投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年12月16日(土)18時53分28秒
『二条良基研究』の「終章」の続きです。(p587以下)
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増鏡の作者を忠守とする説は既にある。当代の源氏学者、かつ二条派歌人であることを主たる理由とするものである。当時の源氏読みは忠守一人に限らずとして斥けられ、現在では顧みられない。史料の不足に阻まれて結局は決め手に欠くとはいえ、この説も改めて検討する価値はありそうである。
ここで述べるべきは、忠守のような、後醍醐とダイレクトに結びつき、それ以外にはさしたるよりどころを持たない人間こそ、宮廷のあるじとしての後醍醐の最も醇乎たる姿を求め、これをよく語り得たであろう、ということである。他にも洞院公賢や吉田定房ら、後醍醐に近く仕え、その治世をよく知る公家は多かった。しかし鎌倉後期から長く続いた、公家社会の混乱と矛盾を身をもって経験し、後醍醐という天子の暗黒面も知り尽くしてきた重臣たちには、増鏡のような後醍醐の像はとても描けなかった筈である。
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「増鏡の作者を忠守とする説」は神戸大学名誉教授・荒木良雄氏の『中世文学の形成と発展』(ミネルヴァ書房、昭32)所収「増鏡の作者とその歴史文学的形成」(初出昭10・2)ですね。
荒木良雄(1890-1969)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E6%9C%A8%E8%89%AF%E9%9B%84
「後醍醐という天子の暗黒面」云々を見て、私はついつい『スター・ウォーズ』の「シスの暗黒卿」(Dark Lord of the Sith)を思い浮かべてしまったのですが、別に皮肉でも何でもなく、私にはこの表現の意味が分かりません。
幕府打倒という目的達成のための不屈の精神力や、北朝側に偽の三種の神器を渡したといった多少の権謀術策だけでは「暗黒面」とも言いにくいでしょうから、網野善彦氏が『異形の王権』で描いた、真言密教に傾倒して自ら祈祷を行なったような側面のことでしょうか。
ま、それはともかく、続きです。
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忠守は二条摂関家にも出入りしており、若き日の良基も最晩年の謦咳に接したであろう。そのような二人にとって、暦応二年八月十六日に、その後醍醐が南山で崩御したことは、大きな衝撃であった筈である。後醍醐の遺産を最も正統的に継承したと主張していたのは、言うまでもなく南朝の人々である。しかし、後醍醐を慕う集団は京都に数多く存在していたのである。
このような状況を受け、忠守のような後醍醐朝の遺臣の手によって、増鏡は生み出されていったと見られる。それに最も相応しい場所は二条摂関家である。良基の若年期は極めて断片的な証言しか得られないのであるが、良基が廷臣のうちの才器として注目され、期待を集めていたことも、ここで補強の材料としてよいであろう。
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私には『増鏡』が「生み出されていったと見られる」場所として、二条摂関家が「最も相応しい場所」とは思えません。
むしろ、二条摂関家くらい相応しくない場所は存在しないのではないか、と思っています。
それは『増鏡』では摂関家の影が極めて薄く、目立つのは何と言っても西園寺家の栄華であり、数多く登場する人物エピソードにも摂関家関係者が極めて少なく、更に数少ないその種のエピソードには摂関家にとって面白くないものがあるからです。
特に二条良基の祖父で、「即位灌頂」という重要な儀礼を実質的に創造した香園院関白・二条師忠(1254-1341)に関するエピソードは、その子孫にとって屈辱的な内容で、これひとつでも『増鏡』の創作に二条摂関家がかかわったはずがないと私は思っています。
二条家は五摂家のうち、家祖の二条良実(1216-71)が父・九条道家(1193-1252)から義絶されて相続から排除されたという特異性を持つ家で、当然ながら摂関家の威光を飾る先祖代々のレガリアも記録も全く承継できず、その摂関家としての正統性に重大な瑕疵があった家でした。
そして、「即位灌頂」という重要な儀礼に二条家のみが関与できる仕組みを考案し、九条道家の「遺産を最も正統的に継承したと主張」できない二条家の頽勢を挽回したのが二条師忠であって、この人物の二条家にとっての重要性は図り知れません。
その二条師忠を軽視するエピソードを二条家関係者が許容したとは私にはとうてい思えません。
当該エピソードは後で紹介します。
二条師忠(1254-1341)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E6%9D%A1%E5%B8%AB%E5%BF%A0
即位灌頂
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%B3%E4%BD%8D%E7%81%8C%E9%A0%82
さて、これでやっと「そうすれば増鏡は良基の監修を受けたというような結論にもあるいは到達できるかもしれない」という不思議な文章の直前に到達できましたが、いったんここで切ります。
