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四月初めの中間整理(その10)

2021-04-13 | 四月初めの中間整理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年 4月13日(火)12時14分41秒

森茂暁氏の『足利尊氏』(角川選書、2017)は、尊氏関係の古文書の分析では最新研究でしょうが、そこに描き出されているのが宣伝文句に言う「これまでになく新しいトータルな尊氏像」かというと、そんなことは全然なくて、むしろ佐藤進一氏が半世紀以上前に描いた古色蒼然たる尊氏像と瓜二つですね。
さて、佐藤氏の「公武水火」論を検討した後、井上宗雄著『中世歌壇史の研究 南北朝期』に戻るべきか、それとも奥州将軍府・鎌倉将軍府をめぐる佐藤氏の「逆手取り」論の検討に進むべきか、ちょっと迷ったのですが、歌人としての尊氏を検討することが、いささか遠回りではあっても『太平記』や『梅松論』などの二次史料によって歪められていない尊氏に近づく最適なルートだろうと考えて、前者の道を進むことにしました。
歴史学の方では歌人としての尊氏は全くといってよいほど研究されていなくて、例えば佐藤和彦門下の早稲田大学出身者が中心となって編まれた『足利尊氏のすべて』(新人物往来社、2008)は、二十五人もの分担執筆者がいながら、誰一人として歌人としての尊氏について論じていません。
佐藤和彦氏自身、尊氏に尋常ならざる興味を持っておられたようですが、歌人としての尊氏に特に関心を持たれた様子はなさそうで、これは佐藤氏の立脚する基本的な歴史観(いわゆる「階級闘争史観」ないし「民衆史観」)の限界を示しているように私には思われます。

全然すべてではない櫻井彦・樋口州男・錦昭江編『足利尊氏のすべて』

ところで、この頃、清水克行氏『足利尊氏と関東』(吉川弘文館、2013)に出ていた『臥雲日件録抜尤〔がうんにっけんろくばつゆう〕』の享徳四年正月十九日条が気になって、少し調べていたので、

緩募:『臥雲日件録抜尤』の尊氏評について

という投稿をしてから、井上著に戻りました。
井上著については(その5)で「第二編 南北朝初期の歌壇」の「第五章 建武新政期の歌壇」の途中まで進んでいましたが、勅撰歌人を目指していた若き日の尊氏、そして尊氏の「北九州歌壇」での活動を確認するために該当箇所に戻りました。
尊氏は二条為冬という歌人と交流があったので、歌壇での為冬・為定の争いに関連して、この点も少し触れておきました。

井上宗雄氏『中世歌壇史の研究 南北朝期』(その6)

森茂暁氏は尊氏の勅撰集初入集歌に関して、頓珍漢なことを言われていますね。

(その7)

ついで「北九州歌壇」で生まれたと思われる『臨永集』について概観しました。
「和歌四天王」の一人、浄弁が編んだと思われる私撰集『臨永集』は作者に武家歌人が多いのが特徴で、尊氏も三首入集しています。
なお、私は尊氏が元弘三年(1333)になって初めて大友貞宗と接触したのではなく、「北九州歌壇」の中で、二人が既に交流していた可能性も充分あるのではないかと思っています。

(その8)(その9)

「北九州歌壇」は井上氏の用語ですが、中世九州での文芸活動に詳しい川添昭二氏もこの歌壇(川添氏の用語では「鎮西探題歌壇」)について検討されているので、これも紹介しておきました。

川添昭二氏「鎮西探題歌壇の形成」(その1)(その2)
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