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謎の女・赤橋登子(その8)

2021-03-06 | 尊氏周辺の「新しい女」たち
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年 3月 6日(土)18時15分28秒

赤橋登子の人物像を描くに際して、谷口研語氏のように『太平記』に全面的に依存するのは感心しませんが、類似の状況におかれた女性に関する『太平記』の記事と比較して、登子がいかなる女性だったかを考えることはそれなりに有効な手法と思われます。
登子の場合、その立場が一番似ているのは正中の変(1324)に巻き込まれた土岐頼員の妻ですね。
『太平記』に描かれた正中の変は明らかに脚色が多く、近時は後醍醐に本当に討幕の意図があったのかを疑う説も有力ですが、史実がどうだったかとは別に、一定の状況に置かれた女性の描かれ方を通して当時の女性観を窺うことはできるはずです。

「尊氏は、生真面目な弟とは違って適当な人間である」(by 亀田俊和氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/9771b1e1d8aa827144a122c0d9a7ded1
呉座勇一氏『陰謀の日本中世史』
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/78c38d905a374d9dc5a351afb8161781
『増鏡』に描かれた正中の変(その1)(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/39918d9939154b3a1b066e8073be4474
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ffb42616e74fe6277fef11bffae47174

『太平記』第一巻第八節「謀叛露顕の事」では、冒頭に無礼講の参加者の一人である「土岐左近蔵人頼員」が葛藤する場面が描かれます。(兵藤裕己校注『太平記(一)』、p54以下)

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 謀叛人の与党、土岐左近蔵人頼員〔よりかず〕は、六波羅の奉行、斎藤太郎左衛門尉利行が息女に嫁して最愛したりけるが、世の中すでに乱れて、合戦出で来たらば、千に一つも討死せずと云ふ事あるまじと思ひける間、かねて名残りや惜しかりけん、或る夜の寝覚めの物語りに、「一樹の陰に寄り、同じ流れを酌むも、皆多生〔たしょう〕の縁浅からずとこそ承れ。況んや、相馴れ奉つてすでに三年〔みとせ〕になりぬ。なほざりならぬ志の程をば、気色〔けしき〕に付けて、折に触れても、思ひ知り給ひぬらん。さても、定めなきは人間の習ひなれば、相逢ふ中の契りなれば、今もしわが身はかなくなりぬと聞きたまふ事あらば、亡からん跡までも、貞女の心を失はで、わが後の世を弔ひ給へ。人間に帰つては、二度〔ふたたび〕夫婦の契りをなし、浄土に生まれば、同じ蓮〔はちす〕の台〔うてな〕に半座を分けて待つべし」と、その事となく搔き口説き、涙を流してぞ申しける。
 女、つくづくと聞きて、「あやしや、何事の侍るぞや。明日までの契りの程も知らぬ浮世の中に、後世〔ごせ〕までのあらましは、忘れんとての情〔こころ〕にてこそ侍らめ。さらでは、かかるべしとも覚えず」と、歎き恨みて問ひければ、男は心浅く、「さればとよ、われ不慮の勅命を承つて、君に憑〔たの〕まれ奉る間、辞するに道なくして、謀叛に与〔くみ〕しぬる間、千に一つも命の生きんずる事難しと、あぢきなく存ずる程に、近づく別れの悲しさに、かねてはかやうに申すなり。この事、あなかしこ、人に知らせ給ふな」と、よくよく口をぞ堅めける。
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谷口氏は「尊氏と登子の結婚は、二人の第一子千寿王(のちの二代将軍義詮)の生年から逆算して、元徳年間(一三二九~三一)のころだったろうか」(p114)とされますが、義詮は元徳二年六月生まれなので、元徳年間であれば尊氏・登子の結婚は元徳元年(1329)に限定されます。
土岐頼員の妻は結婚して三年目ということなので、彼女が置かれた状況は時期的にも谷口説における登子に近いですね。
さて、「謀叛人の与党、土岐左近蔵人頼員」から突如として後醍醐の謀叛に加担しているとの秘密を打ち明けられた妻はどう対応したのか。

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 かの女性〔にょしょう〕、心さかしき女なりければ、夙〔つと〕に起きて、つくづくとこの事を思ふに、君の御謀叛事〔こと〕ならずは、憑〔たの〕うだる男、忽ちに誅せらるべし。もしまた武家亡ばば、わが親類、誰か一人も残るべき。さらば、これを父の利行に語つて、左近蔵人を返り忠の者になし、これをも助け、親類をも助けんよと思ひて、急ぎ父がもとへ行きて、忍びやかにこの事をありのままにぞ語りける。斎藤、大きに驚いて、やがて左近蔵人を呼び寄せて、「かかる思ひも寄らぬ不思議の事を承るは、誠にて候ふやらん。今の世にかやうの事を思ひ企て給はんは、ひとへに石を抱いて淵に入る者にて候ふべし。もし他人の口より漏れなば、われわれに至るまで、皆誅せらるべきにて候へば、利行、急ぎ御辺〔ごへん〕の告げ知らせたる由を、六波羅殿に申して、ともにその咎を遁れんと思ふは、いかが計らひ給ふ」と問ひければ、これ程の一大事を女性に知らする程の心にて、なじかは仰天せざるべき。「ただともかくも、身の咎を助くるやうに、御計らひ候べし」とぞ申しける。
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土岐頼員は謀叛の脇役、尊氏は謀叛の主役という違いはありますが、「もしまた武家亡ばば、わが親類、誰か一人も残るべき」というのは、まさに登子が置かれた状況そのものです。
そして、頼員の妻の場合、誰にも口外するなという夫との約束を破り、父・斎藤利行に事情を告げ、斎藤利行は頼員に問い質して、「これ程の一大事を女性に知らする程の心」の持ち主である頼員を仰天させ、頼員の同意を得て六波羅に通報するとの展開となります。
他方、登子の場合、仮に私が想像するように、尊氏が鎌倉を立つ前に討幕の決意を固め、それを登子にも打ち明けていたとすると、登子は土岐頼員の妻と同様に、夫・尊氏の謀叛の意図を兄・守時に通報し、尊氏を犠牲にすることで「もしまた武家亡ばば、わが親類、誰か一人も残るべき」という状況を回避することができたはずです。
しかし、登子はその選択肢を選ばず、沈黙を守ったまま千寿王脱出のゴーサインを待っていたと思われるので、赤橋家を含む北条一門の命運は、この間、登子が握っていたことになります。
そして登子の沈黙は最後の執権である兄・守時、そして鎮西探題の兄・英時に何をもたらしたのか。
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