ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

家庭菜園2013

2013年07月11日 20時59分18秒 | 生活

隣の家の人から
「うちの会社の土地が遊んでて
水も来てるからよかったら畑に使ってくれていいよ」と
お話をいただいてました。

仕事も辞めて、介護はあるものの
時間的な余裕もあったので
かなり心を動かされましたが
それにかかりっきりというのもできないだろうし
それこそ旅行にも行けないなあと思い
やむなく断っていました。

でもやはりそういう自然の恵みを
いただくことには興味もあったので
最近はせっせと狭い庭での
家庭菜園に精を出しています。

最近収穫したのがこれ。



ミニトマトやね。

色々と植えているので
鉢も足りなくなってきたので
お米の袋でこんな風に育ててみたら



意外にこれが大成功。
なかなかお手軽でしょ。

毎日2、3個採れるので
おいしくいただいている。
せっせと抗酸化作用のあるリコピンを摂取し
生活習慣病予防だもんね。

そしてこれは「はつかだいこん」



もっとしっかり育てるつもりだったのですがね
これを植えていると
モンシロチョウがいっぱい集まってくるんですわ。
今年初めて植えた野菜なのに
まだ花も咲いていない時から
どうやって他の野菜と区別して
やってくるんでしょうねえ。

気が付いたら青虫に
葉っぱをモリモリ食べられていました。

あまりに青虫がいっぱいつくので
他に被害を及ぼしてはいけないと思い
残念ながら途中で栽培を断念。
すべて抜いてしまい、一気にいただきました。
ポリポリとそれなりに
おいしかったです。

で、今年も植えてまもなく収穫を
迎えようとしているのが
恒例の「ゴーヤ」



今年は朝顔と混在させて
圓通寺の混ぜ垣さながらに
緑のカーテンをさらに密にしようと思っています。
その朝顔も、もう咲いています。



さらにさらに、最近植えたのがこれ。



この写真だけで何の野菜か
わかった人は相当「通」ですねえ。
doironは大好きです。
あのヌルヌル感と翌朝のトイレの爽快感
う~ん、夏はこれですねえ。
そう、栽培2回目となる「オクラ」です。

そしてこれはどうですか
葉っぱを見るだけで
想像つきませんか?



そう、あの辛い野菜の
「赤トウガラシ」です。

水遣りを欠かさずしてさえいれば
実ってくるはずです。

大がかりに畑を耕さなくても
doironにはこれが似合いやな。

ささやかな収穫が今から楽しみだわい


フリーライター始めました

2013年07月10日 21時20分20秒 | 仕事

え~っと、タイトルはなんだか
街の中華料理屋さんで
「冷やし中華 始めました」みたいな感じですねえ。
ま、それくらいのノリで
新しい仕事が滑り出しました。
前から、できればいいなあと憧れていた仕事です。
その名も

「フリーライター」

クライアントの求めに応じて
文章を作成し、
それに対して報酬をいただくというものです。
完全歩合制というか
原稿一本いくらで買い取っていただくような感じね。
やればやるだけ報酬は増えますが
なかなかそういう仕事は
待っていてやってくるものではありません。
手を替え、品を替え
自分を売り込んだり
アンテナを張り巡らせて
声をかけていったりしてやっと
仕事がやってきます。

そしてそうしてしっかりとした仕事をしながら
実績を積んで行くと
人つながりでも仕事をいただけるようにもなってくるものです。

と、思います。

頼りないことではありますが、
だってこの業界は全くの未知の世界。
これからかき分けていくしかないもんね。
とはいえ、貪欲に人を押しのけてでも
かき分けていこうという気もないけどね。
自然体でとりあえず歩いていきます。

以前、ジダンプロデュースの飲み会に参加した時
フリーライターの人が一人参加されていて
名刺をもらっていました。

神戸在住のその人の名刺には
実績とともに、自分の仕事の範疇が
幅広く掲載されていました。
社内報や雑誌の取材・執筆
ホームページや単行本、広告記事の企画・執筆
等々、面白そうな仕事のオンパレード。
さぞかし、楽しく仕事をされているんだろうなと
名刺を見て思っておりました。

その頃から「フリーライター」という職業が気になり
そういう目でいろんなものを見ていますと
前からやりたいと思っていた仕事の
ひとつの形がそれであり、
縁もあって
どんどん、やってみたくなってきたというのが
本当のところです。

もちろん趣味でやるのではなく
プロとして取り組むのですから
それなりに覚悟は必要ですが
仕事の量を自分で調節できそうだし
自宅中心でやれるので
介護と両立も可能だというのも大きな魅力です。

