生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

恥辱と疑惑感の原型

2012年02月28日 | 第11章:これからの勉強の方向は?
私が不勉強なのでそうなったのですが、それにしてもあの高校時代の先生は生涯忘れません。毎回、私を育てるつもりなのでしょうが今から考えると彼のストレスの発散の対象にされていたようです。毎時間、私を集中して質問し答えられない私を弄くりまわしていました。或日、時間の無駄だから他の生徒に質問せよと怒鳴った事があります。教員室に呼ばれて説教されましたが、その説教の仕方に校長が逆にその先生を怒鳴りだし慌てた事があります。その先生がもうすこし玉虫色を意識していたら私の心はこれほど恨みつらみの思い出にはならなかったのかもしれません。私が勉強している必要があるのですがこの年になっても、あの時の先生が忘れられないのは悲劇です。しかしこの恥辱感と疑惑感の病理はその後の患者さんの辛さをしみじみ共感し受容できた事を考えると改めてその先生に感謝したくなりますが心の傷は生涯消えません。解釈は変えられても傷は傷です。:<玉虫色:448-2>:

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コメント (2)
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