書く仕事

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「フェミニズム殺人事件」筒井康隆

2006年09月09日 13時35分37秒 | 読書
ライフワークという言葉があります。
人によって多少とらえかたが違うかもしれませんが、まあ、「人が一生をかけて取り組むテーマ」って感じでしょうか?
例えば小松左京さんだと、人類の進化と未来、つまり、人類は将来、大災害や戦争を回避して生き延びることができるのか?とか、それに付随して人類自身が精神的にどのように進化していくのか?というようなことかな?
今話題の「日本沈没」や「さよならジュピター」などで提示しているテーマです。「神への長い道」という傑作もそうです。
これ以外でも小松さんの本には小松さんの上記のテーマに何らかの形でかかわりのあるプロットが設定されていますね。
純文学でもSFでもミステリーでも同じ、作家には作家ごとのライフワークがあると思うのです。
ところがですよ、こと最近の筒井御大に関してはそれが明確には感じられない。というと、けなしているようなので言い換えますと、筒井さんはあえてライフワークをぼかしているふしがある。
ご存知の方はご存知だと思いますが(あたりまえ)、筒井氏はもうだいぶ以前、断筆宣言をしたことがあるんですよね。その原因は,彼の昔の小説によく登場した差別的表現に対する,世の中からの批判によるものと私は思っています。
そこで思うのは、差別的な表現が許されない現在では、筒井さん自身が思っている彼のライフワークを実践することは、もはや不可能になっているのではないかということです。
私が推測する筒井康隆さんのライフワークは「人間の狂気の文学表現」です。人間はどこまで狂気に陥るのか、場合によってはどこまで狂気を演じられるのか。つまり人間の狂気を小説という媒体を通して追求したいと思っているのではないかな?と推測しているのです。
しかし、狂気を描こうとすれば、どうしても差別的な表現を避けることができない。そのジレンマに,作家として,ものすごく苦しんだに違いないと...
結果的に方向転換せざるを得なくなったわけです。
その結果彼が選んだテーマは「人間の俗物性」(もちろんこれも私の推測ですが...)、だと、思うのです。
ここで、やっと「フェミニズム殺人事件」の読後感想に到ります。
この本では、女性の解放と男女同権を叫ぶフェミニズムを直接批判はしていません。
むしろ,フェミニズムを、文芸における「評論」という知的領域と同列に取り扱うことで、社会学の一学術分野であるように,よいしょと持ち上げます。一度はね。
しかしながら、そのあとで、文芸評論の方を,実は社会に対して何の実効上の影響力を持たぬ,つまらぬものと切り捨てるわけです。さらにフェミニストを自称する登場人物に、やたらブランド物の衣装を着せたり、それらに関する知識をご披露させたりして、所詮,皆同じ俗物であると断じているんです。
ストーリー自体はなかなかよくできた犯人あて推理小説です。上記の経緯を全く知らなくても十分推理小説として面白いです。
でも、筒井さんの今までの葛藤を推測すると、もっと面白いことは,「間違いない!」。
差別表現を許さない社会全体に対して、「お前さんも同じ俗物だろ?」って言っているような気がするのは「私だけ?」