ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

和歌山岡公園周辺4

2020年03月15日 21時10分37秒 | ウォーキング

この巨大な首大仏は、
首から上の願いをかなえる
といわれています。



え~っと、
髪の毛が増えますように
頭の中がよくなりますように
虫歯がよくなりますように
白内障がよくなりますように
耳がよくなりますように
歌声がきれいになりますように
鼻が高くなりますように
顔のしわがなくなりますように
って首から上の願いってめちゃ多いやん。

まあとにかく首から上が
最高によくなりますように
っとお願いしておきましょう。



いやあそれにしてもこんな大きな
首大仏を見るだけでも
ここら辺を歩いた甲斐が
あったというものです。

普通の住宅地ですが
ところどころにお寺があります。



それもそのはず、このあたりは
寺町通りといわれています。



昔からたくさんのお寺が並んでおり、
住居表示に寺町という地名はありませんが、
住民の要望でここは寺町通りと
名付けられているそうです。



ここが窓誉寺というお寺です。
もともとは窓養寺と
いわれるところでしたが、
ある時に僧が葬式に行った時に
嵐になって、火焔車がお棺を
引っ張っていこうとしたので
僧が拝んで合掌すると
月が現れたということから、
養は誉と名を変えて
窓誉寺になったそうです。

う~ん、先程の珊瑚寺といい、
なんかこの辺りは名前を
変える寺が多いようだ。

この窓誉寺には番町皿屋敷の
お菊の皿があるそうだが、
非公開なんだそうです。
なので境内には供養のために
お菊地蔵がまつられているそうです。

そしてお寺はまだまだありますよ。



「恵運寺」にはお墓がずらっと
並んでいますし、その先には、
「報恩寺」というお寺もあります。



このお寺は今回の歩きの中でも、
注目していたところです。
そう、このお寺の奥には、
徳川家の御廟があるからです。



静かな境内をどんどん進んでいきます。
道がどんどん奥に続いて、
山の中を登っていきます。



周りに人の気配は全くなく、
とても静かな感じで、



こんな扉もこえて階段を上っていきます。



そして一番奥の階段を上ったところに
徳川家の御廟がありました。



もともと藩主の徳川家の御廟は
海南の長保寺なんですが、
ここにはその婦人たちの墓があります。



埋葬は別々の場所だったんですねえ。
海南の長保寺にも
そのうちに行こうかと思っています。

そんな婦人たちの御廟に参って、
さあまた歩き始めましょう。

しばらく行くと、左手に



「徳川吉宗公の誕生地」

という小さな石碑があります。
紀州徳川家の2代目藩主
光貞の子でうまれたときは
刺田比古神社の神主の子
とされていたそうです。

のちに徳川家の8代目将軍となり、
享保の改革を進め
「徳川中興の英主」と
いわれたそうです。

偉大な人だったんですねえ。

その割に誕生地の石碑は
狭いところにありました。

写真をとってると、
横をとおったおばあさんが、
ここは何ですかと聞いて
きはりました。

吉宗公の誕生地ですよというと、
ふ~んといわれていましたねえ。

市民といえども
あまり興味のない人は
こんな感じなんでしょうねえ。

コースはここから美術館とかの
横を歩く感じになります。



和大の付属小学校の横を通り、
美術館の通りを進んでいきます。

途中、こんな広い所を
抜けていきますと、
そこにあったのが「時鐘堂」です。



建物の中に鐘がつるされ、
二人の番人が時がくれば鐘を
鳴らして時刻を知らせていたそうです。

その鐘は、大坂夏の陣で
豊臣が使った大筒を
粉河の鋳物師が鐘に
したものだったそうです。

でもねえ、そんな時代にどのようにして
時刻を決めていたのでしょう。
日の出と日の入りを
基準に定めていた
不定時法だったそうですが、
簡単な日時計みたいなのが
あったのかなあ。

そんな時鐘堂から山を
下りるように進んでいくと、
和歌山城がよく見える
まわりの道路に出てゆきます。



これで、今回の歩きは終わりですねえ。
全部回り終わっても
2時間くらいで、手軽に
歩きを楽しめましたね。

さあて次はどこに行くかあ
とか考えているのですが、
心臓の事、コロナの事なんかが
気になったりはしているのです。

早く落ち着いたらいいなあ。