ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

真田幸村蟄居の里2

2018年08月17日 21時26分43秒 | ウォーキング

え~玄関を入っていきますと、
おおここでも赤備えの甲冑の姿です。



写真を頼んで撮ってもらったら、
赤いウェアも借りれますよ
とアドバイスがありましたので、
せっかくなのでお借りしました。

うう~、こ、これはもう
役立たずな雑兵です。
戦さの邪魔じゃあと叱られそうです。

他にも作品や年表など





いろいろとありましたねえ。

でも写真はこんな六文銭のベンチや、



幸村ゆかりの地の日本地図なんかは
うつしたほかは撮影はあきませんね。

他にはいろいろと映像なんかを
見ながら勉強してきました。

これはテレビドラマの題字ですね。



「狭土秀平」という人が描いた作品です。
この人は有名な人で全国各地に
作品を残しています。



北海道洞爺湖サミットにも
作品を残しているようで、

次の首Dさんたちとの旅で
ここに行ったら必ずチェックですねえ。

さあ、ではここから「真田庵」の方に
むかいましょう。



ああ、この寺のようですねえ。
瓦に六文銭が刻まれています。

ここが入りぐち。



「一礼合掌」と書かれています。

十数年ここに蟄居していた
彼らの熱い想いは重かったでしょう。
そんな感情に一礼です。



蟄居していたころって
お金はどうなってるんやろなあ。
豊臣や徳川から出ていたのかなあ。
それとも真田紐とかで、
自分らで稼いでいたのかなあ。

お金の話なんかはあまり
ドラマとかでも出てこないので、
その辺はなんか不思議ですねえ。

そして不思議と言えばもう一つ。

十数年も蟄居していて、
いきなり豊臣に呼び出されて
武士に戻れるほどの
気持ちは持っていたんですねえ。

もうdoironなんか普通の仕事に
なんかつけないように思うなあ。

それくらい気持ちは緩んじゃってます。

それにしても、こんなお寺の中で
真田家は静かに次の機会を
待ち静かに暮らしていたのですねえ。

さあではお寺を見て
またもとの道に戻りましょう。

そこにあったのが幸村庵
という蕎麦屋さんです。



時刻もちょうど正午に
なったくらいですので、
ここでお昼を食べていきましょう。

いただいたのは、タヌキそばと



柿の葉寿司のセットです。

ここには、言葉を聞いてて
わかったのですが、
北陸から来た団体さんなんかが
昼食をされていましたよ。



さすがにここは外国人も少ないようです。

なかなかねえ、
お蕎麦って食べにくいのかも
しれませんがね。

さあ、ではまだまだ歩いていきましょう。

その先にあるのが、
真田の抜け穴伝説の場所です。



なんでもここ真田山から
大阪城まで地下道を作ったんだ
といううわさがありますが、
でもねえそれは無理でしょう。

いくら何でもそんな地下道ほったら、
タイのサッカー選手たちが
入っていくでしょう。



いやあ、個人が彫ったトンネルとしては
世界最大となるやろうねえ。



あの大阪城近くの玉造の
真田トンネル跡でも
絶対繋がっているはずはないだろうって
思ってたもんね。

確かに実際は横穴式古墳
だったそうですがね。

ここから坂道を上がっていきますと



分岐点に出ます。
駅へ向かう道と真田道といわれる道です。

doironはまず九度山の駅へと
向かいましょう。

あ、ここには対面石というのがありますよ。



高野山の弘法大師がここで
槇尾さんの明神と対面したところ
といわれています。



月に9度もここに降りてくるのですから、
槇尾山の明神とここで対面する
というのはかなり便利な
出来事だったでしょうねえ。

明治以降は、ここで弘法大師と
母が出会ったところと
言ったりしているそうです。

あ、ここが六文銭に見立てた
タコ焼きが食べれるところですねえ。



車じゃなかったらタコ焼きで
ビールいっぱいというのも
いいかもしれませんねえ。

そして坂道を降りていくと、
そこが南海高野線の九度山の駅です。



続く


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