九度山で真田幸村の
蟄居跡なんかを眺めつつ、
いろんなことに思いを馳せた。
なかでも一番感じたのは、
当時の侍の熱い心である。
幸村は10年以上の蟄居でも
サムライ根性を失わず、
かつての豊臣の息子の求めに応じて、
大阪へと隠れて蟄居先を
後にするのである。
村人に真田紐(さなだひも)を伝授し、
ある意味で暮らしの中で
関係してきた蟄居先の人々と
10年以上の別れを告げて
大阪に到着した。
そこから豊臣と徳川の間に立ち
戦に従事してきたが、
徳川方に敗れて戦死をした
(一方で逃走したという話もあるが)幸村。
いやあ、なかなかの人生だったろう。
doironも引退して6年。
もうそんなばりばり働ける
歳ではないが、同じような年でも
働いている人はいっぱいいる。
そんな人々のような
働く人生に帰っていくことは、
もうほぼないだろう。
残りの人生はもう楽しみのみで、
蟄居のようにぼちぼちと
過ごしていくのだ。
そんな自分を描きながら、
幸村ってすごいなあ
なんて考えてしまったよ。
丹生川沿いの静かな村で、
弘法大師の面影も見つめながら
過ごした彼がそうして
立ち上がったんやからねえ。
では一体彼が大阪に着て
中心になって戦ってきた場所って
どんなとこだろうと
今度はその辺を歩いてみるのも
いいかもしれんと思い、
出かけて行ったのが、
道明寺から玉手山周辺でした。
たまたま玉手に行ったわけではありません。
理由があって玉手に行ったわけなのです。
ここは前の職場にも
近いので名前はよく
聞いたところですが、
実際に降りて歩き回ったり
したことがない地域です。
すこし歴史的なことや
関連施設を学んでコースを作り、
幸村の痕跡などをたどりつつ
歩くために電車でとことこと
出かけて行くことに
したのでありました。
まずは近鉄南大阪線で
道明寺を目指します。
大和川をこえると前に
前の職場の地域に入っていきます。
ああ、ここの道路は新しいなあ。
まだ一回も通っていないので
車で行ってみなくちゃなあ。
ああ、あそこのお風呂屋さんが
なくなったんやあ。
いろんな思い出とともに
当時のことがよみがえってきます。
そんなことなんかを思い出しながら、
電車は道明寺の駅に到着です。
以前、道明寺のお寺に
行くときに雨の中
降り立ったことがありましたねえ。
今回はここで降りて
お寺とは反対の方に
歩いていくことになります。
まず駅前で降りたところに、
「道明寺合戦記念碑」
があります。
後藤又兵衛が討たれ
(彼にも逃走説があり、
doironの家の近くを
通ったこともあるという伝説あり)、
その後幸村がこの近くまできて
戦ったという説が残っています。
いわゆる「大坂夏の陣」である。
そんな石碑を見ながら
ナビもセットして、
さあではまずは石川の方を
目指して歩いていきましょう。
線路沿いにはこんな
情報版がありますよ。
ああ、こんな関係の仕事にも
従事していたなあ。
あっ、ここには世界文化遺産の
啓発用の展示板もありますねえ。
残念ながら大阪には
世界遺産がありません。
まあこの古墳なんかが
認められたとしても、
あまり外国観光客が
増えすぎても困りませんかねえ。
右手には道明寺の寺の方を
眺めながら、やがて踏切を渡り、
石川の堤防の方へと
上がっていきます。
この階段を上がると・・・
おお~見えてきました。
あれが玉手山の方へと
渡っていく歩行者の橋
「玉手橋」です。
車の通れない橋ですから
快適ですねえ。
これが玉手橋で超えていく
石川です。
ああここは昔よく走りましたねえ。
フルマラソンからウルトラを
走るにはこの河川敷の道を
ウロウロしていました。
トライアスロンを始めたころも、
この辺を走る藤井寺市・羽曳野市の
人らと交流するきっかけに
なったところです。
たぶん今も彼らはこの辺りを
よく走ったりしているでしょうねえ。
続く
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