生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

岡寺(岡宮、岡本宮)に何故、住んでいるのか?

2013年05月09日 | 第14章:奈良京都は何故私を幸福にするか
持統天皇の人生は戦いの歴史でもありました。普通ならもう嫌になり全てを投げ出す環境なのですが、サッチャー首相が鉄の女と呼ばれたように、持統天皇もまさに鉄の女でした。この生き抜く意欲は何だと思いますか?実に逞しいもので、時代を超えて教えられます。ストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱)を乗り越えていく逞しさを学びましょう。それを支えたものは善悪を超えて考える必用がありますが、何らかの夢,願い、想いです。どの時代も燃えるような願望が一人の人間を燃え立たせ生き抜く力を与えます。どの歴史書を見ましても藤原不比等と持統天皇の関係は面白く、そこに存在するかけひきは実に物凄いものがあります。藤原氏は新参者ですので在来の豪族(物部氏系、蘇我系など)は周囲を固めている中で、やっとつかんだ天皇一族に必死でもたれかかり利用しようと燃えた一族が藤原氏です。さて姉の息子で文武両道の達人、かつ周囲から愛さていた大津皇子を謀略的に殺戮した持統天皇は、以来、周囲の反発を受けて、どうも明日香に住んでいられなくなり、岡寺に住んだり、藤原不比等の御屋敷に住んだという学者もいますが、明日香に住んでいられない理由は周囲に敵が多く危険だからなようです。吉野を訪問した事実は歴史学の事実ですが、吉野からどこに戻ったか、誰も知りません。大化の改新の年に生まれ、57才で死亡しますが、姉の息子を謀殺したのが41才の頃です。吉野宮(吉野宮滝遺跡を参照)にしばしば(30回以上:これは歴史上の不可解な研究事項)訪ねています。皆様は何故だと思いますか?この吉野訪問も生き延びていく為の手法のようです。藤原宮という壮大な都を造ったのが52才。死ぬ前5年のことです。天皇最初の火葬を学者が毒殺とかの色々の学説がありますが、私は分かりませんが、凄まじいい生き抜きの姿には敬意を表します。
<奈良京都は何故私を幸福にするのか? 18お>


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