生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

太極拳と愛

2006年05月16日 | 第2章:心理療法の基本
不思議な現象があります。大学病院での話ですが、心を病んだ方々に太極拳の演武を覚えていただくと6ヶ月ほどたつと、人によっては極めて明らかに心が健康になります。理由は自律神経が統合され免疫と分泌の状況が改善されたからです。遺伝と老化は避けられませんが、心の環境が整えられるとこうも良くなるものか、と感動したことがあります。また私自身の体験ですが、入門の頃と師範になった頃では人に対する思いが大きく変化しました。色々の技がありますが24の技を連続して演武する修行があります。24の型の演武を覚え試験に合格すると初段を貰いますが以降所定の年月を経過して師範を取る10数年後、どこがどう変化したかと言いますと心が自然体となり、呼吸も普通なのに激しく演武も出来ます。相手の呼吸が良く見えるし、緊張と弛緩の微妙な動きが美しく調和してきます。人への礼儀作法が自然で愛情深く暖かい思いやりが生まれてきます。太極拳の世界も愛の世界も美しい呼吸から始まるようです。:<呼吸論:85-3>:

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愛と呼吸

2006年05月15日 | 第2章:心理療法の基本
愛の世界は人生そのものと言えます。人への愛、美しい花や可愛い動物達への想い、宇宙などの大自然への感動、愛の世界は全てを飲み込む広大な世界ですが、今回は人間同士の愛についてのワンポイントを考えます。嫌だなあ、と感じた時、直ぐ反撃するか、一呼吸置くかで、私は自分の運命が変わった経験を山ほど持っています。会議でカアーとして怒鳴りつけた為に左遷されたり、信用を無くしたり、チャンスを失ったり、まさに一呼吸(3秒沈黙して深呼吸する事)を置くか、置かないかで人生が激変しました。愛する人に対しだけは正常な呼吸を保持したいものです。:<呼吸論:85-2>:

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恋人が変人だったら?

2006年05月14日 | 第2章:心理療法の基本
素敵な人、と思い恋人関係になった後、これは大変な変人だった、と気づく人がいます。さっさとお別れしたら、いいのに、と私は思うのですが、魅力もあるので、交際したいとも願った人にこのワンポイントレッスンを捧げます。どちらが変人だ、などと考えてはいけません。変だなあ、と感じたらそれを素直にそう思う必要があります。自分を信じる事が重要。さて変人には生育史に同情すべき事柄が沢山あり、特に<深層心理での不安感>は相当根深いものが存在しています。本人は気づいていません。気づく過程で変に触れると怒りとして爆発します。その不安感を愛情深く気づかせるのが恋人の役割。結婚した後では悲劇になります。不安感の根深い人は怒りっぽいのが特徴です。正義感に衣を替えて怒る人は始末が悪く、好き嫌いの感情に偽善の香りが漂います。今回はこのテーマを考えていきます。:<呼吸論:85-1>:

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魂の無い心理療法はどうなる?

2006年05月13日 | 第2章:心理療法の基本
人類の誕生と同時に生まれた<魂への畏怖>は現代まで続いています。心理療法家で魂の存在を信じている人と信じていない人の場合、結果はどうなるかは歴然としています。人間の心の奥深い領域に魂が存在していると信じている心理療法家は人々を心から信じ、その神秘性を敬意をもって対応しています。魂を信じている医師やセラピストはどちらかと言うと謙遜で、人を大切にする治療をしています。欧米の伝統的な魂論は<魂は永遠で普遍的で愛そのもの、病むこともなく、死ぬこともない知的生命体>と定義されています。魂を肯定するか、しないかは人の自由なのですが心の治療に当たる職業は<学問を背景にした魂論>を肯定した人である事が必要です。<肯定論84-5>:

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肯定は愛を、愛は肯定を生む!

2006年05月12日 | 第2章:心理療法の基本
持てるものは益々持つ、と言う諺がありますが、正しい肯定は美しい愛を生み、愛は益々純粋な愛を生み続けます。日常生活でも、心理療法の世界でも、相性の良い人と出会うと全てが順調に流れます。相性が良いと、好き、嫌いを遠慮無く明確に表現しあえますし、考え方も自由に自然に語り合えます。類は友を呼ぶ、というように、平素、大変な努力をして自分の心を美しく自然に明るく整えていると、本当に良い友人達に恵まれます。互いの<個性の美>を尊重し、親しき仲にも礼儀あり、の水魚の交わりは、人生を益々よいものにしてくれます。安易に流れる時代の中で、たんたんとしながら、沢山の良き友人に恵まれた日々に感謝:<肯定論:84-4>:

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賢者の肯定、愚者の肯定

2006年05月11日 | 第2章:心理療法の基本
大学病院での話ですが博士号を持つ先輩にも2種類います。賢者と愚者です。賢者の下で働くと、私の才能はどんどんのびますが、愚者の先輩の下で働くと、私は萎縮し、日々憂鬱で意欲が減退します。面白い事に私に賢者として映る先輩も、同輩のA君には愚者に見える現象です。生き甲斐相談の相手は、自分と相性の良い賢者に見える先輩を選定する事。私にとっての賢者は私の個性の美をのびのびと育ててくれる先輩の事。私にとっての愚かな先輩は私の個性の美を認識せず、ひたすら威張り散らす人の事です。人間には一人一人、天から与えられた使命があります。その命の存在には深い意味があります。悔いのない人生とはどんな日々なのかを悟るのは本人の責任ですが一人では無理ですから、自分の美しさ、良さを自然に明るくのびのびと育む友達、先輩を探しましょう。否定からは教育は出来ません。賢い愛の肯定から美しいもが誕生します。<肯定論:84-3>:

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セラピストの選び方

2006年05月10日 | 第2章:心理療法の基本
本格的に選ぶ基準は下記の条件が必要です。修士号か博士号を所持している事。自己愛パースナリテイ障害の医師も多いので気をつける事。何でも肯定し、自然体でいいよと安易な慰めをしたり、人生は努力以外の何物でも無い事を言えない気の弱い人は避ける事。患者さんのアイテンテイテイーの統合にゆらめきあれば毅然と正直に時期を見て対応する力がある事、防衛機制を上手に説明してくれる人、現実吟味力のあり方を正直に解説しながら親切に対応してくれる人。一流の大学病院で最低10年の経験を持つセラピストである事。学会で自分の論文を発表している人。このような条件を持つ人は身近にあまりいませんので、あとは上記の選定基準を全く無視して、自分の第一印象を信頼し相性の良い人を選ぶ方が賢明です。犬、猫、小鳥達と散歩の途上遭遇します、動物は最初に私の眼差しをじーっと見つめます。私が慈眼の時は逃げませんが、私が邪眼の時はおびえて逃げていきます。私の恩師で有名なT教授は人間の大脳は3秒で相性を見抜いているから安心して自分の第1印象を信じなさい、と指導されましたが、40年の経験を経ると改めて先生の言葉にしみじみと重みを感じ感謝しています:<肯定論:84-2>:

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爽やかな肯定と哀しい肯定

2006年05月09日 | 第2章:心理療法の基本
(わたしとあなた)の会話で、肯定してもらって幸福な感じになる場合と惨めで哀しい気分になる場合があります。この原因はどこからくるのでしょうか?否定されていないから嬉しいはずです。ここからが人生の分かれ道が始まります。相手が先輩、知恵者、先生の立場ですと深刻です。さてその原因は(話す人が自己肯定、他者肯定の人間信頼派の場合は幸せ感を与えますが、自己否定、他者否定の人間不信派の場合は哀しい惨めな気分にさせられます)。人間不信の人の話を聞いていると、聴いている自分がどこかおかしいのでは、と思わせられてしまうのです。人間不信派には相談してはいけません。<肯定論:84ー1>:

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ジーギル氏とハイド氏

2006年05月08日 | 第2章:心理療法の基本
有名な小説は或場合に凶器となります。自分はジーギル氏とハイド氏だ、と悩んで沢山の人々が苦しんでいます。聖書にしても、教典にしても、全ては人々を気楽にする為のもので、その中の言葉は誤訳の言葉もあるので、言葉の解釈で苦しむのは馬鹿馬鹿しい事です。二面性はどんな人間にもあるのに、何故苦しむのでしょうか?理想(こんな人間でいたい)と現実(現実の受け止め方、解釈の仕方にも問題がありそうです)のギャップからストレス(不安、怒り、鬱、乱れた考え方)が生まれます。死ぬまでストレスはありますが、私達が気楽に安心して生きる方法は二つの方向しかありません。あるがままの現実を恐れる事なく受け入れる事、一時的に、理想を捨てて、元気になるまで、断念する事。この二つの極端な選択の中間のどこで妥協するかは、その人の責任です。:<気楽論:83-5>:

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綺麗な人と美しい人

2006年05月07日 | 第2章:心理療法の基本
映画、テレビ、すれ違った人で瞬間に<何と綺麗な人>と思う時と<何と美しい人>と感じる場合があります。同時に両方の場合は最高の幸せを感じます。当たり前なのでしょうが男である私は宇宙、大自然、花、動物も感動しますがやはり女性がこの世で一番素晴らしく魅力的な存在です。神様がそうさせたのでしょう。人は考えた通りの人生を迎えるとも言われていますが、心をいつも綺麗に美しくしていると、実に美しく綺麗なものが見えてきます。絵画、音楽、文学の中の自分の大好きな美しく綺麗なものを愛読、鑑賞していると心がいつも緩やかで、暖かく、幸せです。嫌な事件、哀しい出来事の絶えないこの世でも自分が感じる美しく綺麗なものを楽しんでいる私は本当に幸せです。歳をとったせいかなあ:<気楽論:83-4>:

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なぜ気楽になれないか?