ま、今回のように某ミニコミ誌から声がかかって
こうして定期的に仕事を
いただけるようになったのも
運が良かったということでしょうね。

先日、取材1本と記事ひとつを仕上げました。
取材までに、5本も事前に予習のつもりで記事を書いておいて
結局取材時に採取した言葉で
書いた記事はまったく新たな文章になりました。

でもそれが、編集者、クライアントともに
一発オッケーだったので
気をよくしている今日この頃です。
しかも、その上さらに
表紙第1面の特集記事まで
発注していただきました。
頑張るほかはありませんね。

五里霧中、暗中模索の中
余生を精いっぱい楽しくしたいと
そろそろと歩み始めたdoironです。


代車の楽しみ

2013年07月09日 21時23分28秒 | 生活

駐車場にとめていた車に乗り込み
エンジンを始動。
さあ、出発と思ってギアを入れようとすると

入らない

だいたい、オートマのギアは
フットブレーキを踏まないことには
P(パーキング)からギアが入らない仕組みになっている。
ところが、この時は
ブレーキを踏んでいるにもかかわらず
ギアが全く動かないのだ。

この症状は、つい最近もあって
ブレーキを踏んでいるというセンサーを
交換したら直ったという経過がある。

それを直してもらってから
ひと月もたたないうちに
同じ故障をしたということになる。

オッサン、いやニッサンの修理も当てにならないものだ。

前回、その修理をしてもらった時に
貸してもらった代車は
赤いキューブだった。
これ



たいていのところには歩いて行けるけど
車もないと困るので
いわゆる”キューブしのぎ”というやつだ。

この時には義母さんも一緒に
ドライブを楽しんだ。

そして今回、同様の修理で
もってきたのは

Juke

これも前から気にはなっていた車だ。
これ



これまた車はないと困るので
前回と同じ代車を用意したいけど
あいにく出払っているからと
”ジュークの決断”で送り込まれたものだ。

車体のデザインが独特で
個性的な車である。

というわけで、今回も
この車でプチドライブに出かけることにした。
行先は
doironの大切な山の不動さん。

仕事も順調に滑り出したので
お礼参りを兼ねてのお詣りだ。



ゆったり感は少ないが
キビキビ動くのが面白かったな。

しかし、これはもしかしたら
クルマ屋さんの陰謀かもしれないな。
こうしてニッサンのいろんな車に乗せて
故障から気をそらすのと
ちょっと気分を変えてくれるのとで
次につなげようというもの。

まあ、楽しいから許してあげよう。

次の故障にはGT-Rかシーマがいいな
リーフにも乗ってみたいな。


地域介護ということ

2013年07月08日 21時19分43秒 | 生活

今は親父も入院をしているので
毎日の病院訪問の他は
実に平和な日々を過ごしている。
通常の日々であれば
内科を筆頭に、整形外科、
循環器科、泌尿器科、眼科、歯科。
月曜日から土曜日までの6日間のうち、
ほぼ5日間はこれらに通うことになるからね。
いや、整骨院をいれれば
日曜日以外は毎日送迎かな。
覚悟の介護生活とはいえ、
なかなか精神的に辛いものである。

これが実父の場合で、
他に実母や義父の施設訪問や
義母の家庭でのサポートを入れると
介護漬けの日々であることに変わりはない。

たまにショートステイやデイサービスで
ぽっかりと空く日がdoironの活動日だ。

ブログではいろんなところを歩いたり
出かけたりと楽しそうにしているようだが、
一日の出来事を5回や6回に分けて
書いたりしているので
そういう風に見えるかもしれないが、
基本的には日々介護の暮らしなのだ。

だからこそ遊べるときには
しっかりと遊ばねば、
こちらが持たないので
無理にでもそうしようと心がけている。

さて、そんな現在入院中の親父なのだが、
最近どうも昼夜逆転現象が現れ始めたようだ。
このままじゃ退院してきても
こちらの生活が大変だ。

そのため、もちろん内科で
睡眠周期を整える薬も処方していただいているが、
やはり日光に当てることも大事だと考え、
午前中に車いすに乗せて
陽を浴びさせるために
院内の明るい場所に出るようにし始めた。

また、気候がよさそうだと、
doiron自身も太陽を浴びに
早朝に近所の散歩に出て行ったりするのだが、
そんな時に、最近近所の人で
急に認知症になって
徘徊し始めた父親に付き添って、
散歩をしている後輩の息子と
よく顔を合わすようになった。

