用があって東京駅にいったら、怪しげに光る物体が……よく見ると「銀の鈴」だった。ずっと見てないせいか
記憶の中の「銀の鈴」とちがう。東京駅は開業100周年だそうで、100年前の煉瓦が丸の内南口のとらや
のカフェの壁として使われているとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/ae/b4fd6faeeff55a2c4fb5c5e71e3561ab.jpg)
空襲で焼けた木材の跡そのまま
ちなみにこの煉瓦、日本で初めて埼玉の深谷にできた煉瓦工場でつくられたらしい。そこでさっそく高崎線
の深谷駅へ、瞬間移動。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/f7/05b51b1ae9d5e71cfe7121820575333a.jpg)
どこかで見たような駅舎だぞ!
東京駅の駅舎の煉瓦が深谷の煉瓦ということで、深谷駅は東京駅そっくりだった。どのくらい似ているか
瞬間移動で見比べてみると……?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/09/41f72ce84ffcc210a5dbd978a5572e8f.jpg)
こっちが東京駅の丸の内の駅舎
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/f7/7ed2e08c1631cae0b51f9815cf9608fc.jpg)
こっちが埼玉にある深谷駅の駅舎
こうしてみると同じではないけれど、だいたいの感じは似ている。東京駅だけでなく、日銀、東京裁判所、
赤坂離宮、警視庁、東京大学などの煉瓦も、深谷の煉瓦工場でつくられた煉瓦だ。明治の代表的な洋風
建築は埼玉の煉瓦で成立した。材料の土も埼玉の土。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/a4/8847d4dbb43f9223fca53d036be35d6b.jpg)
工場跡を見に行く
深谷に洋式機械の煉瓦工場ができるまでは、瓦職人が煉瓦を焼いていた。深谷には瓦職人が多くて、
世界遺産になった群馬の富岡製糸場ができるとき(東京駅よりずっと前)は、深谷から富岡に職人が
かりだされた。明治の代表的な近代産業は埼玉の支えで成立した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/56/f6754d0af5f7ac389d086faaa2a65fec.jpg)
歩いてみると遠い
1887年(明治20年)に日本煉瓦製造株式会社ができたとき、工場でつくられた煉瓦は利根川の水運で
東京へ運ばれたが、やがて鉄道を使うようになり、深谷駅と工場の間に引き込み線が敷かれた。いま
歩いてるのは引き込み線の跡の遊歩道。だから迷わない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/dc/784d9f37c6696b1aa3dc4d9f062d93b3.jpg)
当時の橋を遊歩道の脇に展示
1895年(明治28年)にかけられた、現存する日本最古のプレート・ガーター橋だという。いわれても
すごいのかどうか、よくわからないが写真を撮っておく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/e9/f5be145b71acd9f6c114902cfdd93518.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/dc/829db6dc60fdaba515ee1ca3c0ba73b2.jpg)
鉄道好きにもいろいろあるけど橋はどうかな?
深谷といえばネギの産地として知られているけど、まさか、いまどきネギ作ってないだろうな……
と思ったら
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/e2/adbf8bca8dca93dd0ce3758534890ee4.jpg)
思いっきり作っていた
キュウリもたくさん作っているらしい。深谷で生まれた渋沢栄一が日本煉瓦製造株式会社をつくった
とき、このあたりの畑の土を煉瓦にするため掘り返し、そこを田んぼにしたというから
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/1e/015dae0f33bf51334c3ffbe3a82c57ec.jpg)
お米もけっこう作ってる
最盛期の煉瓦工場には従業員が1000人ぐらいいて、工場内に幼稚園もあるほどだったけれども、
2006年に廃業した。最近までやってたのか。煉瓦は明治のイメージで、大正ぐらいからセメントが
使われ出したとか。それでも平成まで会社はあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/3d/e203b028e8564b4c0be19eb22340b1d4.jpg)
駅から4kmもあるのか
埼玉は広大だな。いまさら引き返せないし、工場まで歩いていく。あまり人に会わない。シルバー
ウィークどこも混んでるらしいのに、ぼくの行くところにかぎって人に会わない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/20/7df003c4520b1deda843a0256c3009ed.jpg)
1時間ほど歩いて工場跡に到着
おじいさんが草むしりをしている。用務員さんかなと思って、会釈して建物の写真を撮っていたら
「どちらからですか? やっぱり八王子からですか?」と話しかけてきた。やっぱり八王子からって
どういうことだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/da/c16ed277bba32f8729e158566954e698.jpg)
もう窯は一基しか残っていない
おじいさんが「深谷から歩いてきたんですか、このあと渋沢栄一の生家や誠之堂も回るんですか」
と寄ってきて、どんどん館内の説明をしはじめる。以前は煉瓦史料館として活用されていたここ、
いまは土日だけ開館してるとか。来館者ひとり、格好のターゲットとして1時間くらい詳しい説明を
聞かされた。もともと窯は六基あって東京ドーム4個分の敷地で煉瓦をつくっていたから、施設を
保存してれば富岡製糸場のような世界遺産になったのに……などなど。一部をブログに書いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/29/8c313a544105546b296bd3857c688cac.jpg)
こっちで帰れるのかな?
