ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

瀬戸内一人旅 尾道編2

2018年11月28日 20時58分21秒 | ウォーキング

林芙美子、彼女は放浪記の冒頭にこう言ってます。



「私は宿命的な放浪者である。
私は古里を持たない…
したがって旅が古里であった」と。

古里を飛び出し、
一人でプラプラと旅するdoironとは
少し毛色がちがうかなあ。

そんな林芙美子像を背に、
さあ尾道の真骨頂、
山の方を目指して進んでいきましょう。

踏切を渡ったところに
こんな細い階段道がついていますよ。



上がっていきますと、
行き止まりになっています。

ああ、まだまだ尾道になれていない
doironにとってはまだここの道と
コミュニケーションがとれていません。

階段を降りて下の道を右に上がっていきますと、
おおここが古寺巡りの入り口ですね。



JRをこんな陸橋を渡った
ところから続いて行きます。



さきほどの林芙美子像のバックに
移っていた陸橋ですねえ。



上に上がっていくと、
聞こえてくるのは中国語ばかりでしたが、
その先のこんな道の
ところに出てきます。



狭い露地を抜けていきますと、
お寺の下のところにあったのが
2階井戸です。



井戸の取水口が二階建てになっており、
上からも下からも水を組むことが
できる仕組みになっています。



そもそも尾道は山手に
古寺がいっぱいあり、
民間人のお家があまり
なかったんだそうです。

でもこうして井戸を掘り
生活しやすくなってきたので
家ができていったという
経過があるそうです。



ブラタモリでは二階部分から
水を組む作業を映していましたが、
こういう井戸が人々の生活を
広げていったのですねえ。

亡くなった義父はこれが大得意。

好きな釣りに行ったときに、
海辺であっという間に水を
救い上げていましたねえ。

そんなシーンを思い出しながら
最初のお寺である「持光寺」に到着です。



お寺の案内なんかは、
こういうボードに記載されていますねえ。



どれどれ。

このお寺は天台宗のお寺ですねえ。



こういう多角語に対応した
音声案内なんかもありましたが、



う~ん周りが静かすぎて
音声を出しにくかったです。

このお寺にはこんな六地蔵も
ありましたねえ。



そして、臥竜の松と呼ばれていた
大きな松を飾っています。



もう生き耐えた松なんですが、
最後に白い花をつけたんだそうです。

松の花ってわかりますか?
どんな姿だったんでしょうねえ。

いつかは死んでいく生物の姿は、
私たちに無上の理を
告げているんだそうです。
ああ、お寺の人はうまいこと言いますね。

そして女流画家平田玉薀の墓を
眺めながら、この寺を出ていきましょう。



しばらく行くと、こんな道標と
狭い道が続いて行きます。



それにしても大変ですねえ。
こんな狭い道を郵便の単車が
ぐいぐい走り回っています。

「たいへんですねえ」
と声をかけると、
「時々道を間違えるんだ」
とおっしゃってました。

宅急便やごみ収集なんかも
どうなっているんでしょうねえ。

そして何よりもこんな狭いところに
家をよく建てたものです。

もう今となっては補修も
大変なんでしょうねえ。

大きな荷物なんかどのように
してあげていくのかと
そんなことも考えてしまいますよねえ。

そんな対策のいくつかを
実はこの後見かけたりします。

さあ、では次のお寺、
光明寺を目指しましょう。



この時、ふと気づいたのですが、
若い男子2人がずっと
同じコースを歩いています。

ちょっとお寺を外れて
大きな松の姿なんかを
見に行ったときも後ろに来ます。

変やなあと思っていたら、
二人とも中国人のようですねえ。

ああ、あの人についていったら
名所につくんやあ、みたいなことを
考えていたんかなあ。

あ、ここの道標のところには
トイレの案内もありますよ。



いいですねえ。

それをたよりにこんな坂道なんかを
歩いていきますと、
おお~ここのトイレも
情緒たっぷりじゃないですか、



と続く。


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