ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

回文

2007年12月10日 22時53分27秒 | 生活
本題に入る前に、
今日は珍しいところで練習したから
記しておこう。
仕事帰りに久しぶりに大泉緑地を走ってきた。
1周3キロのコースをジョグで3周と
500mをダッシュで行って帰って1km。
ま、今日はこのくらいにしといたろって感じかな。
しっかし寒かったあ。
風呂もなしで駐車場代は痛いなあ。

さて、本題に入る。
今日は回文のことについて書いてみようと思う。
昔の「山本山」のように、
上から読んでも
下から読んでも同じになるという文章が回文だ。
しかし厳密に言うと

「山本山」は回文ではない。

山本山は上から読むと
「やまもとやま」だが、
下から読むと
「まやともまや」になるからだ。
それにそもそも「文」でもないし。

私の息子の名前は
「まさし」というのだが、
これに「様」をつけて

「まさし様」

というと、かなり近くなるが、
回文というまでにはあと一息必要だ。
そういう意味では

「雅子様」

もそうだ。
これを回文にするには、
例えばいつも同じ栄養ドリンクを飲んでいる彼に対して、

「何故まさし様、ゼナ?」

とすると、
下手だけど胸を張って、
回文を作ったといえるだろう。
この回文ばかりを扱っている本が市販されていて、
これが実によくできた作品で
満ちている。
著作権のことがあるから、
あまり書けないが、
一例だけぐらいなら許してくれるだろう。
これは、
世間に対して斜に構えて、
一人身を託っている女性の言葉だ。

「世の中ね、顔かお金かなのよ」

どうです?
うまくできているでしょ。
実は昔、わしも一度
その手の冊子に投稿したことがある、

「それは竹夫か、くそったれ、

仏殿の今朝の酒飲んでつぶれた
 
即、顔蹴った 腫れそ」

という文だ。

小さな「っ」が混じっているし、
意味も不明瞭な、
未熟なものではあるが、
何より長文だったことが、
結構受けて掲載していただいた。

ちなみに
竹夫(たけお)氏は実在する
回文の好きなわしの友達の名前だ
(ただし漢字は少し変えている)。

作ったのは
通勤の車に乗っている間。
信号待ちでメモを取りながら
職場で仕上げた。
今から思えば、
わずかな時間で
よくこんなのができたなあと
我ながら感心するわ。

なんとなく言葉の神様が
降りてきていたような
そんな記憶なんやなあ。
どうやって作ったのか
その手法さえもう覚えていない。
たまあにそんなときがあって
仕事の原稿も、無意識に
妙にスラスラ進むときがあったりするよな。

でも今夜はあかんな
最後にひとつ、できたのはこの程度の回文。

「夜ね、わしは寝るよ」