『二条良基研究』の「終章」の続きです。(p587以下)
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増鏡の作者を忠守とする説は既にある。当代の源氏学者、かつ二条派歌人であることを主たる理由とするものである。当時の源氏読みは忠守一人に限らずとして斥けられ、現在では顧みられない。史料の不足に阻まれて結局は決め手に欠くとはいえ、この説も改めて検討する価値はありそうである。
ここで述べるべきは、忠守のような、後醍醐とダイレクトに結びつき、それ以外にはさしたるよりどころを持たない人間こそ、宮廷のあるじとしての後醍醐の最も醇乎たる姿を求め、これをよく語り得たであろう、ということである。他にも洞院公賢や吉田定房ら、後醍醐に近く仕え、その治世をよく知る公家は多かった。しかし鎌倉後期から長く続いた、公家社会の混乱と矛盾を身をもって経験し、後醍醐という天子の暗黒面も知り尽くしてきた重臣たちには、増鏡のような後醍醐の像はとても描けなかった筈である。
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「増鏡の作者を忠守とする説」は神戸大学名誉教授・荒木良雄氏の『中世文学の形成と発展』(ミネルヴァ書房、昭32)所収「増鏡の作者とその歴史文学的形成」(初出昭10・2)ですね。
荒木良雄(1890-1969)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E6%9C%A8%E8%89%AF%E9%9B%84
「後醍醐という天子の暗黒面」云々を見て、私はついつい『スター・ウォーズ』の「シスの暗黒卿」(Dark Lord of the Sith)を思い浮かべてしまったのですが、別に皮肉でも何でもなく、私にはこの表現の意味が分かりません。
幕府打倒という目的達成のための不屈の精神力や、北朝側に偽の三種の神器を渡したといった多少の権謀術策だけでは「暗黒面」とも言いにくいでしょうから、網野善彦氏が『異形の王権』で描いた、真言密教に傾倒して自ら祈祷を行なったような側面のことでしょうか。
ま、それはともかく、続きです。
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忠守は二条摂関家にも出入りしており、若き日の良基も最晩年の謦咳に接したであろう。そのような二人にとって、暦応二年八月十六日に、その後醍醐が南山で崩御したことは、大きな衝撃であった筈である。後醍醐の遺産を最も正統的に継承したと主張していたのは、言うまでもなく南朝の人々である。しかし、後醍醐を慕う集団は京都に数多く存在していたのである。
このような状況を受け、忠守のような後醍醐朝の遺臣の手によって、増鏡は生み出されていったと見られる。それに最も相応しい場所は二条摂関家である。良基の若年期は極めて断片的な証言しか得られないのであるが、良基が廷臣のうちの才器として注目され、期待を集めていたことも、ここで補強の材料としてよいであろう。
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私には『増鏡』が「生み出されていったと見られる」場所として、二条摂関家が「最も相応しい場所」とは思えません。
むしろ、二条摂関家くらい相応しくない場所は存在しないのではないか、と思っています。
それは『増鏡』では摂関家の影が極めて薄く、目立つのは何と言っても西園寺家の栄華であり、数多く登場する人物エピソードにも摂関家関係者が極めて少なく、更に数少ないその種のエピソードには摂関家にとって面白くないものがあるからです。
特に二条良基の祖父で、「即位灌頂」という重要な儀礼を実質的に創造した香園院関白・二条師忠(1254-1341)に関するエピソードは、その子孫にとって屈辱的な内容で、これひとつでも『増鏡』の創作に二条摂関家がかかわったはずがないと私は思っています。
二条家は五摂家のうち、家祖の二条良実(1216-71)が父・九条道家(1193-1252)から義絶されて相続から排除されたという特異性を持つ家で、当然ながら摂関家の威光を飾る先祖代々のレガリアも記録も全く承継できず、その摂関家としての正統性に重大な瑕疵があった家でした。
そして、「即位灌頂」という重要な儀礼に二条家のみが関与できる仕組みを考案し、九条道家の「遺産を最も正統的に継承したと主張」できない二条家の頽勢を挽回したのが二条師忠であって、この人物の二条家にとっての重要性は図り知れません。
その二条師忠を軽視するエピソードを二条家関係者が許容したとは私にはとうてい思えません。
当該エピソードは後で紹介します。
二条師忠(1254-1341)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E6%9D%A1%E5%B8%AB%E5%BF%A0
即位灌頂
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%B3%E4%BD%8D%E7%81%8C%E9%A0%82
さて、これでやっと「そうすれば増鏡は良基の監修を受けたというような結論にもあるいは到達できるかもしれない」という不思議な文章の直前に到達できましたが、いったんここで切ります。
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