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「「建武政権・南朝は異常な政権」という思い込みから自由になるべき」(by 呉座勇一氏)

2021-01-23 | 建武政権における足利尊氏の立場
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年 1月23日(土)12時21分12秒

南北朝期の研究も佐藤進一氏(1916-2017)や永原慶二氏(1922-2004)の世代からは相当に様変わりしていて、中先代の乱が勃発するまでの後醍醐と尊氏の関係はそれほど悪くはなかった、という見方が今ではむしろ多数派でしょうね。
『南朝研究の最前線』(洋泉社、2016)の編者である呉座勇一氏も、「はじめに─建武政権・南朝の実像を見極める」において、戦前の研究に触れた後、次のように書かれています。(p7以下)

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 戦後歴史学は南朝を正統とする歴史観を否定し、北朝と南朝を客観的かつ公平に研究しようとした。もちろん中立公正な研究姿勢は正しいが、これが南朝研究の退潮につながった。
【中略】
 加えて南朝正統史観の衰亡にともない、"負け組"である南朝、そして南朝の前提である建武政権への評価は一転して厳しいものになっていった。戦前以来の公武対立史観と戦後歴史学の基調である階級闘争史観が結びついて、復古的な公家と進歩的な武家が対立する図式が強調され、「建武政権・南朝は、武士の世という現実を理解せず、武士を冷遇したから滅びた」という評価が浸透した。
 恩賞目当てに打算的に動く武士たちを非難し、天皇への忠義を唱えた公家の北畠親房は、南朝の守旧性の象徴として批判的に言及された(本書の大藪海論考を参照)。足利尊氏が建武政権から離反した原因も、天皇親政にこだわる後醍醐天皇と幕府再興を求める足利尊氏との政権構想の対立に求められた。
 建武政権・南朝は時代の変化に対応できずに滅びたと切り捨てる通説と異なり、佐藤進一や網野善彦は、後醍醐天皇の政治の革新性を評価した。だが彼らも、後醍醐が目指した理想は当時の社会の現実から遊離したものであったために新政は挫折した、と論じている。
 佐藤は後醍醐天皇を観念的と批判し、網野にいたっては「ヒットラーの如き人物像」(『異形の王権』平凡社ライブラリー)と論評した。すなわち、建武政権を非現実的な政権と捉え、政権崩壊の責任を、後醍醐の異常な性格に帰する点では通説と変わらない(本書の亀田俊和論考を参照)。
【中略】
 たしかに後世の人間から見れば、武家政権こそが中近世の"正常"な支配権力であり、建武政権や南朝のような天皇・公家優位の権力機構には、もともと無理があったように映る。しかしながら、同時代人もそのように考えていたかは疑問がある。
 実際、最近の研究によれば、足利尊氏は建武政権内で厚遇され、後醍醐天皇とも良好な関係を築いており、主体的に武家政権の樹立を志向していたとは考えられない(本書の細川重男論考を参照)。「建武政権・南朝は異常な政権」という思い込みから自由になるべきだろう。
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ということで、呉座氏の言われる「最近の研究」も、主として吉原弘道氏の2002年の論文と清水克行氏の著書でしょうね。
ところで、「建武政権・南朝は、武士の世という現実を理解せず、武士を冷遇したから滅びた」という戦後歴史学のいわば「保守本流」の歴史観は、実は『太平記』の歴史観と瓜二つ、全く同じですね。
従って、戦後歴史学は『太平記』と極めて親和的です。
この点、呉座氏も、

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 しかし結局のところ、戦後歴史学も知らず知らずのうちに『太平記』の歴史観に影響されてきたといえよう(本書の谷口雄太論考を参照)。一例を挙げれば、建武政権の恩賞配分が不公平で武士たちが不満を持ったという通説的理解も、『太平記』の記述に依拠しているのである。
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と言われています。(p11)
さて、最近の学説は「足利尊氏は建武政権内で厚遇され、後醍醐天皇とも良好な関係を築いており、主体的に武家政権の樹立を志向していたとは考えられない」という認識で概ね一致しているようですが、護良親王の位置づけについてはどうなのか。
私の見るところ、後醍醐と護良との関係については、殆どの研究者が「『太平記』史観」の影響から脱しておらず、脱出の可能性も見えていないように思われます。

征夷大将軍という存在の耐えられない軽さ(その2)~(その5)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/37968ec2d22b9aaae94c672afd446770
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/4fd1116047e33b2545c9b6155eab52b8
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/679ad9e52ebe90324ce3fb8e11eef575
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5290706102cdc152ca6ace8485c7f606
「しかるに周知の如く、護良親王は自ら征夷大将軍となることを望み」(by 岡野友彦氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/924134492236966c03f5446242972b52
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