し続けた
島の陰謀だったのでしょうか。

以後、いろいろと調べてみると、
ここから海の中にマイクを3つほど突っ込み、



その音を聞いていたそうです。

まあ、一度も潜水艦が来た
とういう事実はなかったのですが、
普通の船なんかもあったでしょうから
気を遣う仕事だったでしょうねえ。

ここは鉄筋二階建ての、
かなり老朽化した施設でしたな。



続く


ドジ旅日記南海孤島の陰謀3

2016年12月04日 21時18分21秒 | ウォーキング

上陸した場所は、
予想ではもっと明るい広場を
想像していたのだが、
何となく木の生い茂る広場であった。

ジダンはかつてこの広場で
インドクジャクを見かけたという。



うう~さすがに南海の孤島、
インドクジャクの生息地ですか。

ではなくて、蛇退治のために
3羽放たれたそうだ。
今いるのはオスばかりで、
メスも放たれたのに
今はいないという。

海の家近くに住んでいるのは
名前もついていて

「ポップ君」

というそうです。
いやあ、そうこの島は、
インドクジャクのほかにも
動物的にもちょっと変わったものがいる。

例えば「ハナシカ」というのもいる。

「え~まいどお忙しいようですが・・・」
と話し始めるんではなくて!
「タイワン鹿」の一種であります。

実物はみませんでしたが、
それらしいフンは転がっていたようです。

この島ではこの鹿を「トモガシカ」
と呼んでいるようですな。

山の木の上なんかをちょろちょろするのは
「タイワンリス」で、
これは結構数的にも多いようだ。
餌の松ぼっくりも食べられて
こんな形でいっぱい転がっていましたし



今回も遠くにちらっと
その姿を確認しましたね。



こういう半野生動物がうろうろするのも、
犬とかがいないからですかねえ。

タヌキやキツネなんかも
いないのでしょうねえ。

そこには島を荒らすような
生き物は寄せ付けない
というこの島の陰謀が
強く働いているのでしょう。



あ、最近はイノシシの目撃例も
あると書かれていました。
泳いで渡ってきたんですかねえ。

だいたい、じっくり歩くと
約10キロのコースが作れるこの島、
動物以外に何があるのか、
どういう陰謀が渦巻いているのか、
では各地を歩きながら探索していきましょう。

最初は島の西側に向かって
歩いていきます。



この港のお店も今日は空いていません。

陰謀ですか。
ていうかいつも空いてるのかなあ、
その辺の生態もよくわかりませんな。

ジダンの情報ではここには
ごみ問題など大変厳しい女性が
住んでいるとの情報だったのですが、
今日はいないようですねえ。

どこか山陰から我々を
監視しているのかも
しれませんので気を付けましょう。

ここには黄色い花が沢山咲いています。



これは見事やなあ、と思っていたら
な、なんとこの花「特定外来生物」に
指定されている「ナルトサワギク」でした。

その繁殖力は強く
日本の野生植物の自生を
阻害していくそうで、
こういう植物の繁殖もまた
この島がそれとなく外来からの
侵入を阻害しようとしている
陰謀の原因にもなっているんでしょう。

歩いていくとなかなか広い
山道なんかも続いているようで、
散策者用に整備したものか
と思っていたのだが、
実はそうではなくて、
後でわかるのだが
これにも理由があるそうだ。

そして歩き始めて約10分。
最初に到着したのが
「第2砲台跡」というところでした。



この砲台って何でしょう。
じつは明治時代に旧日本軍により、
外国艦隊の大阪湾への進入を
防ぐ目的で、沖ノ島内5箇所と
虎島に大砲を打つための
砲台や防備衛所が造られているのだ。

大阪湾へのロシアの船の侵入、
下関戦争などが起こり
長州藩が惨敗したことで、
その講和でここに灯台が
明治5年に建てさせられたこと(後で登場)、
そんな時期があったのちに
明治23年に砲台も設置した
という経過がある。

