散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

長崎

2016-08-18 | Weblog
71年前の8月9日、ここに原爆が落ちたのかと思って見にきたら、原爆は落ちてなかった。ここの上空500m
ぐらいのところで爆発したという。その真下が公園になっていて、原爆落下中心地と呼ばれてる。式典が毎年
開かれる平和記念公園とは別の場所。


通称・一本足鳥居

中心地から500mほど離れた坂の上にある山王神社の二の鳥居は、このように原爆で半分になってしまった。
石の鳥居が半分、熱で消えたのかと思って見にきたら、鳥居は消えてなかった。風で崩れ落ちてた。


いまも転がってる

石を溶かすほど威力ないのだった。被害地図をみると徹底的に破壊されつくした範囲は半径500mぐらいで、
そこを越えると半壊ですんだり、二次的な火災で焼けたり、建物の被害は軽微だったりした。


坂が多いせいかも


よくみると石段も半分崩れてる

映画『ダークナイトライジング』のラストで、バットマンが核爆弾をヘリみたいな乗り物でほんの数分運び去り、
自分が犠牲になって街を救うシーンを見たときに数百mかそこら爆弾を街から遠ざけても無意味じゃないか
と思ったけど、必ずしも無意味じゃなかった。ただ街は無傷では済まないだろう。


浦上天主堂

隠れ切支丹が晴れて自分たちの天主堂を作ったら、同じキリスト教徒が落とした原爆で約8500人の信徒が
死んだ。ここも爆心地から半径500mぐらい。以前は中で座ってもの思いに耽ることもできた覚えがあるけど、
いまはそんなことできないように柵がめぐらされている。世の中は変わった。


大浦天主堂

同じ長崎でも大浦天主堂のほうは爆心地から3km以上離れているから、ほとんど被害がなかった。こちらは
しかし拝観料600円を徴収しておいて中に入ると撮影禁止で、神様やらずぶったくり。


隣のグラバー亭もおそらく無傷

1974年にグラバー園として開かれて、いちど見にきたのは1980年ごろだろうから、まだ新しかったはず。
それから35年ほどたって、どうなってるかと思ったらあまり変わってなかった。


エスカレーター付

坂の上にいくつも並ぶ洋館はすべてグラバー氏の持ち物かと思ったら、そうではなかった。いろいろな西洋人
の住居をここに移築して、もともとあったグラバー亭と一緒に見物できるようにしたそうだから、博物館明治村
に発想が似ている。たぶん真似したんだろう。


グラバー亭から港が見下ろせる

猛暑の夏でも坂の上は気のせいか少し涼しかった。100mで0.5℃くらいだから、せいぜい1℃程度だろう。
それでも自分の足で坂を上がらなくてよければ快適にちがいない。


中華街は港のそば

鎖国していたころ長崎に出入りしたのは清とオランダで、どっちも出島にきたはずだけど、出島が見当たらない。
海に扇型の島が出てる出島……教科書で見たことある出島。ところが教科書で見た当時、すでに出島のまわりは
埋め立てられて、とっくに出島じゃなくなってた。中華街にくっついてた。


これが扇型の出っ張ってる方


そしてこれが扇型の凹んでる方

埋め立てたなら埋め立てたと教科書に書いてくれないと。このあたり爆心地からちょうど3kmぐらいだから、
割合になんともなかったらしい。歩いてみたら狭かった。


オランダ商館の出島は地続き
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