軽く挨拶をしながら
お互いの境遇を
目と目でねぎらいあったりすることがよくある。

そういう情報は、
「あそこの父さん、ぼけ始めたんやて」
などと噂話的に近所に広まりがちで、
それは陰でこそこそ話をされるのはいや、
という面もあるだろうが、
そうではなくて
できるだけ多くの人に
情報を共有しといていただいて、
地域のたくさんの目で
見守ってもらうというふうに
開き直ることが必要だろう。
「どこどこで見かけたよ」
みたいな情報をいただけたりするもんね。

なので、doironは村の中には
一緒に学校に通い、
一緒に子育てをし、
一緒に祭りもやってきた
仲のいい幼馴染も多いし、
自治会の副会長でもあるので
折に触れ自分の親をはじめ
村の高齢者の情報を
寄合時に提供しあうようにしている。

もちろん、所得の範囲内で
施設に入ってもらうというのが、いいのだろうが、
当初はやはり親子の情が
それを拒否したりするんだよね。

そういうことも、
いざそうなった時に
適正に対処できるように、
日頃から考えておく必要があることを、
少し若い連中には
ポツポツと話しをするようにしている。

介護には在宅介護、施設介護、入院介護などがあるが、
地域全体で介護を支える
「地域介護」についても、
もっと市民権を得られるように、
社会全体で真剣に考えていかねばならないと
思う今日この頃なのである。

親父も退院して帰ってきたら
みんなに見守られながら
散歩ができるくらいにまでは
回復してほしいものだが
さてどうなりますことやら・・・


グーちゃんのほっぺ

2013年07月07日 21時16分38秒 | 生活

親父の病状も落ち着きを見せ始め、
そろそろ起き上がってのリハビリが始まっている。
なのでそろそろ、退院をと促され、
今月中旬に帰ってくることになった。

体の具合がよくなったことは喜ばしいのであるが、
また介護の日々が始まると思うと、
それなりに気合を入れなおさないといけない。

一方、もう一人というか
一匹のことに関しても奔走させられている。
愛犬、グーのお世話である。
これは、先日家で体を洗ってやり、
あらかた拭き取った後
玄関先で自然乾燥させていた時の写真だ。

体から水分が蒸発していく時の心地よさに、
恍惚の表情になっていた。



で、よく見ると右のほっぺが少し膨らんでいる。
それは少し前からそんな状況だったので、
歯でも悪いのかなあと思っていて、
しばらく様子を見ていたのだが
腫れが引くような様子もないので、
動物病院に連れて行って診てもらった。

そしたら医者曰く
「これは腫瘍ができており、
もし悪性だったら、治すのに
あごの骨まで削る手術になるよ」と言われ、
なおかつ
「心臓もかなり肥大しているので、
手術に耐えられるかどうかわかりません」
などと脅された。

とりあえず、患部の組織をとって
調べてもらうことにして帰ってきた。

このへんは人間と同じなんですね。

すると、不思議なもので
犬にも医者の言うことがわかるんだろうか。
いつになくシュンとしてうなだれている
グーの様子を見ていると、
こっちまでどんどん落ち込んできてしまう。

後日、組織検査の結果が出て、
幸いなことに悪性ではなく
良性の腫瘍だったということが判明した。

「これだと患部を除去するだけで治るでしょう」ということなので、
手術をしてもらうことになった。

これも人間と同じように、
手術の前日夜から絶食、絶飲だ。

「飯くれ~、水飲ませろ~」と言わんばかりに
甘えたおねだり声を出すグー。
それはそれでこちらも耐えるのに大変であったが
何とか心を鬼にして耳をふさぎ乗り切った。

そしていよいよ手術当日。

スケジュールは朝に預けて
午後イチで手術をし、
夕方に迎えに行くという流れだそうだ。

除去だけとはいえ、
口の中を切るので
全身麻酔となるため、
心臓に問題を抱えるグーにとって
大きな負担になることには変わりはない。
もしかしたら夕方には
帰ってこれないかもしれない。
もしかしたらこれがもう最後の姿になるかもしれない
と思うと、心なしかグーの表情もさみしげである
(ただお腹がすいているだけなのかもしれないが・・・)。

先生に命を託して、預けて帰ってきた。

そして、そのまま夕方まで連絡はなかった。

電話がかかるたび、
というかメールの音にもびくっとしてしまったが、
連絡がないのは順調な証拠なんだろう
と思いつつ、約束の5時に迎えに行くと、
手術は成功で、きれいに除去できたとのこと。

