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「姫の前」、後鳥羽院宮内卿、後深草院二条の点と線(その3)

2020-03-10 | 『増鏡』の作者と成立年代(2020)
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年 3月10日(火)09時45分51秒

呉座勇一氏も、

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姫の前は義時との間に朝時・重時という2人の男児を産む。しかし建仁3年(1203)に比企能員の乱が起こり、比企一族が北条氏によって滅ぼされると、姫の前は義時から離縁されて京都で再婚する。「離婚しない」という義時の約束は守られなかったことになるが、姫の前にしても、実家の仇となった義時の側にはいたくなかっただろう。
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5425af06d5c5ada1a5f9a78627bff26e

と書かれていて、「姫の前」と義時の離縁を比企氏の乱の後とし、また、「姫の前」は離縁される側としていますが、これも単なる思い込みではないですかね。
親族が一人死んでも当時の慣習として服喪期間の問題が生じるのに、親兄弟や一族郎党、更に友人知人が皆殺しになった後となると、そのあたりはどうなのか。
また、平家没落後の残された女性たちの生き方などを参考にすると、一族滅亡のような事態が発生した場合、残された女性は仏門に入って故人の菩提を弔う、といった生き方が当時の通例のように感じますが、全く逆に、直ちに再婚して新生活を楽しみましょう、子作りにも励みましょう、という方向に進むものなのか。
更に森幸夫氏や呉座勇一氏が「姫の前」を受動態で語ること自体、意外に深刻な問題を孕んでいるような感じがするのですが、その点はまた後で検討することとして、まずは「姫の前」の再婚相手、源具親がいかなる人物かを確認しておきたいと思います。
『人物叢書 北条重時』(吉川弘文館、2009)にも源具親についての若干の言及がありますが、森氏は更に研究を進められ、「歌人源具親とその周辺」(『鎌倉遺文研究』40号、2017)を書かれているので、これを参照したいと思います。
この論文は、

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はじめに
一、源具親の父祖
二、歌人源具親の活動
三、源具親の結婚
四、源具親の子孫
 1 子息源輔通と同輔時
 2 子息禅念と孫唯善
おわりに
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と構成されていますが、「はじめに」から引用します。(p79以下)

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 源具親は鎌倉期の歌人である。後鳥羽院に召し出され、その側近歌人として活躍した。建仁元年(一二〇一)七月、和歌所寄人に加えられ、元久二年(一二〇五)三月の『新古今和歌集』竟宴にも参加している。藤原定家とは歌人仲間として交流があり、後鳥羽院政期を中心として、定家の日記『明月記』にその名前がしばしばみえる。また具親は「小野宮少将」と称したように、関白藤原実頼や右大臣藤原実資が住んだ名第小野宮の地の伝領者としても知られている。
 具親は村上源氏俊房流の出身であったが、官位は四位・右少将止まりで公卿に昇進することはなかった。歌人として名を残したものの、公家社会では高位に昇ることは出来なかった。不遇な人物といってもよいだろう。しかし具親は、以前拙著『北条重時』で明らかにしたように、北条義時の前妻姫前(比企朝宗女)と結婚し、この婚姻が彼に幸運をもたらすこととなる。北条氏が覇権を握った承久の乱以後、具親とその子息輔通・輔時たちには「光華」が訪れた。自分を見出してくれた後鳥羽院の没落後に、具親は絶頂期を迎えるわけだから、歴史とは皮肉なものである。
 本稿はこのような源具親とその子息らについて考えたものである。具親については上記したように、小野宮の伝領者としても知られていたが、彼の伝記的考察はほとんどない。わずかに井上宗雄氏が文学的事績を中心にその父源師光について考察するなかで、若干具親に言及されているに過ぎないようである。しかし拙著で明らかにしたように、具親は北条氏関係者と姻戚になったのであり、彼やその子孫たちはこのような人的ネットワークを利用して、公家社会でも地位上昇を計っていたとみられる。具親は一介の下級公家歌人にすぎないが、武家と密接な関係を持った人物として非常に興味深い存在なのである。以下、歌人としての具親、そして具親やその子息らの活動を鎌倉幕府や北条氏との関係を視野に入れながら考え、武家と関係を有した一公家の様相について垣間見てみたいと思う。
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以上が「はじめに」の全文です。
私も源具親の伝記的考察を少し探してみたのですが、森氏が触れられている井上宗雄氏の『平安後期歌人伝の研究』(笠間書院、1978)第六章「寿永百首歌集をめぐって」の「八 師光」以外にはなさそうですね。
さすがに井上宗雄氏の著作だけあって「八 師光」は詳細を極めているのですが、具親についての記述は残念ながら僅少です。
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