日本と外国とのやり取りの姿が、
実はこの島にもきっちりと
残っているわけだ。

実際これらの施設が敵に
砲弾を浴びせたということは
なかったらしいが、
今もその施設の痕跡が、
島内に多く残っているという。

ああ、島内の山道が意外に広く



整備されているのも、
こんな砲台などへの砲弾や
燃料などの資材の運搬目的が
あったからですね。

そういえば、船を下りたところに、
巨大な砲弾がおかれていましたね。



旧日本の陰謀が渦巻いていた
島であるという警告だったわけですね。

続く


ドジ旅日記南海孤島の陰謀2

2016年12月03日 20時49分40秒 | ウォーキング

もともとジダンの計画では、
9時の高速船で島に渡り、
13時30分の便で帰らないと
そのあとの便では
遅くなってしまいますので、
5時間くらいのコースを
4時間半くらいで回るような
おじさんの陰謀を組んでいました。



ではそんな計画に合わせていきましょう・・・
と思っていたら、



ついたフェリー乗り場は大渋滞。



ネットで流されていた
割引券を印刷して持ってきていた
セイゾー君が切符を買ってくれたのですが、



今日はなんとフェリーが
次々動く大ふるまい状態ですから、
帰りの乗船時間は
そんなに深刻に考える必要は
なさそうだったのです。



まあ、行ってみればこの
南海孤島の陰謀と
思う存分戦って来い
ということなのでしょう。

さあ、それでは友ヶ島から
帰ってきたフェリーに乗り込み、



いよいよ我々は長年の
望み通りにこの島へと
向かっていくのでした。

そうそう念のため言っておきますが、
友ヶ島と我々は言ってるものの、
じつは友ヶ島という名前の
島はないのです。

地ノ島、神島、沖ノ島、虎島4つから成る
群島を合わせて友ヶ島というわけですね。

う~ん、せっかくですから
四天王の名前だったら
もっと面白かったかもねえ。

我々が乗った加太漁業組合が
作る友ヶ島汽船フェリーが
到着する島は

「沖ノ島」です。

ほぼ満員の状態で
フェリーは進んでいきます。

屋内の座席もあるのですが、
外があまりはっきり見えませんので、



外に立つことにしました。

うう~海の風は冷たいぞ。



それでも、フェリーは
南海上を気持ちよく進んでいきます。



右に見えるのが地ノ島で、
左が上陸する沖ノ島で、
真ん中がその沖ノ島とつながる
陸繋島の虎島です。

波も優しく一見とても
平和そうに島々は我々を
迎えるのでした。

それにしても地ノ島の地形というか
地層は複雑そうですねえ。



でもあんな地層を見るだけで、
この島がどうしてできたのか
きっとわかるのでしょう。

そして左には虎島が見えてきました。

今日は沖ノ島に上陸した後、
沖ノ島島内をめぐり、
最後にこの島に不安定な岩場を
渡りやってくる予定です。

その島の岸壁に刻まれてある

「五所の額」

がもうすぐ見えてきますね。
おお~あれです。



江戸時代の蘭学者「李梅渓」という人が
刻んだ文字群です。

どんな感じに書かれてあるかというと、
ネットで見るとこんな感じ。



大きさはというと
こんな感じだそうです。



書かれてあるのは、

「禁殺生穢悪・友島五所・
観念窟・序品窟・閼伽井・深蛇池・剣池」
という文字列。

まあ行ってみればこの島を荒らすなよ、
みたいなことが書かれてあるわけです。

もうこれだけでもこの島が
いかに強い陰謀を持っているかが
よくわかりますよねえ。

でもねえ、考えてみたら
それだけじゃないんです。

よく考えたらこの島、
実に様々ないわれが
深―く練りこまれてあるのです。

例えば、この島のうち
沖ノ島の外にある「神島」には
神話において日本を創造した
と伝えられる少彦名命
(すくなひこなのみこと)と
大己貴命(おほなむじのみこと)の
祠が祀られたとされており、
それを祈るために
対岸の岸に社を設けたのが、
加太の淡島神社の始まりとなっている。



したがって全国に1000以上ある
淡島さんの、そもそもの根源が
この友ヶ島に練りこまれている
ということだ。

おお~なんという神々しい背景を
持っている島なのだろうか。

さらにまたこの後現れる、
修験道の開祖といわれる

「役行者」



が一番、二番の行場を開いているのも、
この島であった。

今の観光シーズンの姿からは
想像できないような
さまざまないわれを孕んだこの島。
島内各地での厳しい戦いに
さらに気持ちを改めて、
友ヶ島唯一の船着き場に
ついに我々は上陸したのである。



