ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

瀬戸内一人旅 倉敷編1

2018年11月25日 21時20分10秒 | ウォーキング

台風災害の修繕の中で
ガレージを触ることになり
駐車場がこんな感じに便利になって
ミセスが車を出すのも便利になりました。



これまではというと、
doironがいないときには
ミセスがでかい車を必死で動かして、
軽自動車を出していたのです。

最初の頃は「大冒険」だった、
と言っていたのだが、
まあこの頃は慣れてきたものの、
やはりまだ変な汗をかくと言ってた。

だからdoironが電車で
歩きに行くときなんかでは、
今日はできるだけ軽自動車を
動かさないようにしようと
心を決めていたのだそうだ。

とはいえやはり車が
必要な時はよくあるもので、
そんな日に軽自動車の出動が
頻繁になることが予想される日には、
doironが車で駅まで行って、
安い駐車場に止めてくる
というようなこともよくしたものだ。

そんな風にdoironの行動が、
ミセスの動きを制限するということは、
ミセスへの点数稼ぎとか
これからのことも考えて
できるだけ避けるようにしていたのです。

でももう安心ですね。

doironが車じゃなくて
電車で出かけても全然平気です。
ミセスは自由に軽自動車の出し入れを
すればいいわけです。

よかったねえ、これでdoironの
自由度がさらに上がるねえ。

なので発泡酒じゃなくて
ビールをお祝いしようなどと
駐車場完成をよろこんだり
していたのですが、
その隙にdoironはもう新たなたくらみを
思いつきミセスを説得し始めていたのです。

「こうして自由になったからには、
doironの電車でブラブラと
一人旅もいいのではないか」
と行ってみたら
「そやねえ」と言ってはりました。

で、これはもうチャンスだと思い立ち、
翌日に電車一人旅計画を
提出してみたわけです。

「う~ん」といいつつ、
昨日の今日なので決済がおりました。

ではどこに行くかと考えると、
今行ってみたい場所が
結構瀬戸内にあるなあと思い、
プラプラとその辺の一人旅をしてみよう
ということにしたのです。



計画で行くと一番遠方で
「尾道」くらいですかねえ。

年金暮らしですから
財布にあまり負担にならないよう、
にしないといけません。
なので新幹線には乗りませんよ。

計画は2泊3日。

宿ははっきり決めていません。
瀬戸内の大きな駅前には
大きなビジネスが結構ありますからね。

では、まず最初は倉敷を
目指してのんびり向かいましょう。

神戸、相生、岡山とこえていき、
昼過ぎには倉敷に到着です。

まずはここでは、
あの京都醍醐寺にあった
名石である”藤戸石”の産地を
見に行くことにしました。

ここを見るのはねえ、
醍醐寺であの名石を
見たときからの要望でした。

あの、天下の戦を左右した
石の姿はさすがに
かっこよかったものねえ。
あんな石があったところ
というのはどんなところだったのか。

そういうところを見たい
というまあこの辺の要望が、
今回の旅先を決める
一つの要因であったと思います。

藤戸石は現地では

「浮洲岩」

といわれていたそうです。

藤戸海峡にはいつもその石が
顔を出しており、
ここを馬で渡れるかどうかの
目安となり、それを制した
佐々木盛綱の軍が勝利を収めた
といういわれがあったりします。

その後、この石は『東備郡村志』によれば、
名石として珍重されて
建武年間(1334~1338)に
当時の将軍足利義満が取上げ、
金閣寺へ移したそうです。

そしてその後は細川典厩家の庭に
置かれていたのですが、
細川藤賢の代となってから
織田信長が錦に包み足利義昭の為に
築城した二条城へ移し、
後に豊臣秀吉が聚楽第へ、
さらに江戸後期には
山城醍醐寺三宝院の庭園に移ったという、
天下人がかかわった石なのです。

今年、醍醐寺に行って
撮影したその石がこれです。



これが全体写真で、
ひとつだけ圧倒的なオーラを
放つ石がありますね。



そうこれが天下の名石「藤戸石」なのです。

これのあった場所というのが、
倉敷のここであります



と続く


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