2006年05月06日 | 第2章:心理療法の基本
<あなたとわたし>の関係の中でいつも緊張して生きる程、辛いことはありません。愛し合いたいと願いながら、なかなか思い通りの安心感が得られない二人は沢山います。何故か日本の男女は互いに正面を向き合うよりも、床の間の美しい掛け軸を並んで見ながら語り合う愛のあり方の方を好みます。正面から互いの目を見つめ合う愛のあり方は苦手のようです。共通の信仰や同じ目的を持ちながら、互いの顔を見つめ合うのではなく、太い柱の周りをぐるぐる回るような、螺旋状に上昇するするような、そんな感じの愛しかたをすると、飽きることもなく、ゆったりと上昇します。正面から見つめ合って生きると息苦しいので、平行に並んで愛し合った方が気楽に生きられるようです。:<気楽論:83-3>:

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にがてな人

2006年05月05日 | 第2章:心理療法の基本
身近に、にがてな人がいると、生活が面白くありません。しかし逃げ出す事も出来ないし、相手はあいかわらず、からんできます。さて<にがて>は死ぬまで存在する人生の課題です。心理学を応用しつつ努力する方向はただ一つしかありません。楽天的になり、あるがままの真実を受け入れる事。<にがて>と感じる心の作用は自分の思い通りにいかないものへの投影、感情転移現象です。自分が苦手、と思う相手も、それ以上にあなたを<にがて>と感じています。<にがて>がこの世に存在している理由は互いの人格成長の為ですから、この際、思い切って一番困難ですが幸福になる為の最後の手法<無条件の肯定的配慮>を発動してみましょう。心理療法で言う<無条件の肯定的配慮>とは<相手を賛成して受け入れる>のではなく<嫌な相手だと自分が感じている自分を受け入れる事>です。そうするとこの<気楽>が投影して相手も気楽になり、道がひらけます。<気楽論:83-2>:

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話しにくい恋人

2006年05月04日 | 第2章:心理療法の基本
結婚してもいいかなあ、と思うけれども、話しにくい恋人がいます。この想いは不思議で微妙な感情なので、慎重に扱いましょう。この領域は<人間業>の難しい領域。この心理は宗教心理学の一番興味のある領域で、神仏の慈悲を感じない、と嘆く患者さんの事例でもあります。知は力なり、と言いますが、この領域は人間の成長を大きくするか、変人にしていくかの、分かれ道。今回はこの領域を考えていきます。防衛機制の知識がある人ならば、感情転移、投影と言う心の働きが人間に存在している事に気づくでしょう。相思相愛を互いに感じ、意識しながらも、何故か、話しにくい、と感じてしまう点。話しにくいと感じる事自体は素晴らしい五感なのですが、感情転移と投影ゆえに、話しにくいと感じる場合は、その人は永遠に愛を理解出来ないかもしれません。この問題点を意識すれば解決していきます。話しにくい恋人が居たら、相手を非難する前に、この感情転移と投影を落ち着いて思索してみましょう:<気楽論:83-1>:

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見つめ合う喜び

2006年05月03日 | 第2章:心理療法の基本
生き甲斐と幸せを日常生活で体感する最良の方法は、友人でも、誰でも、心から信頼し、瞬間でもいいから、見つめ合って、自分の信頼感と友情と愛情を伝達出来る相手を持つ事のようです。その理由は赤ちゃんの頃、母に抱かれてたっぷりとお乳を飲ませて貰い、満足して、じーっと母の顔を見る領域から、その人の<愛の原型>が創られていきます。今日の写真は愛の原型そのもの。成長するに従い、色々の厳しい現実を体験し、色々の環境で生きていても、この赤ちゃんの頃の愛の原型と現在の大切な人との愛を本能的に人は比較していきます。不幸にして自分にはこの原型が無いのでは、と推察したとしても、現在、誰かの愛情を体感出来る、という事は、思い出せないけれども、それに類似した<愛の原型>があるので、現在、人の情けを知覚する事が出来るのです。愛の原型はだれにでも存在しています。目を見つめ合って愛を意識し、伝達する方法が人々を一番幸せにします:<比較論:82-5>:

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悪の楽しみ

2006年05月02日 | 第2章:心理療法の基本
人間研究は心理学と医学の発達で一段と進歩しました。その成果もあり悪についての考え方も相当変化してきました。特にDNAの真実が理解されてくると細胞レベルでの生命力の逞しさに感動します、つまりどんなに厳しい環境でも細胞は生き残る為には何でもします。細胞が生き残る努力をしているのに自殺を考えるのは生き残る努力をしている自分の細胞に申し訳ないと考えて欲しいもの。どんな環境に追いやられても人は生き残る知恵を巡らせて堂々と生きていけるように創られています。さて人間には悪を楽しむ性質が創られていますがこの性質を知らない為に良心の呵責から心を病む人が居ます。悪を楽しむ自分を倫理道徳から異常なまでに厳しく咎めてしまうのです。悪とは何かを思索する必要もありますが<悪を楽しむ性格>は人々が美しく幸せになる為の知恵を促す為に神様がそのような人間に創造した神秘的な面がある事も考えておきましょう。<比較論:82ー4>:

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