ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

尼崎慕情 大叔父さんの思い出

2015年07月17日 21時02分07秒 | ウォーキング

子供の頃、尼崎に親戚がいたので
よく連れて行ってもらった。

その大叔父さんはdoironにとてもよくしてくれて、
バイクの後ろに乗せて
あっちこっちに連れて行ってくれたのを
かすかに憶えている。

その大叔父さんも
90歳で町内の卓球大会で優勝したり
と元気だったのだが、
寄る年波に勝てず数年前
100歳近くで亡くなられた。

今回はそんな遠い記憶のかなたにある
尼崎を一度ほっついてみようと思い、
夏の日差しの中を出かけて行った。

コースはこの通り。



かすかな思い出の地には、
doironと少なからず因縁のある
神崎川が流れ、
かつて歩いた熊野街道近くにあった
近松門左衛門の
もう一つの墓があるということなので、
それらを巡るコースを歩くとしたのだ。

尼崎へはdoironちからだと
阪神高速湾岸線でわずかな時間で到着するので、
電車ではなく車でビューンと飛んで行った。
湾岸道路を走るのはずっと道が高架。
飛んでるイメージがするもんね。

目指したのは、JR尼崎駅。



あ、そうそう、なんで「尼崎」なのかというのを
まず書いておかねばならない。

昔々一人の尼さんがいたのだ。
その人が仏に仕える身でありながら
ある若者に恋をしてしまった。
身を焦がすような恋心に耐える日々を
過ごしていたところ、
日々のお勤めも上の空になり、
これは「尼」をとるか「女」を取るか
はっきり決断をしなくてはならないと考えた。

しかし、故あって尼の身となった自分には
どちらも選べない。
悩んだ挙句、その尼さんが、
大阪湾に面した岬で身を投げたため
「尼崎」と呼ばれている・・・

というのは真っ赤な手の込んだウソで
「尼」は「海人」すなわち漁師に由来する言葉で、
まあ漁を生業とする人たちが多かったところから
「尼崎」となったというのが本当のようだ。

無駄な言葉を並べてしまってすまぬすまぬ。

尼崎市は人口40万人を超える中核市だけあって、
その玄関口である駅も
少なくとも我が泉O津よりは立派であった。

駅前コインPで最大駐車料金設定のあるところが
あちこち満車だったけど、
なんとか一台の空きのあるコインPを見つけて
駐車することができた。

さあ、ナビをセットして歩きはじめよう。

まずはJR神戸線に沿った道を
大阪方面に向かって歩き始めた。



道の両側には大企業の敷地が続く。
こちらは、ヤン坊とマー坊が
サッカーをするところ。



ユニホームを着てたらどっちがヤン坊で
どちらがマー坊なのかわかりませんよねえ。
監督も困るでしょう。



線路を挟んで向こう側には
別の耕耘機会社もある。

うかつにニューモデルを屋外には出せないやろね。

こ、これはカラスの形をした偵察機かもしれない。



歩道をどんどん進んで行ったら、
やがて園田橋線に出るのでそれを左折し、



JRのガード下をくぐる。



おお~、近ごろ標高表示はよく見るが、
ここは標高どころか

「水深15cm」だと。



さすがに海が近いだけのことはある。

こんな風呂屋を横目に進んでいくと、



やがて大きな交差点に出る。



コースはこれを右折だ。



前方が高架になって登って行ってるのは、
神崎川に架かる「神崎橋」へとつながっているからだ。

その前に立ち寄りたいところがあった。

それが「西川八幡神社」。

ここには「尼崎藩の領界碑」があると
資料に書かれてあった。
「石」ならば見に行かなくてはなるまいて。

神崎橋の手前を左折し、
住宅街に入って行くとその神社があった。



まだ喪中は続いているため、
鳥居をくぐらずに中に入って行くと



その石が立っていた。



「これより東が尼崎領」で
別の面には「これより西侘領」とある。
この「侘」というのは「他」という字の
異体字なんだそうだ。

これは初めて知った。

ふむふむと続く。


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