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「巻七 北野の雪」(その6)─亀山天皇、亀山殿行幸

2018-01-23 | 『増鏡』を読み直す。(2018)
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年 1月23日(火)11時20分44秒

続きです。(井上宗雄『増鏡(中)全訳注』、p73以下)

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 かくて弘長三年二月のころ、大方の世の気色もうららかに霞みわたるに、春風ぬるく吹きて、亀山殿の御前の桜ほころびそむる気色、常よりもことなれば、行幸あるべく思しおきつ。関白<二条殿良実>この三年ばかり又かへりなり給へば、御随身ども花を折りて、行幸より先に参りまうけ給ふ。そのほかの上達部は例のきらきらしき限り、残るは少なし。新院も両女院も渡らせ給ふ。
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弘長三年(1263)二月、亀山天皇が亀山殿を訪問する場面です。
二条家の祖の良実は仁治三年(1242)から寛元四年(1246)まで関白となり、十五年後の弘長元年(1261)から文永二年(1265)まで、再度関白となります。
関白良実は亀山天皇の行幸に先だって準備のために亀山殿に参上したが、その際、随人が「花を折りて」、即ち華やかに飾り立てていた、のだそうです。
良実は今までにも何度か登場していますが、いつも名前だけか、せいぜいこの場面程度の分量で描かれているだけですね。
なお、「花を折る」という表現が『とはずがたり』の冒頭にあるので、以前、この表現が『とはずがたり』と『増鏡』の関係を考える上で重要なのではないかと思って少し調べたことがあるのですが、結局、鎌倉時代でも割と普通に用いられていた表現で、特定の筆者に帰することはできない、というしょぼい結論になってしまいました。

二条良実(1216-70)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E6%9D%A1%E8%89%AF%E5%AE%9F

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 御前のみぎはに船ども浮めて、をかしきさまなる童、四位の若きなど乗せて、花の木かげより漕ぎ出でたる程、二なくおもしろし。舞楽さまざま曲など、手をつくされけり。御遊びののち人々歌奉る。「花契遐年」といふ題なりしにや。内の上の御製、

  たづね来てあかぬ心にまかせなば千とせや花の影に過ごさん

かやうのかたまでもいとめでたくおはしますとぞ、古き人々申すめりし。かへらせ給ふ日、御贈り物ども、いとさまざまなる中に、延喜の御手本を、鴬のゐたる梅の造り枝につけて奉らせ給ふとて、院の上、

  梅が枝に代々の昔の春かけてかはらず来ゐる鴬の声

御返しを忘れたるこそ、老いのつもりもうたて口惜しけれ。
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管弦の遊びの後、「花契遐年」(花、はるかなる年を契る)という題で歌会があり、まだ十五歳の亀山天皇が見事な歌を詠んだので、歌の方面の才能も優れておられると老人たちは申しているようだ。
還幸の日、天皇への贈り物がいろいろあった中で、延喜の帝、醍醐天皇の御宸筆を、鶯の止まっている梅の造り枝に付けて差し上げなさる後嵯峨院の御製への天皇の返歌を忘れてしまったのは年を取ったせいで、まことに口惜しいことです。

ということで、「御返しを忘れたるこそ、老いのつもりもうたて口惜しけれ」は、例によって語り手の老尼がちょこっと顔を出す場面です。
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