わーい。よかったよかった。

もしグーに何かあったら
どんな請求をされるんだろうか
と思いつつ、手術代ン万円を支払い、
なんとなくふらふらしているグーを引き取ってくることにした。

家に帰っても、
廊下をあっちによたよた、こっちにフラフラと歩くグー。
犬用の手すりがあればなあ。
あっても掴めないけど・・・。

多分麻酔がさめきれてないのだろう。
せん妄が出ているようで、
家じゅうを徘徊した後疲れ果てて、
いつもの廊下にぺたんと寝てしまった。

あまりに動かないので、生きてるか?
と心配しながら見ていると
どうやら息はしているようだ。

しばらくして夜更けにむっくり起き上がり、
ご飯をねだり始めたが術後なので、
嘔吐の可能性もあるため、
まだ絶食は続いていた。

寝ていたあとを見ると、
少し血がにじんでいる。
そしてよく見ると右目の周りにも、
内出血が出てパンダのようになっているし、
鼻もまだからからに乾いている。
多分熱を持っているのだろう。

「飯くれよ~」と「クーン、クーン」と鳴き続けるグー。

うう、かわいそうだが仕方ない。

しばらくしたらあきらめてまたぺたんと寝てしまったので、
ほっとするやら心配するやらと、
気をもんでばかりである。

そして翌日、起きた時には
ようやく足取りも元に戻り、
せっせとご飯をねだるグーにエサを上げると、
がっつくように食べていた。

口の中を切開しているのにすごい回復力やねえ。
鼻の湿りも元に戻っているようだ。

こうして、グーの手術は終わった。

今日も彼は変わらず上機嫌で遊んだり、
好きなところで昼寝をしている。



こうしてみると、ほっぺもとてもすっきりした。
あのまま放置していたら、
破裂して出血し、命を落とすだろう
といわれていたので、
命拾いである。

まもなく14歳の誕生日を迎えるグーであるが、
まだしばらくはdoiron家を癒してくれるだろう。

おいしいものを食べてほっぺたを落としたのではなく、
絶食してほっぺたを落としたグーのお話でした。


カラスの不気味な進化

2013年07月06日 20時59分04秒 | 自然

義母さんの家の庭にはさまざまな動物が集まる。

蝶々やトンボ、ブンブンなどの昆虫類はもちろん、
最近どうやら野良猫が住み着き子供を産んだらしい。
餌をあげているわけではないが、
昔ながらの家なので、
床下など隠れるところも多いし、
そこそこ広い庭には
居心地のよさそうなところも点在している。

義母さんの日向ぼっこ用の椅子なんかは、
ちょっと目を離すとすぐに
親猫の昼寝場所になったりしている。

こちらの動きが不自由で緩慢であると
タカをくくっているらしく、
義母さんが「シッ、シッ」と追い払っても、
「チェッ!」というような顔をしながら
のろのろと起き上がるだけで
その落ち着きぶりは見ていて腹が立つほどだそうだ。

なので、たまにdoironが行っては
「シャー!」と脅かすと、
慌てふためいて逃げていく。

特に家庭菜園の農産物を荒らすわけでもなく、
フンのにおいさえ我慢すればいいのだが、
困るのが、生まれた子供を狙ってやってくる
他の動物である。

その一つが、「イタチ」。

これはdoironも見かけたことがある。
道路の先を、シャーと横切っていった姿は、
さすがに精悍な感じであった。

それが、子猫を目当てに出没するようになったから、
親猫も敏感になっているようだ。

夜中にはそんなイタチが
天井裏を走り回るそうだ。
ネズミでも追っかけているのだろうか。

子猫の姿も1~2匹少なくなったような気がする。
そんな子猫の天敵が
もう1種いる。

それがカラスだ。

最近、カラスの行動が、
マスコミでよく取り上げられる。

以前は、ごみ箱をあさる
カラスの撃退法なんかが
よく話題になっていたりしたものだ。

タカの目のような風船を置いたり
きらきら光るCDをつるしたり
黄色の袋に入れるとカラスには中が見にくい
など、いろいろ提案されたようだが
どれも決め手とはなっていないようだ。
容器を作ってきちんと置いておくことが
最も効果的なのかもね。
それほど頭のいい鳥なんだそうだ。

最近は線路に置き石をする
カラスまでいるというから驚きだ。

それが、上空というか
義母さんちの屋根の上から見張っていて、
子猫を襲いに来るそうなのだ。
そんな時には、裏の庭から
カラスの威嚇する鳴き声と
親猫の攻撃時の鳴き声が交錯し、
野生の戦場と化すんだといっていた。
それはそれは恐ろしい光景なんだそうだ。

