生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年05月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
飛鳥寺で感じた自分の人生。飛鳥寺は日本最初の仏教のお寺として有名です。その裏庭に犬小屋があり、そのワンちゃんの名前が何と「イブ」ちゃんなのです。アダムとイブ、このお寺の住職様は比較宗教学の研究をしたのかなあ、と旅仲間と談笑しつつ、もう少し先まで歩きますと、そこの大化の改新の際、首を切られた蘇我入鹿の首塚があります。何とも複雑で意味ありげな風景と思いませんか?最初の仏教のお寺の庭に可愛いワンちゃん「イブ」が私を迎えてくれたのです。何故か、老犬ですが、私にしっぽをふってくれたのも何となく意味を感じました。他の観光客には知らんぷり。昼寝をしていて、だらだらしていたのに、私の声に重たいからだを相当努力して起き上がり、互いに好意を表現しあいました。首塚を訪問し、歴史を思索し、また帰路、そのイブちゃんの所に来ますと、また昼寝をしています。他の方の優しい声掛けには応答しないのに、私が声をかけると、薄く眼を開いて相手を確認し、初対面にもかかわらず、私と分かるとまた重たい身体にむちあてつつ、起き上がり、私にしっぽをゆっくりと振ってくれました。仏様の慈愛をこのイブちゃんに感じたものです。私はカトリツクです。面白いなあ、と思いました。飛鳥寺でイブという名前のわんちゃんと出会い、蘇我入鹿の首塚で彼の魂の平安を祈った後、私の心には何とも言えない暖かい歴史の流れを感じたものです。必死で生き抜こうと努力するその時代時代の日本人、そして1300年の後に私のような人間が一人で勝手に夢想し、幸福を感じて、そして私は生きている限り、日本人の生き甲斐支援活動をしながら生きていこうと決意する、こんな事を考えながら自分の首塚を訪ねててきた平成に日本人を、蘇我入鹿はどんな思い出天国から私を見ているのでしょう?







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