散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

夕張

2015-08-23 | Weblog
この夏ほんの数日のあいだ戦後70年という節目について取り沙汰されたとき、たまたま北海道にいて、
戦争にいたるまでも、戦争中も、戦争後も、100年にわたって日本を支えてきた炭坑夫の仕事のことが
どうも気になり、夕張を訪ねた。炭坑までどうすれば行けるのかと、駅でたずねたら、公共交通機関は
ないから2km歩くか、そこのスキーリゾートホテルで2時間500円の貸し自転車を借りるか、タクシーを
呼ぶかの3択だという。


2kmぐらいなら…

涼しいから歩こう、と思ったそのとき豪雨が降ってきた。土砂降りの中を2kmも歩くのはイヤなので、
とりあえず夕張メロンを食べながら空の様子をうかがう。1時間以上たっても豪雨が収まる気配なし。
バスは数時間に1本しかない。そこへバスがきたので思わず飛び乗った。


もう炭坑の見学はあきらめよう

もう一生、夕張を訪れることもないだろう。巡りあわせが悪かった。ブログに書くこともないだろうと
思いながら、片道およそ2時間の高速バスでその日はただ札幌と夕張を往復するだけ。


こんなに降ってちゃしょうがない

理容のキングで散髪して、古書店の北海堂をひやかし、ビール飲んで寝る。翌々日、朝食をどこか
でと思って表に出ると、おととい乗った夕張行きの高速バスがまさに出ようとしている。朝ごはんを
あきらめて飛び乗った。なぜかバスを見ると飛び乗るくせがある。


今度は貸し自転車を借りてみた


ちょっとまた雲行きがあやしい


本町キネマ街道?

炭坑に向かう上り坂の途中に、「なつかしい映画カンバンのある町 ぜひお寄り下さい」って表示が
出てたので、自転車のハンドルを切って眺めてゆく。




たぶんこのあたりが、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭の会場になるんだろうなーと思いつつ
また上り坂を自転車こいでゆく。


夕張希望の丘

たぶんあれだ。飲食の施設、なさそう。駅前のセイコマ(コンビニのセイコーマート)で、おにぎりを
買い食いしておいて本当によかった。


どうやら見学施設が地中でつながっているみたい


さっき通ってきた道の両側なんにもなかったけど昔は住宅が立ち並んでいたらしい

最盛期の夕張は、昭和36年(1961年)……テレビなどの電化製品の普及が、夕張は他の地域より
早かったとか、人口が12万に達し映画館が17館もあったとか。いまやとても考えられない。


黒いダイヤ 石炭

炭坑に働く男たちは、自分の現場の厳しさや、危険なことなどは決して家族に話したりはしない。
妻や子へ、余計な心配をかけまいとするヤマの男の愛情であろう。とパネルに書いてある。


弁当のフタは少ししか開けない

「この写真ナ、オラが炭鉱やめるまでゼッタイ人に見せんなヨ、こんな真黒くなって、こったら
とこで、弁当のフタもとらねえでメシ喰ってるなんてオマエ、女房や子供さでも知られたら泣か
れるベャ!そうだナ、オレも結婚して20年近くなるけど、うちの女房なんか今でも、オレ事務所
にあがってからメシ喰うもんだと思ってるもんナ」


仕事が終わると真黒け


お風呂で石炭を洗い落とす

これも夕張の全盛期、1960年代の写真かナ? と思いながらパネルを見ていくと、とんでもない。
解説によると、すべて1987年に撮影したもの。バブル期にこんなことが続いてたとは。完全に閉山
したのは平成2年(1990年)。明治の開山から100年あまり。


黒ダイヤまつりの賑わいからの


首切り反対、栄枯盛衰

戦後70年、栄枯盛衰は石炭産業のみならず日本中いたるところに起きているように思えて……
業種は違えど自分も炭坑夫のひとりに思われて。


懸命に掘らなきゃ


いよいよ坑内へ…

「石炭を採掘する地下1000mの炭鉱坑内へケージに乗って降下します。まっくら体験まであと
少しです。(中略)…危険はございません」 (← 危険ないといわれると不安になる!)


坑道はひんやり

というか寒気がする。ほら、あそこに霊が……こっちにも。この地で2代、3代と生きてきた人
たちの歴史を肌で感じることができる。


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