カラスにとっては子猫はエサであり、
親猫にとってはカラスがエサとなるわけだ。

そんな合戦があった翌日には、
カラスの羽根が散らばっていたり、
子猫の姿が見えなくなっていたりするそうだ。
猫とカラス
不気味さでいえば
やはりカラスの方が勝っている。

なので、加勢をしようとすれば
猫の方にということなのだけど、
もしそんな時に2種の戦いに干渉したら、
カラスはその人間の姿を覚えていて、
攻撃することもあるんじゃないかと、
もっぱら巷では噂になっているので、
うかつに手出しはできない。
なにせ、線路に置き石までするカラスのことだ。
こちらの素性を把握してどんな攻撃をしてくるかわからない。
もしかしたら巣の中で、
パソコンをコツコツいじるか、
タブレットを羽根でこすりながら
このブログを見て、
明日は「カー」と叫びつつ
doironを攻撃してくるかもしれないな。

昔は神社のクスノキに巣をつくっているカラスを
よく見かけたのだが、このごろはとんと巣も見かけなくなった。
生態も謎めいて、素顔をさらそうとしないカラス。

どうも人間の知らないところで、
不気味に進化しつつあるのではと
思えてならない・・・


古墳に興奮 第2部の最後

2013年07月05日 20時51分04秒 | ウォーキング

今回の古墳めぐりの案内となったのが、
この堺観光コンベンション協会が作った
百舌鳥古墳群めぐりのパンフレットでした。



地図に色分けしたルートが書いてあって、



その一日コースを2回に分けて歩き、
いよいよその旅も最終回を迎えました。

このパンフレットを見た時から、
その名前が気になっていた古墳にさしかかっていきます。

「ニサンザイ古墳」



この「ニサンザイ」というカタカナが
とっても気になっていたのでした。

調べてみると、「ミササギ(陵)」が転訛し、
「ミサンザイ」から「ニサンザイ」に変化していった
ということなんだそうです。

カタカナの名前を持つ古墳は、
この百舌鳥古墳群の中には
あと二つあります。

ひとつは、先に訪ねた大仙公園内にある
「グワショウ坊古墳」
そしてもう一つが、
このニサンザイ古墳の南にある
驚きの名前を持つ
「ドンチャン山古墳」です。

え~、まさかそこでやんごとなき人々が
ドンチャン騒ぎをしたというのではないでしょうが、
すごい名前ですねえ。

由来は?と調べてみましたが
ネットには記載を見つけられませんでした。
そのうち図書館にでも行って、
堺市史か歴史関係の報告書を
調べてみようと思っています。

そして、実はニサンザイ古墳というのは
もう一つあることがわかりました。

それは大阪南部の淡輪にあり、
陪塚を7つ(残存するのは6つ)持ち、
宮内庁の管理下にある

「淡輪ニサンザイ古墳」

泉南の海遊びのついでにでも
出かけてみようかと思っています。

「ニサンザイ」の名前の由来は同じだそうです。

「淡輪・・」に対して、
今回訪ねた「土師ニサンザイ古墳」とよばれている
百舌鳥のニサンザイ古墳は、
前回書いた「陵墓参考地」に指定されており、
「東百舌鳥陵墓参考地」と位置付けられています。

その古墳は百舌鳥八幡宮から出てきて、
常盤浜寺線(通称:とき浜線)の
交差点を越えてすぐのところにあります。

それにしても、この「とき浜線」は車で何度も通っているし、
以前Y村先生と長居公園ゴールの
20キロレースに出てその帰りも
この道を通って走って帰ったこともある道です。

なのに、その古墳には全く気付いていませんでした。
道のすぐ横にあるのに、です。

人間ていろいろ物事を見ているようで、
実は自分の興味のあることしか
見ていないんですね。

そう思えば、今も私たちの身の回りには、
楽しいことがまだいっぱい潜んでいて
見えていないだけなのかもしれませんね。

ニサンザイ古墳の周りにはこんな埴輪が、



道路との境界に並べられていました。
また周回道路は一部途切れてはいるものの、
一般道路を交えてぐるっとひとめぐりしています。



西で会った歩いている人に
東側でまた会って挨拶をしました。

この古墳は百舌鳥古墳群の中でも、
仁徳、履中の天皇陵に次いで3番目に大きく、
今は一重のお堀も
発掘で過去には2重だったこともわかっており、
それらのことから
こちらが反正天皇陵なのではないか
という説もあるそうです。

