八甲田はやはり青森県民の山ですねえ。
郊外にデデーンとそびえていました。
いつか夏の気候のいい時にでも
行けたらいいなあ。
そしてこの施設の横に
浮かんでいるのが
あの青函連絡船の案内船です。
ではこの施設に次に歩いて
行ってみましょう。
船の名前は「八甲田丸」といいます。
もう船としては就航しておらず、
内部をいろいろ改造して、
当時の船のことを学べる施設になっています。
有料なんですが、
まあせっかくここまできたんですから
入っていきましょう。
まずは入り口で船長さんが
案内してくれます。
帽子が小さくて・・・。
当時船の中には物産展もあって
こんなおばさんが店を出していたそうです。
こ、これは当時この船に
現れた恐怖のオーメンおじさんです。
首、回りすぎやろー。
こ、こんな酔っ払いおじさんも、
なんかどこかで見たような・・。
いろんな当時のものや、
船のグッズがあちこちに展示されています。
案内を読んでみると
いろんな船が走っていたようですねえ。
覚えていると言ったら
「羊蹄丸」かなあ。
それと昭和20年の終戦間際に
アメリカ軍に襲われ、
350人以上の死者を出しています。
まあ、真珠湾でのアメリカ人
3600人の十分の一なんですけどね。
それにしても安倍さんも
ここへ行くのですね。
まあ、違う意味での
「ニイタカヤマノボレ」ですね。
きっといい話で「トラトラトラ」と
帰ってきてほしいですね。
この八甲田丸に社内には、
今も電車が積まれたままです。
いやあ、こんな感じで
電車を運んでいたんですねえ。
ちょっとびっくりしましたね。
それにしても船って大きいんやねえ。
あ、でもどうなんでしょう。
当時、電車で青森についた乗客は、
電車ごとこの船に乗ったのでしょうかねえ。
いやあ、その辺のことは
よくわかりませんでした。
さあ、そうしてこのいろいろと
教えられた船から、
下船するころになって
雨が降り始めました。
まあ、ほとんどの観光が終わった後で
よかったですねえ。
この後は青森空港に向かい、
夜の飛行機で帰阪です。
左右二列のJAL飛行機。
そうそう昔はあまりパイロットの
メッセージなんかも聞けなかったけど
このごろはよくしゃべりますねえ。
折に触れアナウンスが入ってくるので
なんとなく安心感がありますねえ。
あっというまの三日間。
もう親も犬も迎えに行くことはありません。
ご近所留守番を頼んだ
ご近所にお土産を届けて旅は終わりました。
今回の旅では、
東北の様々な鉄道事情を見ました。
地方のJR、頑張っている三陸鉄道、
豪華な北海道新幹線。
そして、宮古や久慈、八戸といった
あまりよることのなさそうな
街の様子も見てきました。
まだ、地域では熱心な
復興作業も行われていましたねえ。
また、青森出身の芸術家たちの
息吹にもゆっくり触れることのできた、
なかなかいい旅だったかな。
みちのく夫婦旅これで終わりです。