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いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

柿くへば 1

2014年09月25日 21時18分06秒 | ウォーキング

「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」

ご存知正岡子規の俳句です。

この俳句を刻んだ石が
法隆寺境内の鏡池のふちに立っている
というので見に行きました。

また法隆寺といえば、
先日歩いた太子町に墓のあった
聖徳太子が創建したお寺です。
きっとどこかでつながりを
見つけられるだろうという期待もありました。

天気は少々曇っていましたが、
訪ねるには柿が色づき始めるこの季節がいいだろうと、
仕事をパッパと済ませて
出かけることにしました。

高速道路の法隆寺インターで降りて、
道路はまっすぐ法隆寺へと向かいます。
途中田んぼの畔や川の堤防を
真っ赤に染めてヒガンバナが咲いていたな。

指定の駐車場に車を停めて、
まずは参道の松並木から歩きはじめましょう。



今回はこんな経路を歩きました。



まず、南大門手前を左に折れて
藤の木古墳に向かい、
そこから西里の街並みを通って、
西大門から法隆寺境内に入り、
ひとめぐりした後
少し離れた法輪寺と法起寺まで
足を延ばすコースです。

参道を歩き終え、



とりあえず国宝の南大門に到着です。



ここには「下馬」の石が建っていました。

主人を送り込んだ後
馬の管理をする家来たちが
ここに集まって世間の話をする。
それが「下馬評」なんですね~

この法隆寺は、国宝が全部で38もあり、
ひとつのお寺の国宝数としては
最も多いお寺です。
しかも日本で初めて世界文化遺産に
登録されたところでもあります。

そのせいか、境内及びその周辺の至る所に
ボランティアガイドさんがおられます。

南大門の説明板を見ていたら、
近づいてきて、丁寧にコースと
歩行のコツを説明してくれました。

南大門に入る前に、
先に藤の木古墳に行き、
斑鳩文化財センターによることを勧められました。

言葉の端々に文化財センターは「無料だから」、
「お金はいらないから」というくだりが入ります。

うう、貧乏を見抜かれていたようです。

でもせっかく無料なので行ってみましょう。

南大門を横目に西を向いていきますと、



宮大工などが多く住んでいたと言われる
西里の集落の南のはずれを歩くことになります。



まだ少し早いコスモス畑などの植わった
のどかな光景が続き、



やがて藤ノ木古墳に到着します。



この古墳に入る前に、
先ほどガイドに教えられた
「斑鳩文化財センター」にまず行ってみましょう。

ここがそれ。



なかなかこぎれいな施設です。



建物もきれいですね。
それもそのはず、このセンターができて
5年経っていないそうです。
広い駐車場がありますので、
ここに先に来ていれば、
駐車料金も取られずに済むのでは・・・残念です。
でもまあこれくらいの貢献はしておきましょう。

センターの中庭には、
藤の木古墳で発見された石棺のレプリカが
デ~ンと置かれています。



本物は二上山の凝灰岩で作られたそうです。

館内に入りますと他に客はいません。
受付の高齢者の人が、待ってましたとばかりに、
ずっと付き添って説明をしてくれました。
当初ここではライターの名刺が登場かな
と思っていたのですが、
普通の観光客を装うdoiron一行にも
親切丁寧な対応で付き添って
相手をしてくれたのには恐れ入りました。

展示室へ入っていく道は、
古墳の石棺が安置されているところまでの

羨道(せんどう)

と言われる道を復元したものです。



通常この羨道には、
ふたをするように大きな石が置かれているのですが、
この古墳は小さな砂利が詰められていたそうです。



それだけに侵入しやすく盗掘の目にあいそうなのに、
昭和60年の発掘まで未盗掘だったのは
稀有なことでした。

その羨道の砂利の中には
土器なども混ざっていたそうです。



突き当たりには、先ほど中庭で見た形の石棺
がデンと座っています。

この石棺の置かれている向きが
この古墳の造り方に大きくかかわっているそうです。

羨道の幅と同じ石室内きちきちに
横向きに置かれてあるのは、
縄のかけた方などからどう考えても
上から入れたとしか考えられないとのこと。

となると石棺を入れるタイミングは・・・。

と推理ともいえる想像が展開していきます。

また発掘に関わった人々の想像は
これだけにとどまらず、
古墳内に残ったものの色、形、素材、位置
などからもどんどん広がっていったのです。

続く


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