ぐるっとほぼ一周して、また元のとき浜線に戻ってくると、
さあゴールの中百舌鳥駅まであと二つの古墳を残すのみです。

ひとつは「定の山古墳」。



公園の中に保存されており、
その公園は読みは同じ「じょうのやま」の
城の山公園と名付けられていました。

というのも、この古墳はその昔、
砦として使われていたことがあり、
そこに城があったとされていることから
そんな名前になっています。

形はあの丸保山古墳と同じ
「帆立貝型古墳」だったそうです。

そして最後が、

「御廟表塚古墳」

中百舌鳥駅前を左にそれていくと、
こんな道標がありました。



おお~、またしても西高野街道に出てきました。
なんか懐かしさを覚えましたね。

駐車上の奥にこんもりしたところがあり、
そこが「御廟表塚古墳」でした。



そしてその横にはまたしても
天然記念物のクスノキがそびえていました。



前のは「百舌鳥八幡宮のくす」で
ここのは

「百舌鳥のくす」

樹齢は800~1000年だそうで、
八幡宮の若干兄貴分です。

堺市内屈指の大クスだそうです。
クスノキだけにスクスク育って・・・

はい、失礼しました。

とまあクスノキ二本をくすくすと書いたところで
ようやく、今回の歩きも終わりです。

第2部では8つの古墳をめぐりました。
第1部とあわせて巡った古墳は28となりました。
しかし、この百舌鳥地域には合計44もの古墳があるとされています。
コースの取り方で
あと16の古墳を見ることができなかったのは残念です。
いつか機会があればと考えつつ、



中百舌鳥駅から汗まみれで電車に乗って
帰路に着いたdoironでした。

古墳に興奮第2部も終わり。


古墳に興奮 第2部の2

2013年07月04日 21時29分08秒 | ウォーキング

いたすけ古墳を後にして、
住宅街を抜けていくと
堪興神社という表示が見えてきます。
その手前を鋭角に曲がると

「御廟山(ごびょうやま)古墳」



この古墳は大きさ的には
百舌鳥古墳群の中で4番目と大きく、
古記録、地域伝承、墳丘の形態や
規模、出土品等により、
宮内庁によって皇族の墳墓とされたものの、
被葬者を特定する資料に欠ける陵墓として、
大阪府に6か所ある陵墓参考地の
ひとつに数えられています。

この「陵墓参考地」あとは次に訪れるニサンザイ古墳と
藤井寺、松原に一つずつ、
河内長野に2つあります。

ちなみに全国的には
46の陵墓参考地が指定されています。

御廟山古墳も周りに外周道路があります。
まったく近所の人たちにとっては
古墳は絶好の散歩コースでしょうねえ。

外周道路の途中にあったのがこれ。



永尾大神。

二つの石が御神体になって
祀られていました。
仁徳御陵の陪塚である
丸保山古墳のところにも
八丈神社と称していくつかの大神様を
祀ったところがあったけど、
それと一緒かな。
日々の参拝が信仰にへと
変遷していったのかもしれません。

その先、すこし古墳から離れたところに

「元永尾山」





とかかれたお寺がありましたが、
関連は不明です。

この御廟山古墳にも
陪塚は複数あったそうです。
でも今はこの万代山(もずやま)古墳が残っているのみだそうです。



御廟山古墳の周りを三分の二ほど回ったところで、
地面の茶色の敷石に誘導されて
「百舌鳥八幡宮」へと入っていきます。

途中、出会ったのが

「高林家住宅」



江戸時代の大庄屋の屋敷で
国の重要文化財に指定されています。
残念ながら、一介の歩き人には
中をうかがい知ることはできませんでしたので、
外から写真を撮っておきました。

