ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

太子たもんだ 2

2014年09月13日 21時48分05秒 | ウォーキング

ここからしばらく歩行は
道標にある右の竹内峠を目指し



竹内街道を進みます。

ダイトレで横切るあの二上山と
葛城山の間のあの峠ですね。

生垣の木に隠れていた道標には



「右 たへま つぼさか いせ よしの 高野」

と刻まれていました。

この街道には、路面に茶色の舗装が施されていたり、
石畳があったりし、
特別な道として太子町の思い入れを感じます。
しかも、マンふたには、
叡福寺の宝塔と、あの聖徳太子が作ったとされる
「17条の憲法第1条」の言葉である
「和を以って貴しと為す」が刻まれているという力の入れよう。



数々のマンふたを見てきましたが、
言葉が入っているこんなのはこれまでありませんでした。

また地元の人達も各家の前にこんな板を置いており、



この道を誇りに思われていることが伺えますね。

おっ、道の向こうに二上山が見えています。



やがて六枚橋という橋を渡ります。



板が六枚敷かれた橋だったからだといわれています。

ここから竹内峠へののぼりが始まるのです。



おりしも一台のロードレーサーが、
よっしゃ行くぞと言わんばかりに
立ち漕ぎで入っていきました。
まるで昔の自分を見るようですなあ。

竹内街道のこんな案内を見ながら、





太子温泉という看板にも心惹かれましたが、



今日は時間がないのでスルーです。

しばらく登ると江戸時代から
ここにあるという「しもの地蔵尊」がみえてきました。



きれいに掃除され、
つい今しがた供えられたような
可愛い花が手向けられたその地蔵堂の姿から、
地元の人の篤い信仰が伺えますね。

と、その横にこんなお墓が建っていました。



「二見岩之墓」「門弟中」と刻まれています。
地元出身の相撲取りでしょうか。
手元の資料にも何も書かれていないので、
この先にある
「竹内街道歴史資料館」で尋ねてみましょう。

今日はこの交差点を右折して、



太子町内をグルリンパと回る予定ですが、
もう少し先まで行きます。

そこにあるのが「孝徳天皇陵」です。
急な坂を上って訪ねてみましょう。



この時代の頃は異母兄弟が結婚したりして
家系が複雑です。
「おじ」とか「いとこ」とか
そういう家系の言葉が当てはまらないような
血縁関係があってややこしいのですが、
この孝徳天皇は
聖徳太子の遠い親戚であることは間違いありません。

大化の改新の事業に勤しんだ
第36代天皇なのですから、
古市古墳群、百舌鳥古墳群とつながるこの街道沿いの
立派な御陵でありました。



御陵の周囲は、緑が濃く
秋の花が色づいています。

アキノタムラソウや
あまり街中では見かけないワレモコウや



ツリガネニンジンも秋風に揺れていました。



さあ、ここから竹内街道歴史資料館までもう少しです。

そこで先ほどの墓のことや街道沿いにあった
こんな淵のことなど



いくつか質問しようと思っています。

看板に沿って行くと・・ありました。
ここです。



う~んと、入り口はどこかなと詰めていくと、

ガーン!

定休日でした。



博物館などの休みが多い月曜日を避けてきたのに
週に二日も休むのかいな。
これはショックでした。

「開けてくで~」と門にしがみついて
ガタガタしてやろうとおもったくらいです。

すると、門のすぐ内側に道標が見えました。



回り込んでみてみると

「すぐ大坂道」と「左 たゑま竹内 よしのつぼさか 道」

と刻まれています。
ここにあったとは思えないから、
どこかから移設されたのでしょう。

すっかり道標にほだされて、
定休日のショックから立ち直ったdoiron。

さあ、街道に戻って逆行し、
孝徳天皇陵のところから
太子グルリンパコースに入っていきましょう。

あ、正しくは「ツールド大阪太子ウォーキングコース」といいます。



続く。


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