便所はどこだ~と叫びつつ、続く。


ドジ旅日記南海孤島の陰謀1

2016年12月02日 21時26分57秒 | ウォーキング

東北旅の途中ですが
ジダンのブログでもう
ドジ旅日記が始まりました。
なので、こちらも東北を少し中断して
ドジ旅を始めてみたいと思います。

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doironとジダンのドジ旅も
もう今回で第6弾目となる。

柳生一族、近江商人、明日香人、
梅雨前線、巨大生物の陰謀と
続いてきており、
二人が駆け回る陰謀の世界は
あのスターウォーズさながらの
大迫力でこれまで世間を騒がせてきた。



で、今回はついにこれまで
我々を寄せ付けない迫力で
南海にそびえていた
あの友ヶ島の探索となるわけだ。

そもそもこの旅は我々の
第2弾となるはずだったのだ。

しかあし、この南の島の陰謀は恐ろしかった。

強烈な台風で我々の渡航を跳ね返し、
忍び来る病魔を我々に投げつけもしてきた。

doironも一時は死の淵を見る
病気にまでさらされたのだが、



仲間の手厚い介護や
最前線の医療技術のおかげで
なんとかこの激しい戦いとの
熱い思いを抱いたまま
ここに至っている。

しかしかつてそんな絶壁の孤島、
極限の断崖絶壁を持つこの島も、
今となっては、大勢の観光客に
名前を売り、あの激しさも
どこへやらという具合に、
大勢の人々を平気で
飲み込んでいるらしい。

かつてのあのおそろしさを
うちにひめたままにね。

いつかその大きな力を発揮して
何かを起こすかもしれない。
なのでこんな時こそ
我々がここを訪れ、
数々の陰謀を封じて
回らねばならないのである。

今回のメンバーはいつもの
ドジ旅二人に加えて、
前回巨大生物の陰謀と
一緒に戦ったセイゾー君、
最近目からウロコの落ちそうになった
あぶさんの個性派二人も加えた



ドジ旅最強の4人で挑むことになったのだった。

四人は電車で合流し、



はるか南海の孤島を目指し
進んでいくのであった。

南海電車ではまず「紀の川」の
駅まで行き、



そこで加太線に
乗り換えるのだ。



で、この加太線には
愛称がついている。
それが「加太陰謀線」である。

じゃ、なかった「加太さかな線」である。



社員たちもこんな前掛けを
つけて仕事してはるし、



各駅の飾りつけも熱心にされている。





いかにも魚が新鮮でうまいですよ~
という触れ込みである。

それにこの電車は愛が多すぎる
とか言っても宣伝されていますよねえ。

しかしこれに騙されてはいけません。
これもまた友ヶ島が人々を
寄せ集めようとしている
陰謀の一つかもしれません。

外見は派手に彩色していますが、
中身は普通の南海電車ですからね。

おっ、和歌山県立和歌山工業高等学校
産業デザイン科の生徒の皆さんが
制作した木でできた観光駅名看板は
素敵ですねえ。



そんな景色を眺めながら
紀の川駅から約20分で、
電車は加太駅に到着だ。



いよいよ近づいてまいりました
友ヶ島です。

駅でしっかりトイレをすました我々だが、
加太にわたるフェリーの
乗り場にもトイレはあるだろうかと心配です。

いやいや、海だからトイレなんか
どうにでもなるよと囁くdoiron。

いやあ、もう島の陰謀が
doironの心を犯し始めていますなあ。

ジダンが観光案内所にある
友ヶ島の地図を見つけました。



この写真の右側が
かつての案内所で
こちらが案内書の新旧復元図。



中身は同じなんですが、
いやあ、新しい地図には
女性が印刷されていますねえ。

若い女性も気軽に行ける島ですよ~
と案内しているのです。

これもまたここへ行けば
きれいなおねいさんたちが
来てるぞとおっさん連中を
迷わせる陰謀のひとつとして
作り返したにちがいありません。

また駅前にはこんなお店も待っています。



戦いの後にビールが待っている
何が何でも帰ってこなくてはと、
誓い合いつつフェリー乗り場を
目指して古い加太の街並みへと
入っていくお二人なのであった。



そうそうここ加太は
淡島街道が通過する地点だ。
道標がいくつも立っている。







それらを眺めながら、
我々はまもなくフェリー乗り場に到着です。

続く。