百舌鳥八幡宮へは南北の参道ではなく
西から入っていきます。

ここは、神功皇后が幾万代まで天下泰平
を祈願されたことにより、
この地を万代(もず)と称して
創建した神社だそうです。



でもねえ、ちょっと待ってください。

この地を「もず」と呼んだのは、
仁徳御陵の築造現場に迷い込んできた鹿が絶命し、
耳から百舌鳥が飛んで出たことによるもの
とのことではなかったんでしょうか。

神宮皇后は仁徳天皇より以前の時代の人だから
こちらの方が信憑性が高いのかな。

もずやま古墳というのも近くにあったことだし、
そもそも、死んだ鹿の耳から
百舌鳥が出てくるなんてのは
不自然な話ですしね。

ほかにも「毛受」や「毛須」も「もず」の語源
だという説もあるようです。

伝承にはいろんな伝わり方がある
ということにしておきましょう。

それにしても「毛受」とは
有り難そうな名前ではありますね。

この神社の境内には、
天然記念物に指定されている

「百舌鳥八幡宮のくす」



があります。
樹齢7~8百年のその枝振りは
天を覆い尽くすばかりに広がり、
なかなかの迫力。



先日歩いた泉南は岡中の大楠が横綱だとしたら、
このクスノキは大関といったところでしょうか。

それにしても大樹の陰には
ほんとに涼しい風が吹くもんなんですね。

そんな涼しい木陰には
道標が立っておりましたが、
どうも拓本を取った後なのか、
それとも保存のための処置なのかわかりませんが、
文字の部分に何かが埋まっていて
読み取りが難しかったです。



「すぐ かうやさん(高野山)」なんでしょうか、
すぐではなくかなり離れていますけど。

そしてこの面には



「右 いゑはら(家原)」とあるのでしょうか、
よく読めませんでした。

お詣りを済ませて、鎮守山塚古墳を左に見ながら
参道を下っていき、正面鳥居の
信号を一つ越えたところにも
道しるべが固まっている一角がありました。
ここにも「右 いゑはら」や
「右 家原 左 高野山」の文字が見えます。



道標は右左を案内していますが、
doironのコースは右にも行かず、
左にもいかず、まっすぐ次の
「ニサンザイ古墳」へと向かっていきます。

続く


古墳に興奮 第2部の1

2013年07月03日 21時32分29秒 | ウォーキング

堺の百舌鳥古墳群には
大小40もの古墳があります。

宮内庁が管理する

「陵」

と名のつく3つの古墳は前回歩きましたが、
まだ歩けていない百舌鳥周辺の古墳めぐりコースを
天気の良い日に暑さに耐えて
続いて歩いてみました。

スタートは、前回ゴールとなったJR上野芝駅。

この駅は少し高台になっているので、
歩き始めると右手の方に
住宅地が広がっているのが目に入ります。
こうして歩いていると、
ポツポツある緑が全部古墳に見えてくるのがおかしいです。

まず最初に行ったのが、
JR阪和線に乗ると、
上野芝と百舌鳥の間で
すぐ東側に見える古墳です。それが

「いたすけ古墳」

まるで、おっちょこちょいの町民のような
おかしな名前ですが、
誰が埋葬されているのか
ということに言及している資料は見当たりませんでした。

この古墳を語るときに
そのおかしな名前よりも必ず言われるのが、
昭和30年頃に破壊の危機があって、
住民運動によって保存されるようになった
という歴史を持っていることです。

そして昭和31年には国の史跡に指定されました。

当時の破壊の傷跡は、
こうして見ると



他の古墳に比べて樹木が少なく、
つる性の下草が生い茂っていることからも伺えます。
多くの樹木が当時伐採されたそうです。
今も残っている橋げたは
その当時、樹木を搬出したりした
開発の名残だそうです。

おや?よく見ると橋の上に何か動くものが見えます。
亀じゃないようです。

拡大してみますと・・・



狸でした。

周りを堀に囲まれているのに
どうしてでしょうと思って調べてみますと、
実はこの古墳狸は有名で、
1999年の頃に
この古墳に狸のつがいが住みついたことに
端を発しているそうです。

手に手を取って、
小さな恋のメロディのように
お堀の水面を新天地に向かって
泳いで行ったのでしょうか。

その道行の情景を想像すると、
なんかホッとしますねえ。

狸は一度夫婦になると、
どちらかが死ぬまで夫婦を続けるそうです。

写真を撮っていると、
自転車に乗った上機嫌のおじさんが
近づいてきて「狸の写真撮れたかよ」と、
前歯の抜けた顔で
酒のにおいをプンプンさせながら
話しかけてきました。

「そこにいたのを撮りましたよ」
というと
「ここには10匹くらいいてるで~」
と言いながら去っていったのでありました。
「どわ~、絡まれて相手するのも大変やなあ」と思っていたので
ちょっと別の意味でホッとしました。

