お、松林の中に地蔵が立っています。
端正な姿で、きれいな感じです。
最近建てられたものなんでしょう。
で、なぜ「みちびき地蔵」なんでしょうか。
海辺の地蔵にありがちないわれが
ここにもあるのだと思います。
本家「みちびき地蔵」は気仙沼にあります。
なくなった人々を天国に導くという
信仰ともうひとつ
人々を救いにみちびくという
いわれがある地蔵で、
「まんが日本昔話」にも登場したそうです。
思い起こせば海南の熊野古道沿いに
「呼び上げ地蔵」というのがありました。
安政の大地震の際に
人々を呼び上げて
津波から救ったといういわれがある地蔵でした。
海が近く、ほかにも津波に関しての
様々な遺構がある地域ですから、
津波から人々を救ったという
「みちびき地蔵」をここに置いてあるというのも、
きっとそんな関係があるのに違いないでしょう。
再び42号の歩道を歩きます。
市民球場前交差点から
熊野古道はなおまっすぐ続いていきますが、
せっかくここまで来たので右折して
天神崎の方へ遠回りしていきましょう。
曲がってすぐに田辺市立武道場があります。
ところで、田辺の駅前にこんな看板が設置されていました。
「田辺の三人」と題して、
あの南方熊楠と武蔵坊弁慶の
よく知られた二人と
もうひとり植草盛平という3人です。
この最後の植草翁というのが
合気道の創始者で、
ここ田辺の生まれということだそうです。
なのでここにこんな石碑が建てられ、
立派な武道場があるというわけですね。
天神崎に続く道はフェニックスが続く
海岸線沿いの憩いの散歩道です。
こんな散歩道を見ると、
思わず昔のくせで、走ったら気持ちよさそう、
なんて思ってしまいます。
道の突き当たりに見えるのが「元島」です。
このあたりから、必見の自然パノラマコースが始まります。
ここ天神崎はナショナルトラスト運動発祥の地といわれています。
環境保護のため市民が土地を買い取り、
それを行政に買い上げてもらうことで
乱開発から守ろうというものです。
本来は鎌倉での取り組みが、
このナショナルトラストの第1号だったそうですが、
ナショナルトラスト法が制定され、
1988年に初めて同法に基づく
「自然環境保全法人」として
日本で初めてこの地域の団体が認定されたことで
「発祥の地」としているのでしょう。
今や全国50以上の地域で
ナショナルトラスト運動が展開され、
数多くの法人が認定を受けています。
元島のこんな光景を見ると、
ところどころに見られる
洞窟状の岩場が冒険心をくすぐります。
行ってみたいのですが、
そこまで行けるかどうかもわかりませんし、
この日は熊野古道歩きの途中ですから
確認するのも断念しました。
ただ、このあたりは魚釣りも盛んで
景色もいいので、
ここにある眺めのよさそうな
「かんぽの宿」に泊りに来て、
リハビリ中の友達と
のんびり釣りでも出来たらいいなあと思いましたね。
ホームページから。
岩礁のところに鳥居が立っており、
向こうに元嶋神社の赤い鳥居も見えています。
手前の鳥居の上にいるのは
ウミウでしょうか。
カメラを構えたら見事にポーズをとってくれました。
その先に、小さな木に
あふれんばかりに桐の花が咲いていました。
そこにいた人と少し談笑。
桐の木は娘ができた時に植えて、
嫁入りの時にその木で
タンスを作って嫁入り道具にするものです。
この分だと、まだお孫さんは小さいようですな。
おお~、これは夕陽百選ですね。
熊野古道沿いでいくつ見つけたでしょうか。
そしてその先の目良漁港を越えたところが、
最も天神崎らしいところである
灯台のある「丸山」と
その周辺の大岩礁です。
この日はまるでフナムシのように
大勢の小学生が訪れ、
岩礁の上で蠢いておりました。
自然観察の校外学習ですな。
引率の先生もさぞかし大変でしょうねえ。
お、これは面白い岩だと思ったら
「猫岩」だと
釣り人もけっこういました。
何が釣れるんでしょうねえ。
そしてその先で、
湿原があると地図にありましたので
ちょっと寄り道してみましょう。
じとじとと続く。
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