ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

とうとう、踏破 3

2013年11月14日 21時53分33秒 | ウォーキング

作才交差点に戻って、再び熊野街道を南進します。
このあたりは街道らしさの残るいい道です。



道の横には、古い水路がいくつも流れています。





そんないにしえを感じさせる風景とは逆に、
街道沿いでは住宅開発や
建て替えが盛んに行われていました。

もちろん、今風の住宅には、
虫籠窓や格子窓などはなく、
場所によっては異国情緒さえ漂う、
現代風の街並みに開発されているところもありました。



多分、この家々に住む人には
熊野街道沿いの家というような意識はないんでしょうね。

熊野街道の他の区間の家並みや
紀州街道の家並みと比べて、
そんな印象を強く持ちました。

やがて街道は、東岸和田駅南側を通る
岸和田港塔原線に到着します。
街道はそのまま真っ直ぐ細い道で続いていますが、
ここで寄り道をするため左折をします。

目指すのは歯神さんです。

100mほど東に行くと、右に交番があります。
その交番の南側に小さなお堂が2つあります。
そこが「歯神さん」です。



歯の神様というのは各地にあります。
doironの地元では、
曽根神社の横にある白山神社が
歯の神様と言われています。

現代でさえ、
歯のトラブルは歯医者頼みで、
歯医者がなければ
どんなに大変だろうと思うと、
昔の人は歯の難儀に怯えたことでしょう。

でもここの歯神さんにはちょっと違ういわれがあります。

このあたりは「土生」と呼ばれる地域で、
昔、年貢の減免を強訴して首をはねられた
土生の庄屋さんの墓がそこにあります。
どの時代にも男気のある人はおられるものです。

その庄屋さんを人々は崇めたかったのですが、
罪人として処罰された人を
おおっぴらに崇めるわけにはいかないので、
歯神さんとして崇めたのが始まりなんだそうです。

お堂の周りには大きな墓石のほか、
小さな五輪塔や地蔵がたっていて、





残念ながらどれがその庄屋さんの墓なのかわかりませんでした。

写真を撮って、
歩道のない道を、
交番のおまわりさんににらまれながら
元の道に戻ります。

街道の続きに入ると、
目の前に池の堤が見えてきます。



道ノ池です。

街道はこの池の堤防を行きます。
堤に上がると、フェンスの上に
なにやら怪しげな木彫りが並んでいますが、
無視をして少し前に目をやると、
道標がたっているのに気づきます。



これが道ノ池の道標地蔵です。



北面には「すぐ きしハた 左・・・ をぐり」
と書かれてあり、



南面には
「すぐ 牛たき かつらぎ 左 大坂 さかい」と
書かれてあるそうです。

あるそうです、というのも、
現地ではなかなか古い道標の文字は読みづらいものです。
資料で補いました。

これが道ノ池です。



今はほとんど水がありません。

ため池は漏水管理などのために、
年に一度は水を抜かねばなりません。
水田に水のいらないこの時期だから、
こんな状態になっているのでしょう。

「道ノ池」と名付けられたため池は
この街道沿いにいくつかあります。
街道に沿っているから
「道」の池と呼ばれているという説があり、
「堂の池」なんかも、
「道」と同じ音読みの「堂」が使われている
とも言われています。

池はお寺や神社とあわせて、
街道を考える重要な定点だと
府教委の資料には書かれています。

草が刈り取られたこの堤防を歩き、



街道は南側に降りるとありますが、
いまはフェンスがあって行けません。
仕方なく30号線に戻って進むことになります。

おっと、これは巨大なカメラ。



まさか防犯カメラではないでしょうね。
これぞ、防犯ガメラです。

しょうもないことを言ってるうちに、
津田川に架かる虎橋にさしかかります。



「虎」のいわれはよくわかりません。
街道は先ほどの道ノ池の堤から
真っ直ぐ来た地点で
津田川を渡っていたようです。



さてここから、街道は岸和田市内を抜け
貝塚市内へと入っていきます。

次回に続く。


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