ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

葛城古道 大和三山を眺めた

2015年03月08日 21時26分03秒 | ウォーキング

右手の社務所のところに
大きなムクの木が立っています。



司馬遼太郎も見上げた木です。

新しいお百度石も立っていました。

実は石切詣で以来、お百度石の
写真をコレクトしています。
もうかなりたまりました。



一言だけ願いを聞いてくれる一言主さんに
百回お願いをするんですね~。

効き目ありそうです。

その後ろには大きな銀杏の木が立っています。



中が空洞になり危険だということで
上部がバッサリ伐られています。

その伐り口の高さあたりに、
乳房のようなものが
いくつも垂れ下がっていることから、



お祈りすれば安産と
乳がよく出るといわれているようです。

丸太で支えられている老木の姿は
まるで、晩年の両親を見るようです。

本殿にお参りして、



ここを後にしました。

元の参道に戻り、
神社を左に見ながら古道は登って行きます。



ああ、ここにも橋が架かっています。



役行者はきっとここにも石橋を
架けるように命じたんでしょうねえ。

古色豊かでかつ何となくさびれた感じの集落を抜けると、
道は里山を巡るように続いていきます。



ここでは左の細い道に入り



堤防のような道を歩き、



段々畑の間の道を登って行くと



神武天皇に続く第二代の天皇である

「綏靖天皇の宮跡」

に出ます。



日本書記や古事記にも
系譜の記載はありますが、
その他の記述は少なく、
「欠史八代」の一人に数えられています。

他の書物では、この天皇は
人を食べたといわれています。

そのことの理由はよくわからないのですが、
これまで書いてきた話と総合すれば、
このあたりの土蜘蛛といわれる原住民を
退治してきた話につながるような気がします。

当時の土蜘蛛退治はきっと
凄惨を極めた有様だったのかもしれません。

なおも山の縁に沿って進んでいきますと、
またもやイノシシ除けの柵がありました。



それを開け閉めして、歩いていると
気持ちのよさそうな休憩所がありましたので、



最後の休憩を取ることにしました。

ここからは田んぼの向こうに
大和三山が見渡せます。



これが今回のベストシーンでしょう。

近頃道歩きに欠かせないのが、
この保温水筒です。



ここにコンビニで買ったカップの
コーヒーを注いで持ち歩きます。

ここまで、濃密に歩いてきた頭を休め、
大和三山を眺めながらのコーヒータイムは
格別でしたわい。



コーヒーを飲んでいたら
二人で歩いている人が通りかかり、
少し話をしました。

地元の人だそうで、
ここを良く歩いているとのこと。

そういえば、今回の歩行では
いろんな人に話しかけられました。

風邪の森の入り口には
こんな看板も立っていたのに、



道ですれ違った女子高生も愛想よく
「こんにちは」と声をかけてきましたし、
小学生の子どもらにも
「僕ら2年生やねん」といいながら
話しかけられました。

きっと、気持ちが良くて
にこにこしていたからかもしれません。

そうそう、高天原から下りてきたところでは、
同じような恰好で反対向きに歩いていた
若い男性も、「いい道ですねえ」と言ってましたな。

さああとひと歩きです。

こんな看板を見ながら、
進んでいきますと



「九品寺」に到着します。



境内はよく整えられています。



浄土宗のお寺は、
檀家からの寄進も多いのでしょう。
素朴な葛城の神々の社から下りてきて、
こういう寺に詣でると、
俗っぽいことを考えてしまいますなあ。

西国三十三か所を巡り歩けるコーナーも歩き、
この寺の裏山から発掘されたという
千体仏の一部を眺めながら



逆にどんどん現世に近づいてきているような気になりました。

御所の街を見下ろす大地を
もう少し北に進みます。

新しく区画整理された道と、
古道が入り混じり
このあたりはちょっとややこしくなっていますので、
地図をよく見て進みます。

駒形大重神社の鳥居がありました。



登ってみましょう。

名前に「駒」の文字が入っていることから、
馬に関係する人がよくお参りするそうです。

「たまに買ったら競馬が当たりますように」

さていよいよ歩行も終わりが近づいてきました。

ここに掌を合わせて、



あと1話続きます。


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