動物除けのフェンスの先が、
岩神峠(標高671m)です。
う~む、この辺りまで
結構心拍数を挙げてきましたが、
体は平気ですね。
普段やってるへなへなトレのおかげでしょうね。
ここから先は、
こんな下り坂や平坦地が
続いていきます。
あっ、熊野古道迂回路の
道案内もバージョンアップしていますね。
で、ちょっと広い場所に出ました。
このあたりには、
ささやかながら小さい柱状節理が見られます。
ここまでに来る間に、
林道で見かけた
道路を斜めにまっすぐ横切る地層や
斜面に広がる屈曲した地層など、
地学ファンには面白い地形が続きますね。
ここの柱状節理なんかも
うまく取り上げれば
ちょっと名物になるんではないかなあ。
あ、でも迂回路だったらダメかねえ。
こんなお助けトイレを利用し、
さらに進んでいきますと、
どうやらこの辺で
本道と迂回路が合流するころです。
その目印の一つに
「蛇形地蔵」があるんですね。
昔この辺で餓死した死者の
怨霊に取りつかれた旅人が
多かったので設けたお寺だ
ということで、
いまはぜん息、腰痛に
霊験あらたかとされ、
年に一度大きなお参りが行われるそうです。
で、なぜ「蛇形地蔵」というと、
この地蔵の背後に、
このあたりで発掘された
海藻の化石が蛇のように
見えるからだそうです。
たしかにそういわれて見てみると、
蛇の化石のように見えます。
よくできた話やなあと
思う前にもう一つ
そこにこれがある事件に
驚きますよねえ。
なぜ、こんな山の中に
「海藻」の化石があるんでしょうねえ。
この辺も地学ファンが喜びそうです。
でもたしかにそういわれている
だけあって、見事な化石が
残っていましたね。
しっかりお願いして、
腰痛を直してもらいましょうか。
ここが、その旧道と迂回路との
交差点です。
やっとここから熊野古道を
歩くことになるわけですね。
おお~、確かに道案内から
「迂回路」の表示は消えていますねえ。
無事復活です。
そのあたりに「一里塚」があります。
順番で行くと29里(116キロ)に
なりますが、
ここまでも迂回路を通っていますし、
もしこの表記が正確だとしても
もう少し長い距離を歩いているでしょう。
doironの場合、
ちょっと興味のあるものとかあれば
うろうろしますから、
ネットで測ると、
大体資料の1.2倍くらいの
距離を移動しているようですしね。
で、山道を歩いていますと、
小さな橋に出ました。
かなり年期が入ってますねえ。
え~、わたるときは一人ずつ
お願いしますって・・、
誰もおらんけど。
ここまで歩いていて、
出会った人は2人ぐらいでしたかね。
それも外国人です。
日本人よりも外国の人のほうが
この世界遺産に興味があるのかもねえ。
で、なんとなくかつて
人がいたような、
そんな雰囲気を感じながら歩いていると、
「湯川一族の墓」がありました。
そう、このあたりが
「湯川一族発祥の地」と言われています。
この近くに出没する山賊を
退治した行により
土地の拝領を賜った一族です。
実はこの湯川一族と
doironは少し関係があります。
doironが彼らにやっつけられた山賊の末裔・・・
というわけではなく、
彼らの賜った土地というのが、
御坊市の湯川一帯で、
そこには今もdoironの義親の実家が
あるところなんです。
いやあ、それにしても湯川一族って、
こんな山の中に発祥したんですねえ。
今も湯川一族が集まる
「湯川会」というのがあるそうで、
あの有名な湯川秀樹さんも
そこにおられたそうです。
そんな湯川関連の場所にある王子が
「湯川王子」です。
こんな社殿もあり、
かつて現皇太子殿下も
来られているようです。
こんな石碑もたっています。
続く
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