おじいさんが、誠之堂まで行くには川を渡りきって左に曲がって……と説明して見送ってくれる。
駅に戻りたいんだけど、ちゃんと川を渡るかどうか、おじいさんがずっと見守っているから渡る。
ぐるっと遠回りして、深谷駅に戻った。
関連記事: 天童 (おなじような目にあった話)
記憶の中の「銀の鈴」とちがう。東京駅は開業100周年だそうで、100年前の煉瓦が丸の内南口のとらや
のカフェの壁として使われているとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/ae/b4fd6faeeff55a2c4fb5c5e71e3561ab.jpg)
空襲で焼けた木材の跡そのまま
ちなみにこの煉瓦、日本で初めて埼玉の深谷にできた煉瓦工場でつくられたらしい。そこでさっそく高崎線
の深谷駅へ、瞬間移動。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/f7/05b51b1ae9d5e71cfe7121820575333a.jpg)
どこかで見たような駅舎だぞ!
東京駅の駅舎の煉瓦が深谷の煉瓦ということで、深谷駅は東京駅そっくりだった。どのくらい似ているか
瞬間移動で見比べてみると……?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/09/41f72ce84ffcc210a5dbd978a5572e8f.jpg)
こっちが東京駅の丸の内の駅舎
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/f7/7ed2e08c1631cae0b51f9815cf9608fc.jpg)
こっちが埼玉にある深谷駅の駅舎
こうしてみると同じではないけれど、だいたいの感じは似ている。東京駅だけでなく、日銀、東京裁判所、
赤坂離宮、警視庁、東京大学などの煉瓦も、深谷の煉瓦工場でつくられた煉瓦だ。明治の代表的な洋風
建築は埼玉の煉瓦で成立した。材料の土も埼玉の土。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/a4/8847d4dbb43f9223fca53d036be35d6b.jpg)
工場跡を見に行く
深谷に洋式機械の煉瓦工場ができるまでは、瓦職人が煉瓦を焼いていた。深谷には瓦職人が多くて、
世界遺産になった群馬の富岡製糸場ができるとき(東京駅よりずっと前)は、深谷から富岡に職人が
かりだされた。明治の代表的な近代産業は埼玉の支えで成立した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/56/f6754d0af5f7ac389d086faaa2a65fec.jpg)
歩いてみると遠い
1887年(明治20年)に日本煉瓦製造株式会社ができたとき、工場でつくられた煉瓦は利根川の水運で
東京へ運ばれたが、やがて鉄道を使うようになり、深谷駅と工場の間に引き込み線が敷かれた。いま
歩いてるのは引き込み線の跡の遊歩道。だから迷わない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/dc/784d9f37c6696b1aa3dc4d9f062d93b3.jpg)
当時の橋を遊歩道の脇に展示
1895年(明治28年)にかけられた、現存する日本最古のプレート・ガーター橋だという。いわれても
すごいのかどうか、よくわからないが写真を撮っておく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/e9/f5be145b71acd9f6c114902cfdd93518.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/dc/829db6dc60fdaba515ee1ca3c0ba73b2.jpg)
鉄道好きにもいろいろあるけど橋はどうかな?
深谷といえばネギの産地として知られているけど、まさか、いまどきネギ作ってないだろうな……
と思ったら
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/e2/adbf8bca8dca93dd0ce3758534890ee4.jpg)
思いっきり作っていた
キュウリもたくさん作っているらしい。深谷で生まれた渋沢栄一が日本煉瓦製造株式会社をつくった
とき、このあたりの畑の土を煉瓦にするため掘り返し、そこを田んぼにしたというから
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/1e/015dae0f33bf51334c3ffbe3a82c57ec.jpg)
お米もけっこう作ってる
最盛期の煉瓦工場には従業員が1000人ぐらいいて、工場内に幼稚園もあるほどだったけれども、
2006年に廃業した。最近までやってたのか。煉瓦は明治のイメージで、大正ぐらいからセメントが
使われ出したとか。それでも平成まで会社はあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/3d/e203b028e8564b4c0be19eb22340b1d4.jpg)
駅から4kmもあるのか
埼玉は広大だな。いまさら引き返せないし、工場まで歩いていく。あまり人に会わない。シルバー
ウィークどこも混んでるらしいのに、ぼくの行くところにかぎって人に会わない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/20/7df003c4520b1deda843a0256c3009ed.jpg)
1時間ほど歩いて工場跡に到着
おじいさんが草むしりをしている。用務員さんかなと思って、会釈して建物の写真を撮っていたら
「どちらからですか? やっぱり八王子からですか?」と話しかけてきた。やっぱり八王子からって
どういうことだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/da/c16ed277bba32f8729e158566954e698.jpg)
もう窯は一基しか残っていない
おじいさんが「深谷から歩いてきたんですか、このあと渋沢栄一の生家や誠之堂も回るんですか」
と寄ってきて、どんどん館内の説明をしはじめる。以前は煉瓦史料館として活用されていたここ、
いまは土日だけ開館してるとか。来館者ひとり、格好のターゲットとして1時間くらい詳しい説明を
聞かされた。もともと窯は六基あって東京ドーム4個分の敷地で煉瓦をつくっていたから、施設を
保存してれば富岡製糸場のような世界遺産になったのに……などなど。一部をブログに書いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/29/8c313a544105546b296bd3857c688cac.jpg)
こっちで帰れるのかな?
おじいさんが、誠之堂まで行くには川を渡りきって左に曲がって……と説明して見送ってくれる。
駅に戻りたいんだけど、ちゃんと川を渡るかどうか、おじいさんがずっと見守っているから渡る。
ぐるっと遠回りして、深谷駅に戻った。
関連記事: 天童 (おなじような目にあった話)