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四月初めの中間整理(その13)

2021-04-15 | 四月初めの中間整理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年 4月15日(木)08時35分46秒

鎌倉を脱出した後、千寿王(義詮)は新田義貞の軍勢に合流しています。
千寿王配下の人数は僅少で軍事的には殆ど意味がなかったでしょうが、尊氏の指揮で義貞が動いていたことを示す象徴的な効果があり、鎌倉攻めでは戦功抜群の義貞も後に鎌倉から京に拠点を移さざるをえなくなります。
この間、赤橋登子の動向ははっきりしませんが、僅か四歳の千寿王をめぐるこのような手際の良い采配が登子を蚊帳の外として行われたとは考えにくく、むしろ登子が積極的に主導したと考える方が自然だと思われます。

謎の女・赤橋登子(その4)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/2b878e24056e3a1c120263f82ca51606

実家の一族が皆殺しになった場合、中世の女性の生き方としては、おそらく出家して一族の菩提を弔うのが常識的ではないかと思いますが、登子は出家はしませんでした。
また、「親兄弟の仇の筋」である夫と離縁することがなかったばかりか、義詮を産んだ十年後の暦応三年(1340)には基氏を産み、もう一人、女子(鶴王)も産んだようで、尊氏とは終生仲良く暮らしたようです。
現代人の感覚では、自分の親兄弟を皆殺しにした夫と一緒に普通に生活し、普通に子供を産んだりするのは相当に気持ちが悪い、というか、サイコパス的な不気味さを感じますが、登子はなぜにこうした生き方を選んだのか。
登子は今まで歴史研究者に殆ど注目されていなかった存在で、国会図書館サイトで「赤橋登子」を検索すると論文は僅かに一つ、谷口研語氏の「足利尊氏の正室、赤橋登子」(芥川龍男編『日本中世の史的展開』所収、文献出版、1997)のみです。
谷口論文を読んでみた結果、率直に言って、私には谷口氏の見解に賛同できる部分は全然なかったのですが、従来、登子がどのように見られていたのかを確認するため、谷口論文を少し検討してみました。

(その5)~(その7)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/e90942d529b1b3a7d0e87c141516fea5
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/91ebebdda3a73c79bc24e9e45ff0b492
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/6b9ea58a03901c6047d60f9cd0cfedcc

谷口氏の赤橋登子論は『太平記』だけを素材とするもので、ホップ・ステップ・ジャンプと軽やかに論理が飛躍する谷口氏の見解は、結局のところ『太平記』の読書感想文ではあっても歴史学の「論文」とは言い難いものですね。
ただ、『太平記』が全く参考にならないかというとそんなことはなくて、類似の状況におかれた女性に関する『太平記』の記事と比較して、登子がいかなる女性だったかを考えることはそれなりに有効な手法と思われます。
登子の場合、その立場が一番似ているのは正中の変(1324)に巻き込まれた土岐頼員の妻ですね。

(その8)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/0795e6a342f63fb541278853f7aab332

ちなみに『太平記』には自刃直前の赤橋守時が中国の古典を引用して縷々感懐を述べる場面がありますが、実際に戦闘の渦中に置かれた守時がのんびりと中国古典を引用したりするはずがないので、ここは『太平記』作者の創作です。
ところが谷口氏は、この守時エピソードに基づき、「たとえ、鎌倉が陥落せず、北条得宗の専制体制が安泰であったとしても、尊氏の寝返りがわかった時点で、守時はおそらく登子をみずからの手で殺したにちがいない。いや、みずからの手で殺さざるをえなかったであろう。兄守時もまた、他に選択する道はなかったはずである」と想像を重ねます。
谷口説は学問的には何の価値もありませんが、『太平記』はここまで歴史研究者を惑わせるのか、という事例の一つとしては興味深いですね。

(その9)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/4961756736d97a173f9a995df7c06a75

また、谷口氏は『太平記』の「継母の讒」エピソードに基づき、登子が直冬に冷酷だったとされるのですが、これも亀田俊和氏の直近の研究に照らすと、「継母の讒」自体が『太平記』の創作と考える方がよいのではないかと思われます。
ただ、登子に対する歴史研究者の関心が極めて低かった理由のひとつとして、この「継母の讒」エピソードの影響はかなり大きかったようにも思われます。

(その10)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/f523dc6318081a68d0d6786e192c21b2
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