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久保田順一氏「第二章 上杉氏の成立」(その2)

2020-04-29 | 『増鏡』の作者と成立年代(2020)
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年 4月29日(水)10時57分30秒

細かな話になりますが、『尊卑分脈』には源通親(1149-1202)の「女子」として二人を記していて、その一人は「国母 後鳥羽院妃 土御門院母 承明門院 在子 母同通光公」です。
もっとも、「但依勅為猶子実者法印能円女也」ということで、承明門院(1171-1257)の本当の父親は平家との縁故により仏教界で出世し、法勝寺執行になった能円ですね。
平家が没落すると能円も流罪となり、妻の範子は源通親に再嫁して久我通光・土御門定通・中院通方を産む、という関係です。

能円(1140-99)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%BD%E5%86%86

そして、もう一人の「女子」は「従二位 後嵯峨院御乳母 親子 大納言二位」です。
久保田氏は「宗尊の父後嵯峨の乳母であった西御方」と書かれているので、「西御方」が「大納言二位 親子」と同一人物と考えておられるのは明らかですが、本当にそうなのか、一応問題にはなります。
というのは、「大納言二位 親子」は後嵯峨院にとって相当に重要な存在だったからです。
二年前の投稿で引用済みですが、秋山喜代子氏の「養君にみる子どもの養育と貢献」(『史学雑誌』102-1号、1993)に次のような指摘があります。(p80)

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【前略】かくして後嵯峨の即位が実現したのである。その結果、大殿九条道家の勢力は後退し、代わって外戚定通の勢威が増した。定通は天皇の後見として内裏を管領したが、寛元四年院政開始後も嫡子顕定を院の執事別当の地位につけて、実際には彼が院中を統括した。
 さて、注目したいのは大納言二位こと乳母源親子(通親女で定通、通方の妹)である。親子は重要案件の取次役であって、摂関家や関東申次の西園寺家などの重臣と後嵯峨との交渉を殆ど申し次いだ。そして、そうした立場から貴族の最大の関心事である人事に深く介入した。
 この点で特筆すべきは、院宣と変らぬ女房奉書、「二品奉書」が重事、人事に関して数多く確認できることである。中世前期では、天皇(院)の乳母は天皇に密着し、その身辺の事柄、奥向きの事をとりしきる立場に位置付けられた。したがって必然的に乳母は内々の事、重事の取次役となった。とはいえ、親子のように女房奉書を多く出した者は稀である。このことは親子の政治的影響力が強大だったことを意味しているのである。こうした親子の権勢を考慮にいれるならば、後嵯峨の即位後は、政治の顧問として内裏、院の表向きのことを統括した外戚定通と、奥向きをとりしきった乳母親子の兄妹が、共に後嵯峨を支える後見だったと捉えられよう。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/9326b718a86a34828915d0e7fade3f27

「西御方」が「大納言二位 親子」ならば、後嵯峨院は相当の大物を鎌倉に送り込んだことになりますが、それにしては『吾妻鏡』に格別のエピソードもなさそうな点が気になります。
ま、別に深く疑っている訳ではありませんが、学説の状況はどうなっているのか、別人説はないのか、後で確認したいと思います。
さて、久保田氏は「西御方の実父は通親であるが、母は承明門院と同じ藤原範兼(南家貞嗣流)女の範子である。従って、承明門院と西御方は同母姉妹に当たる。範兼女は能円死後、通親に嫁いで通光・定通・通方らを生んだとみえる」(p22)と書かれていますが、『尊卑分脈』には「大納言二位 親子」には「母 通方卿女」と記されていて、「承明門院と西御方は同母姉妹」ではありません。
実はこの『尊卑分脈』の記述は極めて奇妙で、「大納言二位 親子」の母が中院通方(1189-1239)の娘ということは世代的にあり得ません。
『尊卑分脈』に何らかの混乱があることは明らかですが、詳しい事情は分かりません。

中院通方(1189-1239)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E9%99%A2%E9%80%9A%E6%96%B9

>好事家さん
>上杉重能その父勧修寺道宏なる人物の系譜
私も武家社会は疎くて、上杉一族のことはつい最近調べ始めたばかりであり、勧修寺道宏についても特段の知識はありません。
ウィキペディアに黒田基樹編『足利基氏とその時代』(戎光祥出版、2013)が参照されているので、ひとまずこれを御覧になったらいかがでしょうか。

上杉重能
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%9D%89%E9%87%8D%E8%83%BD
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