ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

も少し三重を1

2019年01月08日 21時21分15秒 | ウォーキング

友達が仕事に行くための
車にこっそり便乗させてもらって、
三重県まで来ていました。

津市内をくるくると歩き回り、
リーズナブルにこんな遠い所を
楽しく歩かせてもらいましたね。

まあ年金暮らし者には
うってつけの安上がり旅行です。
帰りもまたひらってもらって
載せて帰ってもらうのも
いいのかもしれませんが、
まあそこまで厚かましい
お願いはできません。

帰りはJRで帰ろうと
計画していたのですが、
まあまだこのまま帰るには
ちょっともったいないなあ
という時間だったので、
せっかくなので別の地域も
歩いてみることにしたのです。

事前にネットで見てみますと、
津の少し北側に「河芸」という
地域がありますので
そこの地図を打ち出して
持ってきていましたので、
そこを歩きましょう。

「河芸」といっても、
川で河童が踊っていたから
というようないわれではありません。

河曲(かわわ)郡と庵芸(あんげ)郡
という「河」ていう字や「芸」という字が
ついていた地域の合成名です。

その河曲と庵芸の地名にいたっては
由来はよくわかりません。

今は津市の一部の地域になっています。
この河芸町中心に
伊勢上野城跡がありますねえ。
訪ねていきましょう。

津の駅から近鉄電車に乗ります。
これが「津」駅の表示板。
近鉄は「津」であることが
よくわかりますねえ。



でもJRは駅の表示板が
クエスチョンマークになっていますよ。



おお~ミステリーツアー用かあ。
と思ったら、ひらがなの「つ」で
下に漢字が書かれているんですねえ。



ずっと以前からここの駅表示は
「はてな?」に見えると
よく言われていたそうです。

では近鉄にのって豊津上野駅を
めざしましょう。

ちょうど学生の子どもたちが
帰宅する時間ですねえ。
電車には学生たちが
いっぱい乗っています。

海沿いの街々を通過して、
豊津上野は4つ目の駅ですねえ。
何となく寂しい駅です。



駅前で地図を見つつ、



さあ歩くかなあと思い始めたころ、
どうも見た目が中米人風の
女学生が通っていきます。

日本も国際化しましたねえ。

さあ、歩くぞと思ったコースの
前方をその女学生が
何となく後ろを気にするように
歩いていきますよ。



あれ~そっちは僕の歩くコースなんですが。



田舎道であまり人通りのない村中の、
ずっと前方を歩いていますねえ。
するとやっぱり人の家のない
田舎道に入ったら
後ろを気にしたのか
走って行ってしまいました。

なんか勘違いされたのかなあ。
こんな上品なおじいさんやのになあ。
まあここはそんなに人が
歩くようなコースじゃないんでしょうか。

こんな地方の都市で
メチャ警戒されてしまいました。

そんな女学生が、みえなくなって、
こちらは逆にホッとしましたねえ。
でもアリババみたいな一族が
なにすんじゃ~みたいに
おそってこないかちょっと心配です。

そんなことを考えながら
田舎道をしばらく歩いていくと
「光勝寺」に到着しました。



ここが伊勢上野城の分部光嘉が
嫡男である「光勝」の菩提を
弔うために建てたお寺だ。



息子の名前を寺の名前としているんですねえ。
昔は上野城の北にあったのですが
ここに移転してきています。
田舎の村外れにポツンとあるお寺。
何となくお寺そのものは
さみしいのですが、
裏手に大きな墓地があります。

地域の人々の菩提寺として
親しまれてきたんでしょうねえ。

このお寺の横を登っていきますと、
広い道路に出ます。
これを左に曲がると
伊勢電鉄の河芸の駅の方に
出ていくのですが、
ちょっと時間を食いそうなので、
右折して伊勢上野城の方を
目指していくことにしました。



この頃田舎でよく見かけるようになった、
大規模な太陽光発電のあるところを
山に向かって歩いていきます。

続く


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