ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野古道 御坊彷徨1

2014年12月01日 21時16分03秒 | ウォーキング

今日からもう12月。
近頃は今まで以上に一生懸命生きているから
月日の経つのが本当に早い。

昨日、ドジ旅日記の予告をしましたが
もう一回、熊野古道の話を載せてからとなります。

現在鋭意製作中ですので
ジダンブログとの完全コラボとなるよう
少々公開日を調整をしたのちに
アップすることになりますので
ご期待ください。

さて、熊野古道はいよいよ御坊にさしかかりました。

なぜ“いよいよ”なのかというと、
この地には義父母の実家があるからです。

実家といっても、大阪出身の義父母が
今のdoironのご近所に住むようになるまで、
三重県を経てこの地で10年ばかり暮らしており、
今は主のいない小さな平屋のみが残っているのです。

温暖でしかも自然豊かで、
海にも山にも近くまた街にも近いということで、
移ってきた当時はここを
「終の棲家」と言ってたのですが、
やはり被介護生活となると、
医者通いや介護サービス利用の面からも
都会の方が暮らしやすいようです。

そんな義父母の実家がある場所の
最寄りの駅というのが「紀伊内原」駅です。
海水浴シーズンやお正月など
道が混むときにはよくこの駅に
降り立ったもんです。

今回の歩行はそこから始まりました。

紀伊内原は小さな田舎駅なので、
周りにコインパーキングもないため、
一旦御坊まで車で行き、
そこに車を停めてひと駅もどるという方法で
スタートラインに立ちました。

これが御坊駅。



ICOCAが使えないので切符を買おうと
売り場に行くとそこに傘立てがありました。



「杖立て」というのはたまに見ますが、
傘立てはあまりありません。

傘立てはトイレにもありました。



このあたりは雨が多いのかな?
そんな印象はないけどなあ。

駅校内に入ると端っこのホームに
1両仕立ての小さな電車が止まっていました。



これが、帰りに西御坊駅からここ御坊まで乗る
単線の「紀州鉄道」の電車、
いやディーゼル車です。

運行はほぼ1時間に1本。
単線ですれ違うところもないので
1台が御坊⇔西御坊を行ったり来たりしています。

頭の後ろで白い髪をくくった
ロンゲの運転手さんがいたので

「西御坊」の出発時間は何分とか決まってますか?

と尋ねると「だいたい40分から45分くらいですね。」
と教えてくれました。
近くになったらそれを目安に歩きましょう。

紀伊内原駅についたのが午前10時。



天気は空が抜けるように青い
絶好の秋晴れでした。

今回のコースはこれ。



全長15キロのほぼ平坦なコースです。

ナビをセットして、さあ歩きはじめましょう。

駅前のメインストリートを右折し、



この踏切から熊野古道に入っていきます。



めったに閉まらない踏切を特急が通過です。



お、この踏切には特殊な設備があるそうです。



どんなんかなあ、
電車が近づいたら遮断機が下りるとでも言うのでしょうか。
それとも、遮断機をくぐったら
電車が突進してくる・・・

全部普通です。

多分手を挙げたら電車が止まってくれるんでしょう。

踏切に突っ込みを入れるのはこれくらいにして、
標識に沿って熊野古道を進みましょう。

ここは御坊かと思っていたら
まだ日高町でした。

マンふたには町章と街の花である
「ハギ」と特産の「黒竹」があしらわれていますし、



こんな海抜標でもわかります。



遠くには前回越えてきた鹿ヶ瀬峠の山々が
青空の下に横たわっていました。

そんな風にきょろきょろとしながら
落ち着きなく歩いていますと、
見えてきました。

本日最初の道標です。

婦人消防団のシャッターの向って右にある



小さな地蔵がこれ。



かなり古く傷んでいましたが、
台石にかろうじて

「左くまの」の文字が見えました。

これは昔の道標でしたが、
現代の日高町は
こんな道案内を設けています。

少し歩くと・・・おお住宅の生垣の中に、
こんな石が立っています。



前回見た、ブロック塀の間に挟まれた一里塚もそうでしたが、
ここも塚の跡は民家になっているようですねえ。

このあたり道は緩やかに登って行きます。



紅葉はさほどたけなわというような感じでもありません。



どうやらこのあたりで御坊市に入ったようです。

続く。


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