ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野古道 雨のち晴れの峠越え 1

2014年11月25日 21時15分35秒 | ウォーキング

湯浅から紀伊内原までは
2つの区間に割って歩きました。

前回は、約7キロを歩いた時点で
バスに乗って引き返しましたので、
今回は引き返した地点までバスで行き、
そこからの歩行となります。

ただ、そのバスというのが曲者で、
湯浅駅からの始発が7時50分。
そのあとは12時05分まで一便もないため、
どうしても始発に乗らないと
目的を達成できません。

そのため、早朝6時前に家を出るという、
これまでのdoiron歩行で
最も早いスタートとなりました。

ガソリンの給油とコンビニでの
昼ごはんの調達時間を見越しての出発です。

この日の天気予報は「晴れ時々曇」でした。

しかし、出発時には小雨がぱらついていました。
天気予報を信じて
「まあ、そのうちあがるだろう」と気楽に考え車を走らせました。

近頃はスタート地点に行くまで
かなりの距離を移動しなくてはりません。

その距離を運転しながら、
よく歩いたなあと実感します。

130キロくらいはもう歩いたでしょうか。

マラソンやトライアスロンをしていた頃には、
ランニングで月間400キロ、最長で600キロ、
バイクもいれれば月に軽く1000キロは
超えていたことから考えれば、
短い距離かもしれませんが、
移動時の密度が違います。

あの頃は、脚と内臓を駆使して移動していましたが、
今はどちらかといえば、
たよりない脚と少ない脳みそを酷使して
歩いているようなものです。

でも病に倒れた頃には、
想像もつかない今の元気な自分に驚くとともに
楽しいことを見つけたという
喜びに日々満たされています。

思えば、昔から熊野詣といえば
「再生信仰」に基づくものでした。

小栗判官の物語も生まれるべくして生まれました。
熊野比丘尼たちもそんな話で
人々を熊野へ導いていたことだろうと思います。

doironも最初はそんなつもりは全くなく、
近くに街道があるから健康のために歩いてみよう
というくらいの軽い気持ちで歩き始めたのですが、
歩くにつれそして様々なものに触れ、
人に触れているうちに、元気になってきて

「ああこれが再生信仰のなせる御利益なのか」

と思い始めました。

そうです、知らず知らずのうちに
熊野に導かれていたのかもしれません。

この先どんな出会いがあるのか、
そして果たして熊野にたどり着けるのか
それはわかりませんが、
今を精一杯楽しんでみるか、
という気にはなっているのはおわかりいただけると思います。

これもみな理解してくれているミセスと
時折一緒に歩いてくれる友達のおかげやなあ
と感謝せずにはいられません。

とまあ、そんなことを高速道路から
これまで通ってきた道をちらちら眺めながら考えつつ、
車は湯浅の駅へと到着しました。



駐車場に車をいれたのが7時20分。
バスの時刻まで30分あります。

駅の待合室にたたずんでいますと、
高校生たちの通学時間らしく、
到着した電車から続々と生徒たちが降りてきます。

田舎の高校は朝が早いんやね。

きっと今日の歩行が終わる頃、
彼、彼女らは帰宅の電車に乗るのでしょう。
この子らが学校で一日勉強するよりも、
たくさんのことを学んでやる
と気合を入れながらバスを待ちました。

その日、乗ったのはこのバス。



前回のバスと同じ、緑のバスです。
出発を待っている間も雨は降り続いていましたが、
乗ってしまえば雨でも歩かざるをえないなと腹をくくりました。

時間待ちの間運転手さんと話をすると、
前回乗ったところより向こうは
フリー乗車区間になっているとのことなので、
河瀬橋で降ろしてもらえるようにお願いしておきました。

結局降りるまで、客は他にはおらず、
無事に前回引き返した河瀬王子のそばで
バスを降りることができたのですが、



その時も雨は依然として降っていました。

合羽に着替えて、とりあえず行けるところまで行ってみましょう。

続く。


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