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歩くことが唯一の趣味ですから。

深谷

2015-09-20 | Weblog
用があって東京駅にいったら、怪しげに光る物体が……よく見ると「銀の鈴」だった。ずっと見てないせいか
記憶の中の「銀の鈴」とちがう。東京駅は開業100周年だそうで、100年前の煉瓦が丸の内南口のとらや
のカフェの壁として使われているとか。


空襲で焼けた木材の跡そのまま

ちなみにこの煉瓦、日本で初めて埼玉の深谷にできた煉瓦工場でつくられたらしい。そこでさっそく高崎線
の深谷駅へ、瞬間移動。


どこかで見たような駅舎だぞ!

東京駅の駅舎の煉瓦が深谷の煉瓦ということで、深谷駅は東京駅そっくりだった。どのくらい似ているか
瞬間移動で見比べてみると……?


こっちが東京駅の丸の内の駅舎


こっちが埼玉にある深谷駅の駅舎

こうしてみると同じではないけれど、だいたいの感じは似ている。東京駅だけでなく、日銀、東京裁判所、
赤坂離宮、警視庁、東京大学などの煉瓦も、深谷の煉瓦工場でつくられた煉瓦だ。明治の代表的な洋風
建築は埼玉の煉瓦で成立した。材料の土も埼玉の土。


工場跡を見に行く

深谷に洋式機械の煉瓦工場ができるまでは、瓦職人が煉瓦を焼いていた。深谷には瓦職人が多くて、
世界遺産になった群馬の富岡製糸場ができるとき(東京駅よりずっと前)は、深谷から富岡に職人が
かりだされた。明治の代表的な近代産業は埼玉の支えで成立した。


歩いてみると遠い

1887年(明治20年)に日本煉瓦製造株式会社ができたとき、工場でつくられた煉瓦は利根川の水運で
東京へ運ばれたが、やがて鉄道を使うようになり、深谷駅と工場の間に引き込み線が敷かれた。いま
歩いてるのは引き込み線の跡の遊歩道。だから迷わない。


当時の橋を遊歩道の脇に展示

1895年(明治28年)にかけられた、現存する日本最古のプレート・ガーター橋だという。いわれても
すごいのかどうか、よくわからないが写真を撮っておく。


鉄道好きにもいろいろあるけど橋はどうかな?

深谷といえばネギの産地として知られているけど、まさか、いまどきネギ作ってないだろうな……
と思ったら


思いっきり作っていた

キュウリもたくさん作っているらしい。深谷で生まれた渋沢栄一が日本煉瓦製造株式会社をつくった
とき、このあたりの畑の土を煉瓦にするため掘り返し、そこを田んぼにしたというから


お米もけっこう作ってる

最盛期の煉瓦工場には従業員が1000人ぐらいいて、工場内に幼稚園もあるほどだったけれども、
2006年に廃業した。最近までやってたのか。煉瓦は明治のイメージで、大正ぐらいからセメントが
使われ出したとか。それでも平成まで会社はあった。


駅から4kmもあるのか

埼玉は広大だな。いまさら引き返せないし、工場まで歩いていく。あまり人に会わない。シルバー
ウィークどこも混んでるらしいのに、ぼくの行くところにかぎって人に会わない。


1時間ほど歩いて工場跡に到着

おじいさんが草むしりをしている。用務員さんかなと思って、会釈して建物の写真を撮っていたら
「どちらからですか? やっぱり八王子からですか?」と話しかけてきた。やっぱり八王子からって
どういうことだろう。


もう窯は一基しか残っていない

おじいさんが「深谷から歩いてきたんですか、このあと渋沢栄一の生家や誠之堂も回るんですか」
と寄ってきて、どんどん館内の説明をしはじめる。以前は煉瓦史料館として活用されていたここ、
いまは土日だけ開館してるとか。来館者ひとり、格好のターゲットとして1時間くらい詳しい説明を
聞かされた。もともと窯は六基あって東京ドーム4個分の敷地で煉瓦をつくっていたから、施設を
保存してれば富岡製糸場のような世界遺産になったのに……などなど。一部をブログに書いた。


こっちで帰れるのかな?

おじいさんが、誠之堂まで行くには川を渡りきって左に曲がって……と説明して見送ってくれる。
駅に戻りたいんだけど、ちゃんと川を渡るかどうか、おじいさんがずっと見守っているから渡る。
ぐるっと遠回りして、深谷駅に戻った。

関連記事: 天童  (おなじような目にあった話)
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