五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

天への扉を開くと…

2013年04月09日 | 第2章 五感と体感
昨日は、近所のお寺に甘茶を頂きに行ってまいりました。

昔々幼い頃2年ばかり住んでいた福井で出合った初めての花まつりは印象深くお寺の参道の露店を抜けて行くと、お釈迦様が花に包まれておはしまし、「なんと美しい事よ。。。」と、目を輝かせて佇んだことを鮮明に覚えています。
福井のお寺の幼稚園では、本堂に大きな(当時の私の背丈から見ると巨大であった)観音開きがあり、朝のおつとめの時はその扉が開かれ、きらきら輝く仏壇が表われ、まさしくこれが観光だ~♪と、思うくらい、毎回扉が開かれるのをわくわくして待ち望んでいまるような子供でした。

近所のお寺に行くと、まだ花筐に花を飾っている最中でしたが、お釈迦様を置いた銀のお盆に甘茶を注いでくださり、「甘茶、第一号ですね。どうぞどうぞ、」とお寺のおばあちゃんに言われ、ありがたく甘茶第一号を務めさせていただきました。

「こんなにお天気がいいから、お花が直ぐにしおれちゃうから、このくらいでいいわよ!」と従業員いやいや寺男に指示するおばあちゃん。それを無視して楽しそうに花筐に花をさす寺男にエールを送りながら、ほのぼのとお釈迦様に甘茶をかけて、「一番だから、御利益たくさんですね。」と、言うと、おばあちゃんは「良い事たくさんあるわよ。さっ、私が作った甘茶を飲んでいってくださいね。」と促され、これまた第一号の甘茶を頂くことなり、単純な私はこれだけで極楽感を味わせて頂きました。あ、、、もしかしたら、寺男ではなく、住職さんかもしれませんね((笑))

勿論、甘茶も頂き、普段は通り過ぎるだけのお寺に、妙に親近感を抱かせて頂きました。

「扉を開くと、そこから絢爛豪華な世界が待ち受けている」という、サプライズ感を体感したいという期待感は、私自身未だに持ち備えています。いまや子供が初めて目にするワンダーランドは、観音開きの中に鎮座する仏様では無く、神社仏閣や教会でないことは自然な流れなのかもしれませんが…。

扉を開けると、そこは曼荼羅の宇宙であった。。。とか、扉を開けると、そこは天の国そのものであった、、、とか、そのような驚きを体験する機会が非個性的になることは、やっぱりもったいないな、、、と、思うのです。

「私」が終わる時に最後に観たいものは、扉を開けると天女が楽を奏でながら舞いながら天を駆け巡っている様子です。

脳の中に原型を持ち、それを育てていかないと天の国は描くことはできないように思うのです。

だからこそ、生きているうちに自分の育った環境で慣習化されている祀りごとを大切にしていきたいものです。

私の場合、扉を開けると天女の舞う(雲中供養菩薩)平等院鳳凰堂が、理想の頂点かなぁ。。。

朝からこんな妄想をしてしまうと、一日が終わってしまいますので、この辺で留めておきます。

天を創るのも天を無くすのも自分次第なのです。色即是空。。。

いまどきの子供のイメージする天国はディズニーランド。。。だったりして。。。??それもまた然り。

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