ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

ドジ旅日記巨木棲息の陰謀2

2018年04月10日 21時18分25秒 | ウォーキング

さあ、ではこの日のスタート地点である
四条畷に向かって、
いつものように南海電車で向かいましょう。



松ノ浜でジダンと合流です。

この日はdoironの予定通りの
時間に集まりました。
さすがにこれだけ事前に下見をし、
缶バッジまでそろえただけのことはあり、
どんな陰謀も及びません。

セイゾーとも京橋で無事に合流しました。



ここからJR片町線で向かいます。

千里ちゃんとは四条畷で合流です。

電車に揺られながら、
我々の緊張は高まっていくばかりです。

ジダンより
「doironさん、リュックのファスナーは
上で閉めるのではなく
下で閉めないと開いていきますよ」との指摘。

なるほど、こういう持ち物の姿一つも
陰謀との闘いの中では
肝心なことなんですねえ。

「あ、巨木の陰謀でズボンのチャックは
開いてないかなあ」と思わず、
ひとしれず、そこはかとなく
確認してしまいましたがね。

巨木じゃないので大丈夫です。

予定より少し早く、
四条畷駅に到着しました。



もう彼女はホームのところで待ってはります。

ウヒャーお久しぶり。

千里ちゃんに、
地図とバッジをあげて記念撮影です。

カシャ!



今回は巨木訪問第2弾ですからね
と注釈を入れて、
さっそく歩き始めましょう。

「え~っとみなさん。
この四条畷駅は四条畷市に
あるんではなく大東市にあるんですよ」
とさっそくマンふたで説明しましたが、



う~ん反応が薄いですねえ。

「ああそうですか」「はいはい」
程度に答える程度です。

もう下見ブログで報告したからですかねえ。

もうこんな事実に驚かないほど、
皆さんクスノキに対して
緊張を走らせているんでしょうか。

いやもう、前方に見えている
「楠正行のクスノキ」の陰謀が
気になっているんでしょうねえ。



「楠」なので「くすのき」、
わーい、よくこんな所見つけましたねえ。
楽しいですねえ。
え?そんなことない?
失礼しました。

もう商店街の先の方に、
その巨大な姿が、あの東京ビル街の
ゴジラのように見え隠れしています。



さあ、では1本目の巨木に
出会いましょう。



ここは、楠木正成の長男である
正行の場所であります。
明治政府によって
「大楠公」と称せられた正成に対し、
正行は「小楠公」と呼ばれています。

では私の息子は「小doiron」で
夏に生まれるのは
「孫doiron」と呼びましょうか。

正行の墓は首塚、胴体塚など
全国に6箇所あるとされていますが、
ここは彼が破れた
「四條畷の戦い」の戦死した地だそうです。

墓の入り口には「忠」と「孝」と
彫られた石が立っています。



彼の性格を表すんですかねえ。
そして墓の入り口には
小さな祠が立ち、下見の時には
ここに「夜の帝王」という
お酒が置かれていましたけど、



今日はないですねえ。

代わりに頭にタオルを巻いた
「夜の帝王」が来ていますねえ。

そしてそこに植えられているのが、
超巨大な「クスノキ」。

大きくて、資料によっては
大阪ナンバー2のクスノキ
ともいわれています。



そうなんです。あらかじめ
言っておきますが、
本日訪ねる巨木はほとんどが
クスノキです。

ねむの木とかバオバブの木とか
そんなんではありませんからね。

この「クスノキ」、
特異な芳香を持つことから、
「臭し(くすし)」が語源だとか、
樟脳の薬が語源、
あるいは病原菌退治に使われた
「くす玉」が語源になったり
という説があります。

においや成分が薬になることが多く、
その辺が語源になっているんですね。

この小楠公の墓地には
そんな巨大なクスノキがそびえています。

確かにまあそのくすのきの
大きさも驚きなんですが、
ここでは「贈従三位楠正行朝臣之墓」と
刻まれたでっかい墓石もまた驚きでしたな。



一発目から巨大に棲息する
クスノキに感動しつつ、
コースを進んでいきましょう。

続く


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