2004年にこの古墳狸が
新聞やテレビで報道された時には
合計11頭の大家族が確認されていたそうです。

ダニエルとメロディの恋は
きちんと実っていたのですねえ。

それにしても11頭とは、
ビッグダディじゃあーりませんか。

狸は雑食性なので、
基本的に何でも食べますが、
周りに堀がめぐらされたこんな閉じられた空間の中で、
10頭以上も生息するのは驚きですね。

水辺のカエルや水生昆虫、
木の実、草の実、鳥や小動物
なんかをとらえて生きているんでしょう。

もともと夜行性の狸が
こうして昼日中に人目に付くように
出てきてるところを見れば、



水環境の中に捕食できるものがあるか、
あるいは遠くから誰かが
エサを与えているのかもしれませんね。

ま、狸話はこれくらいにして、
よく整備された古墳周辺の道を



先に歩いていきましょう。

いたすけ古墳の東には、
この古墳の陪塚である
「善右ヱ門山古墳」があります。



いたすけ古墳の周りにはこんな陪塚が、
わかっているだけでも
あと2つあったそうですが、
住宅開発で取り壊され
今はこの善右ヱ門山古墳を残すのみだそうです。

開発の手を逃れ、
残存している古墳ということから、
今はこのいたすけ古墳から出土した
冑の埴輪が堺市の文化財保護の
シンボルマークになっているそうです。

照りつける日差しの下、
汗を拭き拭き、次の御廟山古墳へと進んでいきます。

続く。


祝、富士山登録

2013年07月02日 21時41分48秒 | 最近の出来事

先月の22日に富士山が「世界遺産」に登録されました。
まあ日本国民としてはめでたいところではあります。

で、この際だから、
「世界遺産」についてちょいと調べてみました。

世界遺産という考え方は、
アスワンハイダムの建設などがきっかけで、
1972年に成立し、
1975年に発効した
「世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約」
に基づくものです。

今から約40年前と
その歴史はかなり古いんですね。

一口に世界遺産と言っても、
それにはいくつか種類があります。
条約の名前にもあるように
「文化遺産」と「自然遺産」、
それとその二つの要素を合わせ持つ
「複合遺産」の3種類です。

これまでに登録されているのは
世界では962件もあります。
そのうち文化遺産は745件と多くを占めています。

日本では今回の富士山の登録は
17件目で文化遺産として13件目となります。

これを決めているのはユネスコの世界遺産委員会。
今年はカンボジアのプノンペンで開催されています。

今回登録となった富士山は、
以前「自然遺産」での登録を目指していたのですが、
山のごみ問題などで登録ならなかった
という悲しい経緯があります。

そのため今回は、
富士にまつわる伝統や浮世絵などの文化といった側面から申請し、
文化遺産での登録を果たしたというわけですね。

doiron自身も富士山には
これまで2回登頂をしました。

1回目は職場の同僚と、
2回目はスポーツ仲間と登りました。

そしてそろそろ、富士登山マラソンに挑戦か
と思い始めた頃から体調を崩し、
マラソンでの登頂は結局果たしていません。

でもねえ、これが今後どうなるんだろうかと、
チト心配をしております。
来年から入山料を徴収、
いや今年から試行で徴収という話もあるしね。
人類共通の世界遺産を走って
順位を争って駆け上がるなんて、
許されないということをいう人も
現れるかもしれません。

doironとしては、
登録されたのは自然遺産じゃないんだし、
登山マラソンも文化と言えば文化なんだから
問題ないという声もきっとあることを祈りたいところですがね。

今回の登録で、
周辺の観光産業はさぞや沸き立っていることだと思います。
以前、白川郷が登録された時には
観光客が一気に2倍以上に膨れ上がった
という実績もあるそうですからね。

自然遺産の屋久島も訪れる人が
3割増えたそうです。

地元にとってはそういう効果も
大いに期待されるところです。

しかし、こういった登録は登録後が大切です。

地元の人たちはもちろん、
観光客として訪れる我々も
ただ単に世界に認められたというだけでなく、
人類全体で共通に大切にしよう
ということで認められた文化遺産なんだということを
しっかり意識していないと、
大勢の観光客が押し寄せ、
文化の香りも損なわれるようなことになり、
登録が取り消されるなんてこともあり得るそうですからね。

その富士山が一番遠くから見えるスポット
というのが近畿にあります。
それは大峰山系の仏生ヶ岳からの景色なんだそうです。

それまでdoironは
小普賢が最遠だと思っていたのですが、
地図を見たら確かに仏生ヶ岳の方が
遠いところにありました。
それを確認した人がいるそうです。
山に登って、他の山を見る
そうそれが全然違和感のないのが富士山なんです。
世界文化遺産としての価値は、
どんなに遠く離れていても
富士は日本一の山という思いが
我々の中にあることから生まれるものなんですね。

昨日7月1日は富士山の山開きの日。
人気の女子アナが登頂したり、
マスコミはこぞって取材をしたようですが

できるだけそっとしておいてほしいなあ。

みんなで大切にしたい山です。


2009年9月5日の朝に撮影しました。