ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

尾崎から和泉鳥取へ2

2020年12月05日 21時03分54秒 | ウォーキング

「湧泉乃碑」を眺めたら、



次は自然田の方に向かいましょう。

珍しい地名ですね。

「ジネンダ」と読みます。
いくつかの川の流域で、
自然に田ができたので
こんな名前になっているという事です。

その自然田の中にある瑞宝寺がここです。



創建時のことは不明ですが、
黒田寺同様に鉦講のあるお寺です。



立派な門のあるお寺でした。
そしてその先にあるのが、
自然居士の宅跡にある大イチョウです。



高さ16mで樹齢約490年の樹です。
自然居士というのは人の名前で、
この地で生まれた人です。

興福寺、東福寺と修行をし、
僧侶になったそうです。
のちに一人の少女が親の
保護のために我が身を売り、
その人を連れ去った人から
苦難の末に「自然居士」が
取り戻したという
謡曲があるそうです。



いちょうの所には「自然居士旧跡」と
江戸時代に書かれた石が建っています。



古いお堂や地蔵も置かれ、



地域の人には親しまれているようです。

このいちょうには多くの
銀杏が秋に実るそうです。



そこからどんどん自然田の
村の中に入ってゆきます。



そしてここを左折やなあと
曲がろうとすると、
マンホール工事で曲がれません。

仕方なので右折して
遠回りしていこうとすると、
道がくねくねでもうまったく
わからなくなってしまいました。

「ここはどこ?私は誰?」状態です。

ああもうこの自然田の人と
なるのかと思い始めたころに、
広い田んぼのところに出ました。



ああ、これでもう位置関係が
わかりましたね。
今から行こうとしている
「波太神社」はこちらの方ですと
向かって行くと祐道寺がありました。



ああここも鉦講のあるお寺ですね。
こうしてみると、この地方は
doiron同様に「浄土宗」の
人が多いのかもしれません。

波太神社はその先にあります。



ここはまあ、信長道歩き
のときにも来ましたね。
中までじっくり深入りせずに、
拝み石だけみることにしましょう。



それがこれ。
なんてことはない石ですが、
いろんな思いがそれなりに
雰囲気を醸し出しています。

さあてここからまた村中に
入っていくのは、
以前にとおった道です。

今回は車に注意しながら
広い道をまっすぐ
和泉鳥取に向かいましょう。



おなかがすいてきましたので、
コンビニで買ったおにぎりを
どこかで食べようと
通りをまっすぐ歩いて行くと、
右手に玉手山公園
というのが見えてきたので
そこに入ってみました。



どうも古墳なんかが
ありそうな公園です。



中に入っていこうとすると、
おお~なんとアベックが
ベンチで楽しそうに
くっついているではないですか。

これはもういけませんね。
人けが少なくていいわあと
思っていたのに、アベックの
邪魔をするような体制に
なってしまっています。

ここはまた後日に来ることにして
今日は退散です。



高速道路の入り口を過ぎ、
和泉鳥取の駅に着いたところで
時刻表を見ると15分後に到着です。

これはもう駅前のベンチで
食事だとおにぎりを
食べ始めました。



いやあ、今回の歩きは何となく
落ち着きのない歩きになったなあ
とか反省しながら、
遅い昼食を済ませました。

帰りはこのままJRで
帰るのもいいのですが、



もう少し歩き足りないな
と思ったので、熊取駅から
南海本線の方に歩いて
帰ることにしました。



車道をたらたらと20分くらい
歩いて井原里へ。
気候もさほど悪くもなく、
田んぼから吹いてくる風を
「気持ちいいなあ」
と思いながら歩きましたよ。

こうして日々豊かに遊びながら、
勉強しながら歩き、
帰宅してからおいしいビールで乾杯!

風に吹かれて気ままに生きている
自由なdoironの阪南市の一日でした。