投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 7月 7日(日)12時28分7秒
仲正昌樹『マックス・ウェーバーを読む』(講談社現代新書、2014)の「あとがき」に、
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加えて、ウェーバー業界の人たちは“うるさい”ということがある。特定の偉大な思想家を専門的に研究する人たち、特にドイツ系の思想家を研究する人たちは、専門意識、専門家サークル意識が異様に強く、“部外者”が何か変わったことを言うと、すぐに「専門的研究の成果を踏まえない妄言だ!」と噛みついてくる一般的な傾向がある─日本のドイツ思想研究者は、ドイツ人以上にそういう傾向が強い。カント専門家、ヘーゲル専門家、シェリング専門家、マルクス専門家、ニーチェ専門家、フロイト専門家、フッサール専門家、ハイデガー専門家、ベンヤミン専門家、アドルノ専門家、ルーマン専門家、ハーバーマス専門家などが“うるさい”というイメージがあるが、ウェーバー専門家は別格である。実際、過去に何度かウェーバーをめぐる“騒動”が起っているし、ウェーバーについての専門的解説書を読んでいると、その手の“騒動”の痕跡に出くわすことがある。
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とありますが(p240)、日本での近時の“騒動”としては「羽入・折原論争」というのがありましたね。
橋本努「羽入-折原論争の展開」
http://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/Japanese%20Index%20Max%20Weber%20Debate.htm
羽入辰郎(1953生)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%BD%E5%85%A5%E8%BE%B0%E9%83%8E
折原浩(1935生)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%98%E5%8E%9F%E6%B5%A9
私も別にウェーバーに特に思い入れがある訳ではなく、綾小路きみまろ的な遥か昔、「教養学部」の政治学の講義で『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を紹介されて、当時はプロ倫くらい読んでいないとカッコ悪いという「教養主義」的な風潮が僅かに残っていましたから、まあ、読んでみて、それ以来、何となく気になる人ではありました。
しかし、「羽入・折原論争」みたいなものを眺めていると、さすがに「ウェーバー専門家」には関わりたくないな、という感じがしてきます。
歴史学の世界でも、かつてはウェーバー好きの“うるさい”人たちがけっこういましたが、今では立命館大学教授の東島誠氏あたりが絶滅危惧種として残っているだけでしょうか。
今年の四月、マックス東島氏の「「幕府」論のための基礎概念序説」という論文がツイッター界隈で少し話題になりましたが、ウェーバー専門家の“騒動”に慣れていない若手研究者はマックス東島氏の無駄に戦闘的な姿勢にびっくりしたかもしれないですね。
「「幕府」論のための基礎概念序説」(『立命館文学』660、2019・2)
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/660/660PDF/higashijima.pdf
東島誠教授
http://www.ritsumei.ac.jp/gslt/introduce/faculty/detail.html/?id=109
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