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いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

京都山科疏水巡り4

2018年05月04日 21時04分19秒 | ウォーキング

疏水にかかる赤い橋は、



「小嫡橋」という名前で、
山手にある本圀寺に向かう橋です。



え~っと、漢字でうつには
むつかしいお寺ですねえ。
なんて読むかといいますと
「ほんこくじ」です。



このお寺はというと、
事前のチェックによると
ここには歴史上有名人の
墓所があるというお寺です。



それはだれかといいますと、
虎退治をしたという武将です。
また秀吉の財務官僚の一人として
働いていた人で
セクハラ発言はしていません。

最後は秀吉に毒殺された
といううわさもある武将。

そう、あの「加藤清正」です。

この人の墓は日本中に5つほどある
といわれていますが、
子孫とかいるんでしょうねえ。

でも一体どの墓に
お参りに行くんでしょう。
昔の有名人の墓って
あちこちにあることが多いのですが、
皆さんどうされているんでしょうかと、
気になったりします。

疏水の赤い橋を渡って
坂道を登っていきますと
こんな山門が現れます。



これもふうふうとくぐっていきますと、
「人形塚」や



清正の名前の入った燈籠なんかを
みながらこんな赤門に出てきます。



この赤門が加藤清正が
寄進した門だそうだ。



どん底から立ち上がった清正は
開運勝利の神様
「せいしょこさま」と尊崇されたので、
この門をくぐると開運する
といわれています。

開運かあ。

また走れる体になるかなあ、
宝くじ当るかなあ等と
願いきれないほどの
開運を祈りつつくぐっていきましょう。



え~っと、ここが本殿です。



そしてその横に墓所への
入り口があるのですが、
簡単にロープが張られて

「立ち入り禁止」

と書かれてあります。

ん?これは車に対してかなあ。
ひとはあかんのかなあ。
もし無理やり入っていって、
関係者ですかと聞かれたら
「加藤正清」ですと答えようかなあ。

そんなことないやろ、
「加藤茶」やろ~
と怒られそうやしなあ。

残念ながら、墓所の写真は
ネットからお借りしておきましょう。



こんな立派なお堂で、
中には彼の体の一部が
収められているそうです。



本圀寺もこうしてお参りし、
さあではまた疏水へ戻りましょう。



川の流れを見ながら歩いていきます。

それにしてもこの道は
ランニングで走っている人も
多いですねえ。
平日なのにねえ。
マラソンランナーは自由でよろしいなあ、
って自分もでしたけど。

さあ、もうすぐ疏水は
トンネル部分にさしかかってきますよ。



ここからはしばらく疏水を
離れますので、昼食を食べておきましょう。

今日はこれだけです。



うう~ダイエットは厳しいなあ。

あ、トンネルを見てみましょう。
ここからいくつか
トンネルをくぐるんですねえ。

で、ちょっとトンネルの
入り口を見てください。



上部の方に文字の入った
扁額が飾られていますねえ。

実は琵琶湖疏水の建設は、
国家レベルの大事業であり、
当時の著名人の書が門の入口、
出口に記念に刻まれています。

例えばここのトンネルは
井上 馨「仁以山悦智為水歓」
(じんはやまをもってよろこび
ちはみずとなるをよろこぶ)
仁者は知識を尊び、
智者は水の流れをみて
心の糧とする。

という言葉が刻まれています。

伊藤博文や山県有朋などの
言葉が合計10枚
張られているようです。

詳しくはネットで見て頂戴ねえ。

さあ、ではここからしばらく
疏水を離れて、こんな鳥に
にらまれながら、



シャガの咲く道を下っていきます。



おっこの辺りは「封ジ山町」という町名です。



江戸時代に御陵村の村有の
安祥寺山を封じたので
この名がついたとされているそうです。

住宅地をすたこら降りていきますと、
ああ久しぶりのコンビニが
ありましたよ。

トイレを借りてから少しの間
コーヒータイムでのんびりしていきましょう。

続く


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